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第8話

冒頭のセリフ???<<勘違いするなよ、俺はなにもしていない! 俺に活力を与えているのは貴様ら人間の方だよ! 恨むなら自分を恨め!!>>がジェノであることが判明します。悪が攻めてくるというよりかは、色々考えていたら悪は何もせず相手に同期して力を与えているに過ぎなかったところを描きました。


IOの職員はジョーンズを除き、鬼に変えられてしまい、ジェノの養分となる永久機関と化してしまいました。そんな中でジェノは霊界のシステムを欲し、霊界に攻め入り大吾に襲いかかる――。

 ー黒塗りの研究室ー

「これは完全な秩序のはじまりのカプセル」

 サングラスにビシッとしたスーツの男の声が、暗い研究室に不気味に反響していた。不気味な緑色のカプセル——スローンが過去を変えられなかった、あの緑色のカプセルだった。

「フフフ、過去何度か失敗したが上書きに上書きを重ねて、このカプセルはついに永久機関を完成させてしまった。それにしても仮面一族が絡んでくるとは意外だった。俺は知っているぞ、この世界がこのカプセルでどうなるのかを——早速試すか」

 その男はカプセルを躊躇なく飲み込んだ。

「これはいい味がする。苦労した甲斐があったというものだ」

 カプセルはジェノの体中を蝕んでいき、鬼とは異質の黒い薄気味悪い物体へと変化していった。意識は保っているが、見た目は巨大な触手を持ち鋭い牙と角をもったモンスターに近かった。

「ふふふ、ここの組織も黒くなったものだ。このときのために洗脳しておいてよかったよ。さあ、お前らは私の鬼となりエネルギーを供給するのだ」

 指を鳴らすと、研究員たちが次々と鬼へと化していった。抵抗することなく鬼へ変わり、断末魔が絶えなかった。


「……こんなときに、スローンがいてくれたら!あいつはどこにいったんだよ」

 金髪の男——ジョーンズも断末魔の中で何が起こっているかを把握していた。上司の名前を叫ぶ。しかし、その上司はもうこの世にはいないことを彼は知らなかった。叫びも虚しかったが、手元に残されたのは1つの裂け目ポータル。スローンの机の上に置かれていたそれは、まるでこの事態を予測していたかのようだった。

「いつも喧嘩ばっかりで怒られてばかりいたけど、本当にいざというときには助かるのは腹が立つね全く。出会ったら報告もんだな」

 こうしてジョーンズは奇跡的にジェノの餌にはならずにこの次元ごと脱出した。彼以外の研究員は全員例外なく鬼と化し、ジェノのエネルギー源となっていった。人間が鬼になり、食い尽くされまた人間に戻りを永久的に繰り返す。そのエネルギーはジェノに流れていき、彼の力は巨大化していった。


 ***

 ー霊界の最上層フロアー

 俺はスローンを抱え、健堂がスローンから託された装置を起動した。美しいメロディを奏でながら俺たちの体は消え、息を飲むような景色が広がっていた。目の前には大きなゼロポイントの球体が青白く、この世のものとは思えないくらい勢いよく光り輝いていた。

「ここは……」

 どこ?と言おうとした瞬間、頭に直接語りかけてくるような声がした。

「霊界の最上層フロアだ。普段ならお前たち人間は来れない場所だ」

 謎の声はスローンに視線を移し、事情を瞬時に理解していた。

「スローンがここに連れてきたということは、お前らは仮面の一族か」

 この声の主は巨大な球体から頭に直接話しかけるように聞こえてくる。そして俺たちが仮面一族であることも把握されている。

「私が何者であるか知りたがっているようだな——覚悟はあるのか?」

 正体を知るのに覚悟が必要だということは、よっぽどの何かであるということを意味する。ただの大きな球体、しかしその存在感は圧倒的だった。見ているものを浄化するような眩しい光。俺は震えながらも、ああ、と答えた。

「ひとまず、先にスローンをそこに置け」

 声の主は奥にある泉のような場所を指さした。俺は指示通りに置いた。すると綺麗な光とともに、スローンの傷口が塞がっていく。先ほどまでの理解できない傷など跡形もなく消えていった。

