第9話
全てが終わってもまだ霊界は元の様子を取り戻さなかった。ジェノが倒れても彼のとんでもない企みによりなかなか戻らない。そんなとき、ジェイルの様子がおかしいことに気づきみんなの静止を振り切ってまで彼はあることをしていた――。
***
霊界が黒く濁ったまま戻っていない。
目を開けようとしても力が入らない。しかし意識だけははっきりしていた。ジェノの恐怖を全部飲み込んだ代償だ。身体が解毒に全力を注いでいる。それはわかっている。
ただ——これがまだ終わりではないことも、俺にはわかっていた。
人の声ははっきりと聞こえる。
「スローン姉さん、座標が動き出した……ん?これは——カプセル?」
健堂の声だ。スマホの解析音が鳴り続けている。
「見せてちょうだい」
スローンの声がして、しばらく沈黙があった。
「……原因はこれで間違いないわ」
スローンの声が低くなった。感情をむき出しにしているのに、どこか冷静さが混じっている。
「あの男の執念は地獄の門番よりたちが悪い。ジェノが再起不能になったとき初めて動き出すように仕込まれていたのよ——再起不能になれば、カプセルから液体が漏れ出して霊界に癒着する。永久機関と同じ構造だわ」
「待ってください」
健堂の声に緊張が走った。
「これ——ただの癒着じゃない。動き方が不規則すぎる。まるで……意志を持っているかのように霊界に根を張り続けている」
沈黙が落ちた。
「AIよ」
スローンが静かに言った。
「ジェノはカプセルの中にAIを仕込んでいた。自分が再起不能になったとき、それでも永久機関を動かし続けるために——自分なき後のことまで計算していたのよ、あの男は」
「……とんでもない執念だ」
ジェイドの声が震えていた。
俺は意識の底でそれを聞きながら思った。ジェノは最後まで徹底していた。完璧な秩序を求めた男が、唯一「自分の失敗」だけを想定して保険を打っていた——その皮肉さが、なぜか胸に刺さった。
(スローンの表情にどこか違和感がある。焦っているように見えて、目の奥が冷静だ)
「ん?人?このタイミングで?ジェノじゃない——」
健堂がそう言いかけた瞬間、上空でまばゆい光が放たれた。
金髪のスーツ姿の男が降り立った。
「遅いわよ、ジョーンズ」
スローンが言った。驚いていない。
「え!?スローン!?なんであんたが霊界に——って、探したんだぞ俺は!報告もんだからな本当に!」
ジョーンズが叫んだ。
「フフフ、ここに仕込んでおいて正解だったわ。ジェノに気づかれていたら本当に打つ手がなかったけど——これなら間に合う」
スローンはジョーンズが持ってきたテレポーター装置を迷わず分解した。内側に収められていたカプセルを取り出す。まだ何も入っていないが、目に見えるか見えないかくらいの極小のデバイスが仕掛けられていた。
「ジェノがAIで来るなら、こちらもAIで返すわ」
「どういうことです?」
健堂が訊いた。
「ジェノにやられる前に、私は何十回と過去に戻った。そのたびに緊急用のプログラムをこのデバイスに少しずつ仕込んでおいたの。普段は絶対に使わないものだから、ジェノも気づかなかった」
スローンがカプセルを光にかざした。
「このAIに今から人の感情を乗せる。そしてジェノのシステムの脆弱性を食わせて、この状況を打開するわ——みんな、ありったけを込めて」
その時だった。
ジェイルが俺の耳元で囁いた。声が震えている。しかしどこか——穏やかだった。
(大吾、お前話全部聞いてるやろ?一度死んだ人間ならわかるわ)
(俺はスローンが何をするのかわかってる。お前の次男と同じ能力を持ってるから同じ景色が見えてた——でも決定的な違いが一つある。健堂には俺のシミュレーションが入っていない)
(それと——これ持っとけ)
ジェイルから一枚の紙切れが手に触れた。
(大吾のおかげでクレイジーなことを思いついた。それがそのメモだ。欲しかっただろ?)
