太陽を供養する
いつもあなたを思い出してしまう。
爛々としたその、小麦肌に降り注ぐ熱で湿り気を覚える。
あなたはまるで太陽だった。
空の青さも、入道雲の雄大さも、全て霞むほどに。
あなたは天使だった。
地に足をつけられずに、椅子の上で足をばたつかせる。
麦茶のカランとした軽快な音が、あなたの素顔を思い出す。
結露が垂れる。
手のひらが溺れそうだ。
「おとーさん?」
パチパチと瞬きをして、不思議そうにこちらを見上げる。
ううん、なんでもないよ。
そういうと彼女は納得したように、にこりと笑う。虫取り網を握った手を大きく振りながら、石畳の上を跳ねて渡る。
彼女の柔らかい髪が蝶々のようにはためく。
ーーいつも蝉の音が、うるさい。
鳥の鳴き声に釣られて、川辺にやってきた。
夏の朝日は私の目に沁みる。
眩しさが薄れて薄目を開ける。
川の波は光を散らし、目の前が白く焼けていく。
落ち着いて息を大きく吸えば、肺いっぱいに川辺特有の水の匂いが溜まる。
視界から君が消え、下を覗く。
君はしゃがみ込み、真剣な眼差しで石と睨めっこをしていた。
黒くつるつるした石、灰色がかったまだら模様の石、宝石みたいに綺麗な小さい石。
それらに誘い込まれて、君は私のことを忘れてしまった。
川辺を縫うように、小さな背中が遠ざかっていく。
その間に私は手頃な石を足元から拾い上げる。
私が石を選び終えても、君はまだしゃがみ込んでいた。
小さな指で、川石をひとつひとつ撫でている。
真剣な横顔を見ているうちに、手の中の石なんてどうでもよくなった。
小さな背中がいきなり立ち上がったと思ったら、これにする!と、花が咲くかのように勢い良く立ち上がった。
石を踏む音を引き連れながら、君の姿が大きくなる。
自信いっぱいに、平たい石を握りしめて。
よーいどん!
川のせせらぎを眼前で受け止めながら、私たちの石がそれを割く。
石が水面を叩き、水を窪ませる。
水しぶきが弾ける。
波紋が、よく見る石畳みたいに広がっていく。
ピョンピョンと、君が跳ねるかのように。
流れに逆らって。ーー君はいつも、そういう子だった。
石が跳ね飛び、前へ前へと進む。
あと一歩のところで私の石が沈んでしまった。
彼女はまだ進んでいる。
君は負けず嫌いだから。
勝った、とはしゃぎながら駆け出した君のあとを追いかける。
いつも駆け足で、転ぶんじゃないかとハラハラする。
転ぶよと声をかける前に、君は派手に転んだ。
土で汚れた赤い額を覗かせて、大きな目がおはじきみたいに潤む。
堪えると思ったが、耐えきれず泣き出す。
私はすかさず、だから言ったのにと言いながら、仕方ないなぁと小さくて柔らかいこの子を抱き上げるんだ。
赤い目尻のまま、ぶら下げた虫取りかごを蹴りながら歩く。
小さい体の君は、私にはとても入れないところに入りたがる。
草木をかき分け、君の髪に葉っぱがくっつく。
とってあげようとする前に、あっ!と声を出した。
木の幹の裂け目に蝉が止まっている。
君は嬉しそうに目を輝かせながら、虫取り網を構える。
ジリジリと近づく。
小さなサンダルが小枝を踏む。
パキりと音がした。
蝉は鳴き声を止め、私たちに緊張が走る。
お互いにしーっと指を唇に当てた。
それから、息を殺して、君は網を大きく振りかぶり、振り下ろした。
蝉が網の中で激しく羽ばたき、細い網目が震えている。
君は急いで、持っていた虫かごを枯れ草の上に置く。
もたつきながらも小さい窓を開け、虫取り網を押し付ける。
蝉がコロンと入った。
さっきまで日向で鳴いていた蝉が、いまは網目の日陰とあの子の視線を一身に浴びている。
そろそろ夕暮れ時だ、いつも通りのあぜ道を歩く。
君はサンダルに入った砂を嫌がり、足を大きく振る。
いつも通りの道、そんな道に小さな商店があった。
アイスケースには、色とりどりのアイスが私を買ってとこちらを見てくる。
視界に入った途端に君は、待っていましたと言わんばかりにその色彩に駆け寄る。
君は、アイスケースの蓋を開け、じんわり冷えた甘いアイスを2本取り出す。
買ってと言わんばかりのその顔に、食べたのは内緒だぞと秘密を囁く。
ビニール袋から取り出したアイスは、小さい手にはあまりにも大きくて、愛らしい。
小さな口に吸い込まれていくアイスは、夏の熱気に負ける前に消えていく。
溶けかけた甘いアイスを少しずつ食べ進める。
私を急かすかのように、熱気を受けて溶けていく。
横から視線を感じたと思って、顔ごと横へ向ける。
君が見つめていた。
私のアイスを。
苦笑して、どうぞと差し出すと嬉しそうに受け取り、君はいつも美味しそうに食べていたっけ。
ひまわり畑を通り過ぎた先に私たちの家がある。
この時期になると、緑一辺のここに黄色い海が咲くんだ。
君の誕生日に植えたこの花はこんなにも大地を埋めていたはずなのに。
堂々と、天を仰ぐ。
その大きな花は、いまは首を傾げ、見る影もない。
日が暮れて来た。
立て付けの悪い玄関口の向こう側には何も居ない。
上り框に綺麗に揃えられた小さなサンダルはいつもと変わらない。
ビニール袋の中で、開けられないアイスがぴちゃんと音を立てた。
いつも通りの家がやけに冷めて見える。
台所では、蛇口から落ちる水滴の音だけが響いていそうだ。
木の廊下を裸足で歩く。
軋む廊下に、長い影だけが伸びる。
縁側にある蚊取り線香の匂い、煙だけが宙に昇る。
熱い熱を避けるために、襖を閉める。
薄暗い6畳の和室。
埃っぽくて嫌になる。
あの頃の空気が留まっている。
写真立てにはいつも君がいるのに、顔が思い出せない。
乳歯は抜けていたか。
あの子の声は、もっと高かったはず。
まるで鈴が鳴るみたいに。
いつもおんぶしてとせがんでいた、あの小さい体は。
なのに、この白磁だけはやけに鮮明で。
君は、こんなにも小さい。