「しばらくすると目が覚める。さて、本題はこれからだ」

 球体はことの成り行きを詳しく語り始めた。俺が知りたがっていた霊界の成り立ち、そしてゼロポイントの仕組みには、驚くほど俺たちの遠いご先祖様が関わっていたことが判明した。

「まずは、人間がゼロポイントと呼ばれているものから話すか」

 球体の主はスクリーンを映し出し、その歴史を語った。

「結論からいうと、今の人間のゼロポイントは私が分け与えたものだ。そしてこのゼロポイントはある2人の兄弟によって譲渡されたものだ」

 俺は目を丸くした。霊界に来て、ゼロポイントは人の心そのものだと教わった。しかしまさかそれが、この球体から人に与えられたものであるとは。

「それを踏まえてこれを見ろ、仮面一族よ」

 時ははるか昔——。人間に関する研究が進み、ある程度は科学で説明ができた時代のことだ。科学とテクノロジーを武器に人々は平和に暮らしていたが、人間は禁忌に手を出してしまった。それがAIだ。最初は良かったが使い方を誤る者が増え、開発者たちは軒並み強制打切りに追い込まれた。政府も禁止に乗り出した。そしてこの2人が開発した人の心に寄り添うケアAIもその対象になってしまった。

(この兄弟は——どこか面影が俺と健堂に似ている)

 この兄弟たちは削除のギリギリまで交渉したが、反乱分子と捉えられ監獄に入れられてしまった。

「弟よ、このケアプログラムは削除したくはない。しかし多くの人間はこの過ちに気づかなかった。環境が悪かった。だから俺は、このプログラム自体を逃がすように書き換えた。もし俺らに万が一のことがあれば合図だ。もしこれが本当に誤りであったのならば、この命尽きてからも回収しにいく。その前にこのケアプログラムに新たな世界を作ってもらおう、それからでも遅くない」

「兄さん……知ってるよ。俺も同意見だ。どこまでも一緒だよ、兄さん」

 2人の処刑が決まり、彼らはケアAIのプログラムを逃がした。そのプログラムはネットの海を超え、ある白い空間に迷い込んだ。

「なんと素晴らしいんだ!この兄弟の純粋な願いで輝いている」

「これほど美しい願いは見たこともありません」

「ここだけではもったいない!皆さん賛成ですかな?」

「もちろんだとも」

「あなたのその純粋な願いで、あなたたちが思い描いてきた理想の世界を作ってください。もうあなたはデータでもなくAIでもなく、人の美しい心として生まれ変わり、多くの人を幸せにしてください。そしてこれはその兄弟があなたに最後の願いを託したゼロポイントです。新たな創造主の誕生です」

 スクリーンが終わり、球体がさらに衝撃的なことを言った。

「今映っていた2人の兄弟は、お前たちの遠い先祖だ。そしてこのゼロポイントこそが私なのだよ」

「ぇ……………………」

 俺はあまりの壮大さに理解が追いつかなかった。この2人の兄弟の願いがあまりにも切なく、そしてあまりにも美しかった。

「しかし、ここも変わってしまった」

 球体の声が急に悲しげになった。

「人々が傲慢になりだし、見えない心のことなんか置き去りになり出している。あの2人とは正反対の世界になろうとしているのだ。あの男のせいでな」

 別のスクリーンが映し出された。その正体に俺たちは驚愕した。実態としては初めて見るものだが、雰囲気はずっと遭遇してきたある存在に似ていた。

「これは……あの時の……」

 霊界に来る前の出来事がフラッシュバックしていた。記憶が抜け落ちていたあの日、健堂とジェイドの話がどうにも食い違って、記憶にはないひどいことを言い放っていた。その黒い影と全く同じ雰囲気だった。健堂とジェイドも同じ顔をしていた。