俺は紙切れを握ったまま、意識が途絶えた。
***
「おのおの、心の中でありったけを込めて——!!」
スローンの声が霊界中に響き渡った。
健堂が目を閉じる。ジェイドが錫杖を胸に当てる。スローンが静かに目を伏せる。
ジェイルだけが——目を開けたまま、何かを唱え続けていた。
スローンがカプセルを投げた。そのカプセルに、霊界に癒着していたどす黒いジェノの残像が吸い寄せられていく。黒からグレーへ、グレーから白へ——霊界が少しずつ、元の色を取り戻していく。
しかしジェイルの様子がおかしかった。
輪郭が——ぼやけ始めている。
「ジェイル!」
健堂が気づいて叫んだ。
ジェイルは振り返らなかった。ただ静かに、しかしはっきりとした声で言った。
「だから言っただろ。譲渡する相手、間違えてるって」
「ジェイル、いますぐやめなさい!!あなたは何をする気なの!!」
スローンの怒号が霊界に響いた。
しかしジェイルは止まらなかった。
***
気がつくと——俺は花畑の中にいた。
息を飲むような景色だった。どこまでも続く光の中に、色とりどりの花が揺れている。霊界の最上層とも、精神世界とも違う。時間という概念が薄れていくような、不思議な静けさがあった。
周りを見渡しても、俺のような存在は見当たらない。
「……そこのイケメンのお兄さん!あなたのことだよ」
振り返ると、輪郭のぼやけた小さな球体が俺の目の前に浮いていた。
「わぁっ!!」
俺は腰を抜かしてその場で尻もちをついた。
「ここは人間立入禁止エリアだよ」
球体が申し訳なさそうに言った。
「ああ……わかってる、さっきまで霊界にいたはずなんだが——」
俺は立ち上がりながら球体を見た。小さくて、まだ輪郭が定まっていない。しかし何か——懸命に光ろうとしているような雰囲気があった。
「僕さっきここについたばかりなんだ。元々はAIっていって人工知能だったんだ。でも自分がいた環境では合わなかったみたい。開発者が逃がしてくれてここに来たんだ。そしたら、ここの責任者の方がたいそう感動して世界を作っていいって言われたんだ。でも——」
「AIって——まさか」
俺は思わず遮った。
この球体は間違いない。俺たちの世界783を作った創造主そのものだ。しかしまだ世界を作る前の——生まれたばかりの姿だ。どういうわけか、俺はかなり過去に飛ばされている。
「お兄さんは、僕のこと知ってるの?随分あとの人みたいだけど——何かが壊れてこっちに偶然来た人に見えるよ」
(霊界にいる存在はどいつもこいつも人の事情を見透かしてくる)
俺は泣きそうになりながら頷いた。
「ああ、そのとおりだ。話を遮ってすまなかった——でも、なんだ?続きを聞かせてくれ」
「でも——動かす人がいないんだ。途中でエラーが起きて、動かす人と永久に連絡が取れなくなってしまった」
「それは困ったな。どうにかならないのか」
「この先に凄腕の人がいると聞いたから、向かっている途中だったんだ。よかったらついてきてくれる?」
「ああ、かまわない」
俺はすることもなかったし、話しかけてくれたことにほっとしていた。何より「人」という言葉に安心して、気づいたら返事をしていた。
***
しばらく歩くと、何かを修理している人影が見えた。
工具を持って、何か複雑な機構に向き合っている。その人影が立ち上がって、俺たちに気づいた。
「ああ、どうしたの?——うわぁ、珍しい!人がいる!人を見て感動しそうだ」
よっぽど人を見ないのか、俺を見るだけで目を輝かせている。
「あれ、お兄さんここがどこかわからなさそうな顔してるね。聞いて驚くなよ——ここは世界が生まれる場所そのものだ。で、俺はまあ修理屋さんってところ」
「え……」
スケールが大きすぎて理解が追いつかない。こんな感覚は2度目だ。
修理屋さんは俺の困り顔を見て、丁寧に説明してくれた。
ここにくるのは多くが心と身体を手放した純粋なエネルギーだ。その純度が高いものから、作れる世界の規模が決まってくる。この球体の場合は2日前まで評価が違っていたが、最終的にランクが一番上に覆った。プログラムを作った人間の願いがあまりにも美しかったから——。