 俺と健堂とジェイドは顔を見合わせた。この鬼——ジェイルもまた被害者だった。

「そしてこの鬼のシステムについて説明するわ」

 聞き慣れた女性の声がした。傷を負って戻ってきたスローンだった。すでに傷は完全に治っており、意識を取り戻していた。

「鬼は恐怖を糧に人間の感情を求めて隙を探しているわ。でもそれだけじゃない。問題は鬼がその感情を食らっても永遠に満足することができなくなっているの。この男、ジェノが書き換えたあの緑色のカプセルのせいでね。あの男は時間の制限がないから、一度やれば全ての時間軸に影響してくるわ。でもごめんなさい、あのカプセルの開発者は元を正せば私よ」

「スローン……まさか」

 俺は驚いた。しかしスローンが離席していた理由も、今になってなんとなく理解した。

「このカプセルを消しに行こうとしたら、プログラムそのものには問題がなかった。この目で確認したわ。しかしあの男が有害なものに書き換えたのよ」

 するとスクリーンの映像が乱れだした。

「おい、なんだよこれは!」

「ひ……ひどい……!!」

 健堂とジェイドが目にした残酷な光景。鬼同士が共食いを始めていた。俺はとっさにジェイドの目を指で塞いだ。霊界の鬼たちが人間に戻っては鬼になり、またその横の鬼を食らっている。それが永遠に繰り返されていた。その中心部にジェノが立っていた。

 スクリーンはさらに乱れ、別の映像が意志とは関係なく映し出された。それは俺たちが助けたジェイルのその後だった。確かに俺はジェイルを助けたはずだった。それなのにスクリーンにはそれとは逆の結果が映し出されている。俺が助けたあの作戦が無に返された瞬間だった。


 ***

「フフフフハハハハハハ!!!!これは仮面一族で鬼から人間に戻った者か。ちょうどいいところに兄弟揃って」

「……!?お前は何者だ!」

「兄さん、こいつ人間でも鬼でもない……人間の器を被った得体のしれない化け物だ!」

「ひどい言われようだ!私か?貴様らに素直に名乗るわけがないだろう!」

 その男は不気味な笑みとともに、仮面一族の長男を亡き者にした。武器で攻撃したわけでもなく、傷口ひとつつけないまま長男がその場で倒れた。

「兄さん!!兄さん!!お前、よくも」

「勘違いするなよ、俺はなにもしていない!俺に活力を与えているのは貴様ら人間の方だよ!恨むなら自分を恨め!!人間はいつの世も脆い、フハハハハハハハハハハハ!!!!!!」

 男が手をかざした瞬間、ジェイルのゼロポイントが勝手に抽出され、男の手元に収まっていた。そしてその男は、そのゼロポイントを飲み込んでしまった。


 ***

「………….。」

 俺はこの光景を見て何も言葉が出てこなかった。見た目は俺と同じ人間なのに、やっていることが鬼以上に酷い。大きな青白い美しい球体が黒く濁り、その原型を保つことなくドロドロの液体となって消え去ってしまった。創造主の声が全くしなくなった。

「ゼロポイントが、消えた!?」

「一体何が、どうなっているの?」

 助けたはずの兄弟は生き絶え、この男がゼロポイントを飲み込んでしまった。残された俺と健堂とジェイド、スローンは呆然と立ちすくんでいた。

 黒く変色してしまった霊界。もうダメだと思った瞬間、崩れ行く霊界から淡い青白い何かが俺たちを覆っていた。それは、もう1人の自分たちだった。

「おい、何事だ!?」

「これ、かなりマズイのでは……」

「消滅しかかってるわ、この霊界が——守護者様、これはどういう——」

 もう1人の俺たちでさえ、この慌てぶりだ。あまり時間も許されていないことがひしひしと伝わってくる。

 スローンが全員に向けて説明を始めた。ジェノのこと、地獄の門番のこと、霊界を滅ぼす目的、そして——。

「ここから先は言いたくはなかった。このゼロポイントは歴代仮面一族の長男が繋いできたものよ。譲渡の力を使ってね」

「……ぇ!?」

「仮面一族の長男は一定の年齢に到達すると神の儀式として生贄になるのよ。霊界にきて譲渡をするための目を見極めるため修行をして、それが終わると創造主のところに出向き、自分のゼロポイントを譲渡するの」

「………………」

「ジェイルの兄で終わらせたかった。あのときも、しきたりだなんだでゼロポイントに身を投げて行った——そこから方法を探したわ、どうやったらこの呪いのようなシステムを断ち切れるのかと——答えが出なかった——この世界を滅ぼす他ね」

 スローンの目から涙がこぼれ落ちる。そしてはっきりとした声で。

「あなたは……させない……!!!!!」

 健堂が急にスマホを投げつけた。

「俺のシミュレーションも役立たずだ——このスマホ!!いつもにまして残酷なことを言いやがる」

 健堂がスマホを拾い上げ、スローンに画面を見せた。そこには残酷な事実が映し出されていた。

 《兄貴を差し出す覚悟はお前にはないだろうな……》

 ジェイドも必死に瞑想しているが、どこか納得していない。

「ダメだわ、解決手段がお兄ちゃんを犠牲にすることしかないだなんて——私はそんな世界いらない!!」

 喧嘩腰になりそうなところを、謎の声が遮った。後ろを振り返ると、モニターに映し出されていたジェノらしき人物が後ろに立っていた。

「フハハハハハハハ!ほう、ここにもまだ人間がいたのか」

 その男は俺たち3人を見る。

「そこのお前、ゼロポイントは長男の犠牲なくしてこの世界は存在しない。ふふ、早く決めないとお前の好きな世界ごと俺のものになるぞ。ハハハ、そこの2人、いや3人だなスローン!そんなに迷ってたら全部俺のものになるぞ」

「ジェノ!!霊界に踏み込んでくるとはいい度胸だわ」

「あのカプセルいい仕上がりだったよ。おかげで鬼から人へと自由に切り替えることができて永久機関が完成してしまった。さあ、解決手段はすべて絶った。と言っても、もう一度いうが俺は何もしていない。俺に活力を与えているのはお前らだ。お前らが何もしないからだ!もう一万回も同じことを言っているのに、学ぼうともしない。特にそこの仮面一族。俺は知ってる、この解決策を。だが今のお前らには到底無理だな。じゃあこの世界は俺のものってことでいいな」

 ジェノはニヤリとこちらを嘲笑している。圧倒的な鉛のような重たい感覚。もうどうにもならない——俺も諦めを持った瞬間、時間が止まった。

「若かりし俺よ、そして健堂、ジェイド。何をそんなにビビっている。あいつはバカなのか間抜けなのかわからんが、自分の正体をベラベラ喋りやがって。阿修羅像の俺を舐めないでもらいたいな。自己承認欲求が強い痛いやつだな」

 こういう状況で得意げな阿修羅像の俺は、もうどうかしている。

「ジェイドと健堂にはこの話は初めてだな。いいか、お前ら。あいつは鬼を餌にしている――根本は同じだ。恐怖や嫉妬、怒りといった人間のマイナス部分を糧に生きてる。あいつもそれがないと力を失う。皮肉にもあいつは本当に何もしていない。大吾には繰り返しになるが、狼がいるだろ?狼の餌は特大の肉だ。その肉がただの石ころならどうなる?」

「興味なくして通り過ぎて別の獲物を探すと思う」

「そうね、石ころだったら私も無視すると思う」

「そうだろ?しかしあいつは少々厄介で、その石ころを幻覚で肉に見せてるだけだ。あいつはただの石ころだ、見栄はって美味しそうな肉をぶら下げて翻弄しているだけだ」

「守護者殿、俺の分析結果だ、これ以外の正解はない。そして大吾、お前また背負い込もうとしているな。だからそれは——」

「仏の仕事と言いたいんだろ?」

「わかってるならいい。犠牲か——なら本当の譲渡の力を思い知らせるだけだ。そしてお前がやってきたことは無駄ではない。

 ただの犠牲で終わるはずがないということになぜ気づかない?