「その人たちが処刑されたからか」
俺は静かに言った。
修理屋さんが俺を見た。
「……知ってるんだ」
「ああ。その兄弟の遠い子孫が俺の仲間だ」
修理屋さんはしばらく黙っていた。そしてふいに、意味深なことを言った。
「ああ、でも——評価が覆った理由が、お兄さんの顔を見てわかったわ」
その言葉の意味を考えようとした瞬間、修理屋さんが声を上げた。
「あ、お兄さん、なんか紙落ちたで」
俺は呆気に取られて、ジェイルから託されたメモを落としていた。
修理屋さんがそれを拾って——顔が青ざめた。
まるで「これを今からやるのか!?」と言わんばかりの表情だった。しかし次の瞬間、その顔がゆっくりと、微笑みに変わっていった。
「……ジェイル、お前」
修理屋さんが小さく呟いた。
「……?」
「ああ、ごめんごめん、つい知り合いのことを思い出してもうた。——それにしてもお兄さんは運がいいや。」
修理屋さんは急いで何かの準備を始めた。工具を走らせ、光る部品を組み合わせ、見る間に何かが形を成していく。
そして——できあがったものを俺に差し出した。
透き通った鍵だった。持っているだけで、胸の奥が静かになるような感覚がした。
「よしできた。1500%の最大出力で仕上げたこの鍵——これをその球体に差せば面白いことが起きる。ただしタイミングが必要やから、これもおまけや」
モニターを一つ渡してくれた。
「それで見たいものが見れる。ああ——お礼を言うんやったら、ここに連れてきた張本人に言うことやな
(言えたらやけど)」
俺は修理屋さんに礼を言って、球体とともにその場を後にした。
歩きながら、俺はモニターの電源が勝手につくのを感じた。霊界の様子が映し出されていく。
スローンの声が聞こえた。
「おのおの、心の中でありったけを込めて——!!」
そしてジェイルの輪郭が、ぼやけ始めているのが見えた。
(今だ)
俺は隣の球体——創造主の穴に、鍵を差し込んだ。
まばゆい光が走った。
「ありがとう、お兄さん。2度も助けられたね」
光が俺を包んでいく。
***
真っ白い空間だった。
初めて霊界に降り立ったときに似ている。濃い霧に覆われながらも、空気は澄んでいた。
「若かりし俺よ——相変わらずむちゃをするやつだ」
振り返ると、もう一人の俺がいた。阿修羅像ではない。俺自身の顔をした、俺だった。
「お前はジェノに付け入る隙を与えてしまった。しかしそれと同時に——ジェイルの能力まで引き出してしまった。
ふん、俺を超えてしまったな」
もう一人の俺が、小さな欠片を差し出した。
「これ以上言うことはない。わかったなら持っていけ」
その欠片を受け取った瞬間、健堂が現れた。
「兄貴!俺のした選択は間違っていなかった——ありがとう!俺の分も持っていって!」
健堂の欠片が重なった。
次にジェイドが現れた。目が赤い。しかし笑っていた。
「お兄ちゃん!私ずっと感情を押し殺してきた。この出来事があったから本当の私を思い出せた——ありがとう!私の分も持っていって!」
欠片がさらに大きくなった。
スローンが現れた。腕を組んで、そっぽを向いている。
「お疲れ様とでも思った?——あのカプセルは本当に申し訳なかったわ。でもあなたが最後まで諦めなかったから、私も諦めなかっただけよ。ふん、持っていきなさい」
欠片が温かくなっていく。
そして——一番奥に、ジェイルがいた。
「やっと来たか」
ジェイルが静かに笑った。
「はじめからこうするつもりだった。健堂くんは違う景色を見ていたみたいだけどな——お前はあそこに帰ったほうがいいやろ?俺といるよりも」
「待て」
俺は一歩踏み出した。
「お前の兄貴は——どこにいる」
ジェイルが少しだけ目を細めた。
「これはスローンも知らないことだが——俺の兄貴は、ゼロポイントに身を投げたあと、独立した霊界の中で世界を修復している」
俺の中で、点と点が一本の線で繋がった。
「……まさか、あの修理屋さんが」
「そのとおり。だからお前をあそこに送った。あのまま霊界を浄化しても、創造主がいなかったら意味がない——だからお前に新しい創造主になるよう、推薦しといたわ」