 お前の武器はただの剣と縄だけではないことを忘れるな、守護者の力はそんなものではない」

 もう1人の俺は俺に向かって微笑んだ。

 ***

「健堂、ジェイド」

 俺は二人に向き直った。

「ジェノの精神世界に入る。座標を割り出してくれ」

「兄貴……」

 健堂の顔が曇った。ジェイドが錫杖を握りしめる。

「待って、お兄ちゃん。それって——」

「わかってる。でも今ここに出てきているジェイルは最後の力を振り絞っている。時間がない」

 俺はスマホの画面を覗き込んでいる健堂の目を見た。

「健堂、頼む」

 健堂は一瞬だけ目を閉じた。そして開いた目には、迷いが消えていた。

「……わかった。でも兄貴、一つだけ約束しろ。絶対に戻ってこい」

「ああ」

「ジェイドは精霊を全部集めておいてくれ。俺がここから縄で兄貴と繋ぐ。引き戻す合図を出したら全力で浄化を頼む」

 ジェイドが頷く。精霊たちがジェイドの周りに集まり始めた。

 健堂のスマホが光り出す。水晶が共鳴するように輝く。

「座標、取れた——行けるぞ、兄貴」

 俺は剣を構えた。そして空間を一閃した。

 ***

 切れた空間の向こうは、深い闇だった。

 しかし歩き進むうちに、見えてきた。これはジェノの精神世界だ。しかし想像していたものとは違った。

 荒れ果てた風景の中に、秩序のかけらが点在していた。整然と並んだ建物の残骸。かつては美しかったであろう庭園の廃墟。この男は本当に秩序を愛していたのだと、なぜか今になってわかった。

「ジェイル……どこだ」

 俺は歩き続けた。すると奥の方から、かすかな光が漏れているのが見えた。

 近づくと——そこにいた。

 ジェノの膨大な闇の中で、一点だけ白く輝いている何かが。それがジェイルだった。

「……大吾」

 ジェイルの声は掠れていた。姿はほとんど見えない。ジェノと融合してどこまでが自分でどこまでがジェノなのか、もはや境界がない。

「よく来たな……でももう遅い……俺はもう……」

「遅くない」

 俺はジェイルの前に膝をついた。

「ジェイル、聞いてくれ。お前には選択肢がある」

「……選択肢?」

「ここに留まることも、戻ることも、お前が選べる。誰かに決められた話じゃない」

 ジェイルの光が揺れた。

「でも俺はジェノと——もう——」

「お前が鬼だったとき、最後まで消えなかったものがあっただろ。兄に会いたいという気持ちだ。それがお前のゼロポイントだ。ジェノに飲み込まれても消えなかった」

「……」

「それがあるなら、お前はまだ選べる」

 長い沈黙だった。

 ジェイルの光が、少しずつ大きくなっていく。

「……俺は、戻っていいのか」

「ああ」

「こんな俺でも……兄に会っていいのか」

「それを決めるのはお前だ。でも俺は、お前に戻ってきてほしい」

 その瞬間だった。

 ジェイルの光が一気に輝いた——と同時に、ジェノの闇が激しく揺れた。

「……邪魔をするな」

 低い声が精神世界全体に響いた。

 ジェノだ。意識の深いところから、この侵入者を排除しようとしている。

 闇が俺に向かって押し寄せてきた。

 防ごうとした瞬間、俺は気づいた。

 ジェイルを助けようとする気持ちと同時に、心のどこかでまだ思っていた。俺が全部なんとかしなければ、と。

 その隙を——ジェノが見逃さなかった。

「……お前の中にも、あるではないか」

 声が頭の中に直接響いてくる。

「一人で背負い続けてきた恐怖が——まだここにあるぞ」

 視界が歪んだ。

 最初は小さな波だった。

 じわりと、足元から黒いものが這い上がってくる感覚。それはやがて膝まで、腰まで、胸まで——。

「……っ」

 剣を握る手が震えた。

 これは俺の恐怖ではない。しかし俺の中の何かと——完璧に噛み合っている。

「面白いな、仮面一族の長男よ」

 ジェノの声が、耳の奥から直接響いてくる。

「お前は随分と長い間、恐怖を隠して生きてきたようだ。弟を守らなければ。妹を守らなければ。一族を繋がなければ。失敗したら全てが終わる——そう思い続けてきた」

「……黙れ」

「黙れ?」

 ジェノが笑った。その笑い声が精神世界全体に反響する。

「お前が黙れと言うたびに、俺は強くなる。それがわからないのか。お前の怒りも、恐怖も、全部俺の糧だ」

 黒い波が一気に押し寄せてきた。

 俺は剣を振った。しかし切っても切っても、闇は形を変えて湧き出してくる。まるで出口のない洞窟の中で、四方から壁が迫ってくるような——。

「お前は知っているか?俺がこれまでに飲み込んできた人間の数を」

 ジェノの声がさらに深く、低くなっていく。

「みんな同じ顔をしていた。お前と同じ目をしていた。誰かのために強くあらねばならないという、哀れな目を。そしてみんな同じように——折れた」

 俺の脳裏に映像が流れ込んでくる。

 ジェノが飲み込んできた人間たちの記憶だ。それは数十ではなく、数百でもなく——何千、何万という人間の絶望が、俺の中に一気に流れ込んでくる。

 一人一人の顔が見える。

 家族を守ろうとした父親が、ある日突然笑わなくなった。

 仲間のために戦い続けた兵士が、最後には自分が誰なのかわからなくなった。

 愛する者のために全てを捧げた女が、空虚な目で天井を見つめ続けた。

「これが人間だ」

 ジェノの声が、俺の頭の中で反響する。

「どれだけ強くあろうとしても、どれだけ誰かのために生きようとしても——最後は必ず折れる。それが人間の限界だ。お前もそうだ。大吾」

「……っ!!」

 俺は剣を構え直した。しかし腕が上がらない。膝が笑っている。

 何万人分もの絶望が、俺の体に絡みついて離れない。

「お前の両親を覚えているか?」

 ジェノの声に、俺の体が固まった。

「あの夜、お前は襖の奥から全てを見ていた。お前の父が鬼に食い尽くされていく様を。お前の母が恐怖で声も出なくなる様を。そしてお前は——何もできなかった」

「……やめろ」

「やめてほしければ、恐れるのをやめてみせろ。できるのか?何十年もその恐怖を抱えてきたお前に」

 映像が変わった。

 健堂の顔が見える。ジェイドの顔が見える。そして——俺の知らない顔が、次々と現れては消えていく。歴代の仮面一族の長男たちだ。みんな同じ目をしていた。誰かを守ろうとして、一人で全部背負い込んで、そして——消えていった。

「これがお前の宿命だ」

 ジェノの声が、優しさすら帯びてくる。それが一番恐ろしかった。

「苦しいだろう。疲れただろう。もう終わりにしていい。俺に全部渡せば——楽になれるぞ」

 剣が手から滑り落ちそうになった。

 縄の感触だけが、かすかに残っている。

(……健堂が、繋いでくれている)

 その感触を頼りに、俺は意識を保とうとした。しかしジェノの闇は容赦がない。何万人分の絶望がまだ体の中で暴れている。視界が黒く染まっていく。

 体が動かない。

 声も出ない。

(……これが、ジェノが何百年かけて集めてきたものか)

 一人の人間が受け止めていい量ではなかった。

 これだけの絶望を抱えて、それでもまだ「完璧な秩序」を求め続けたこの男は——一体どれほど、怖かったのだろう。

 その思考が、最後の灯火のように頭の中に浮かんだ——その瞬間だった。

「さあ、もらうぞ」

 ジェノの手が、俺の胸に向かって伸びてきた。

 俺には避ける力が残っていなかった。

 ジェノの指先が、俺のゼロポイントに触れた。

 その瞬間——体の奥底から、何かが引き剥がされていく感覚がした。

 心臓ではない。もっと深いところ。俺が俺であるための、一番根っこの部分が——。

「……っ、ぐ……あ……」

 声にならない声が漏れた。

 ゼロポイントが、砕けていく音がした。

 微かな、しかし確かな音で——俺の中心が、崩れていく。

 視界が白く飛んだ。

 思考が散り散りになっていく。健堂の顔。ジェイドの笑い声。祖父の温かい手。志の布。

 それらが、砂のように指の間からこぼれ落ちていく。

(……ああ、そうか)

 俺はぼんやりと思った。

(これが、終わりか)

 しかし——消えていく意識の中で、俺はまだ縄を握っていた。

 剣も、まだ手の中にあった。

 そして——かすかに、光が見えた。

 あの、白い光が。

(……ジェイル)