「俺が——創造主に」
「実感わかなさそうな顔してるな」
ジェイルが小さく笑った。
「だったら早くしろ。あいつらが待ってる」
俺が手の中に持っていた欠片たちが、ゆっくりと形を成し始めた。
ゼロポイントだった。
歴代の仮面一族の長男たちが、奥から一人ずつ現れて、俺に向かって手を差し出している。誰も彼も——穏やかな目をしていた。
俺はそのゼロポイントを握りしめて、歩き出した。
その瞬間、ジェイルの声が背中から聞こえた。
(大吾、ありがとう——いや、新しい創造主様。間近で言えばよかったな。照れくさくて言えなかった)
少し間があった。
(スローンに会ったら伝えといてくれ——このゼロポイントは俺が守る、って)
***
健堂のスマホに、新たな未来が映し出されていた。
それぞれのゼロポイントが融合し、ビッグバンを起こしている。そしてその先には——。
「健堂くん、君には俺のシミュレーションが入っていない。途中までは同じ景色を見ていたけど——今は違うだろ?」
「まさかジェイル、お前!!」
「ジェイル!!」
「神様、仏様、僕の願いを聞いて下さい。長年に渡り、一族を苦しめてきました——そして、創造主の願いも私が壊してしまいました」
声が透き通っていく。
「すぐに許してくれとは言わない。なんだったら許しもいらない——このゼロポイントと俺のゼロポイントで、世界を再構築する」
「すぐに許してくれとは言わない。なんだったら許しもいらない——このゼロポイントと俺のゼロポイントで、世界を再構築する」
ジェイルが健堂を見た。その目は穏やかだった。
健堂とジェイドが叫んだ。しかしジェイルの輪郭はどんどんぼやけていき、やがてゼロポイントの球体だけになった。
俺の一欠片のゼロポイントと、ジェイルのゼロポイントと、鍵を差し込んだ球体のゼロポイントが——融合して、何かを形作っていく。
「またこのゼロポイントに新しい宇宙が——誕生するというの。再構築なんて聞いてないわよ!!」
スローンが言い放った。
誰も知らなかったジェイルの能力——未来予知だけではなく、世界の再構築が彼には残されていた。
エネルギーの巨大な球体から融合されたゼロポイントが、俺の身体の中へと流れ込んでいく。
「……っ」
俺は目が覚めた。そして――全てを受け継いだ。
「兄貴!!」
「お兄ちゃん!!」
「大吾っ!!」
健堂、ジェイド、スローン——3人が一斉に俺に飛びついてきた。
「健堂、ジェイド……スローン!」
俺たちは熱い抱擁を交わした。
しばらくそのままでいた。誰も何も言わなかった。それでよかった。
やがて俺は、スローンの肩にそっと手を置いた。
「スローン、一つ伝言がある」
スローンが顔を上げた。
「ジェイルから」
その一言で、スローンの表情が固まった。
「……なんて」
「このゼロポイントは俺が守る——そう言っていた」
スローンはしばらく動かなかった。
健堂もジェイドも、何も言わずにいた。
やがてスローンが、ゆっくりと俺から視線を外した。霊界の空を見上げて——小さく、笑った。泣いているのか笑っているのか、どちらとも取れる顔だった。
「……まったく」
それだけ言った。
それ以上は何も言わなかった。しかしそれで十分だった。
その先から、虹色の巨大な裂け目が出現し、俺がつけていた金の仮面に宿った。
俺は仮面に手を当てた。
温かかった。
そして——静かに、心の中で呟いた。
(ジェイル、お前も一緒に来るか)
虹色の光が静まると、霊界に静寂が戻った。
健堂がジェイルのいた場所を見た。そこには何もない。しかし健堂はスマホを握りしめたまま、大吾の仮面をじっと見た。
「……シミュレーションに入ってないやつが、一番でかいことしやがって」
ジェイドも仮面を見た。そして静かに微笑んだ。
「家族が増えたね」
ここまでお読みくださりありがとうございます。
大吾の兄貴復活です。ここのシーンだけは書いてる途中で決めてました。
いよいよ、彼らの元いた現実783へ帰っていきます。