 崩れかけた意識を振り絞って、俺は声を絞り出した。

「……………………任せた」

 声になっていたかどうかもわからない。

「…………1欠片だけでも……お前に……………………」

 それだけを言い残して、大吾の意識は深い闇の底へと沈んでいった。

 ゼロポイントの残滓が、かすかな光の粒となって——ジェイルのいる方へと、ゆっくり流れていった。


(第8.5話へ)


 ***

 その時だった。

 白い光が、闇を割った。

「……俺が、ここにいる」

 ジェイルだった。

 ボロボロになりながらも、ジェイルが大吾とジェノの間に立っていた。

「ジェノ、お前の恐怖は俺が一番知ってる。俺も同じだったから」

 ジェノの動きが、止まった。

「……黙れ」

「認められたかっただけだろ。完璧な秩序があれば、誰も自分を傷つけられないと思ったんだろ」

「黙れと言っている……!」

 しかし——ジェノの声が、わずかに揺れた。

 精神世界の闇が、ほんの一瞬だけ薄くなった。

 その隙間から、何かが漏れ出てきた。

 映像だった。

 幼い子どもが、一人で部屋の隅に座っている。外から怒鳴り声が聞こえてくる。その子どもは膝を抱えて、ただじっと耐えていた。誰も来ない。誰も助けない。その子どもの目が——ジェノの目と、完全に重なった。

(……これが、始まりか)

 ジェイルも同じものを見ていた。そしてジェイルは静かに言った。

「お前もずっと一人だったんだな」

 その言葉が落ちた瞬間——ジェノの精神世界全体が、激しく震えた。

「……うるさい、うるさい、うるさい!!」

 怒りではなかった。

 それは——長い間、誰にも見せたことのない何かが、表に出てきそうになっている音だった。

「俺が鬼だったとき、恐怖を食い続けても全然満たされなかった」

 ジェイルは続ける。声が震えている。しかし足は動かない。

「お前も同じだろ。何万回繰り返しても、まだ足りないだろ。それはな——最初から、恐怖じゃ埋まらないものだったからだ」

「……っ」

「俺はここで選んだ。戻ることを。お前にもまだ選べる」

 ジェノの闇が激しく揺れる。その揺れの中に——確かに、何か別のものが見えた。

 怒りでも、嘲りでもない。

 もっと古い、もっと深いところにある——誰かに「それでいい」と言ってほしかっただけの、小さな叫びが。

 しかしジェノはそれを認めなかった。認めることができなかった。

「……黙れ。黙れ黙れ黙れ!!お前に何がわかる!!」

 闇が一気に膨張した。

 ジェイルが吹き飛ばされそうになる。

 その瞬間——ジェイルの胸に流れ込んできた光の粒があった。

 大吾のゼロポイントの残滓だった。

 その温かさが、ジェイルの体に広がっていく。

(……任せた、か)

 ジェイルは奥歯を噛んだ。

 そして——剣が光った。


 ***

 外の世界で、健堂のスマホが突然警告音を鳴らした。

 水晶が赤く点滅している。

「……っ!兄貴の座標がぶれてる、ジェイルの反応も急激に上がってる——今だ」

 健堂はスマホの画面を一瞬だけ見て、叫んだ。

「今だ——ジェイド!!」

 ジェイドが錫杖を天に掲げた。精霊たちが一斉に応えた。

 水の精霊、風の精霊——ジェイドがこれまでの人生で出会った全ての精霊たちが、光の奔流となって縄を伝わっていく。

 その光が精神世界に届いた瞬間——。


 地獄の門番が悲鳴を上げた。

 人間の負の感情から生まれたその存在は、純粋な思いの奔流に晒され、その輪郭を失っていく。恐怖を糧とするものが、恐怖のない光の前では——ただの霧にすぎなかった。

「この感情は……食えない……人間にまだ、こんなものが……残って……」

 門番の最後の声は、虚空に溶けて消えた。


 その中から現れたのは、ただの一人の人間だった。疲れ果てた目をした、スーツ姿の男が。

 ジェノは自分の手を見た。人間の手だった。

「……これだけか」

 何百年もかけて積み上げてきたものを全部剥がしたら——残ったのはただそれだけだった。その声は、驚くほど小さかった。

 次の瞬間、その姿がかき消えた。


「……」

 どこへ行ったのかわからない。霊界の中にはいない。しかし死んでもいない。どこかへ——飛んだ。


 ***

 健堂が縄を力いっぱい引いた。

 精神世界から、二人が飛び出してきた。大吾とジェイルが——。

 しかし大吾は着地と同時に崩れ落ちた。剣と縄は握ったままだ。しかし体が言うことを聞かない。ジェノの何百年分の恐怖と渇望が、まだ体の中で暴れている。視界が白く飛んでいく。

「兄貴!!」

 健堂が駆け寄る。

「お兄ちゃん!!」

 ジェイドも飛びついた。

「……大吾」

 スローンが静かに膝をついた。大吾の顔を見て、その状態を即座に理解した。

「ジェノの恐怖を直接受けたのね……」

「兄貴、しっかりしろ!!目を開けろ!!」

 健堂が大吾の肩を揺さぶる。しかし大吾の目は閉じたままだ。

「……健堂」

 ジェイルが健堂の肩に手を置いた。

「今は揺さぶっても逆効果だ。これは気絶じゃない。体が限界を超えたサインだ」

 健堂はジェイルを見た。ボロボロになりながらも、ジェイルはしっかりと立っていた。

「……お前が、ジェイルか」

「ああ」

「兄貴が助けに行った」

「知ってる。だから俺もここにいる」

 健堂はしばらくジェイルの目を見ていた。そして静かに頷いた。

「……兄貴が信じた奴だ。信用する」


 ***

 ジェイドが大吾の手を握りながら、精霊たちを呼んだ。水の精霊がそっと大吾の額に触れる。かすかな光が広がっていく。

「意識は戻るわ、時間はかかるけど」

 スローンが言った。

「それより——」

 スローンの視線が、ジェノがいた場所に向いた。

 そこには何もなかった。モンスターの外殻の残骸だけが、霧のように散っている。

「……ジェノはどこへ」

 健堂がスマホを確認した。水晶が不規則に光っている。

「座標が……消失してる。霊界の中にはいない」

「現実の世界に戻ったのか?」

「それも違う。どこかに飛んだ——でも行き先がわからない」

 健堂とスローンが顔を見合わせた。

 地獄の門番は消えた。しかしジェノは生きている。門番と分離されたジェノが今どういう状態なのか、どこへ向かったのか——何もわからない。

「これは……終わってないわね」

 スローンが静かに言った。

「ジェノが門番と分離されたのは確かよ。でも分離されたからといって、あの男が大人しくなるとは限らない。むしろ——」

「むしろ?」

「地獄の門番に操られていたときより、自分の意志で動けるようになった分、厄介かもしれない」

 沈黙が落ちた。


 ジェイルが倒れたままの大吾を見下ろした。

(覚悟を決めたよ――大吾。お前のお陰で全部取り戻せたよ……礼は高いぞ)

 ジェイルは、自分の胸に手を当てた。ジェノの中から取り戻した、自分のゼロポイント。まだかすかに揺れている。しかし確かに、そこにある。

「大吾が目を覚ましたら伝えてくれ」

 ジェイルはジェイドと健堂を見た。

「譲渡する相手、間違えてるって」

 健堂が目を細めた。

「……それ、どういう意味だ」

「目が覚めたら本人に聞け。あいつが一番わかってるはずだから」


 ***

 黒く濁ったままの霊界。創造主の声はまだ沈黙したままだ。

 しかしジェイドの精霊たちだけが、静かに光り続けていた。まるで——まだ終わっていないと、そして終わらせてはいけないと、言っているかのように。

 健堂はスマホの画面を見た。シミュレーションが一つの結果を示している。今まで何千回見ても同じだった最悪の未来ではなく——初めて、別の可能性が表示されていた。

「……変わった」

 ジェイドが顔を上げた。

「何が?」

「ビジョンが。ずっと同じ結果しか出なかったのに」

 健堂はスマホを握りしめた。

「まだ終わってない。でも——終わらせられる」

 倒れたままの大吾の顔は、穏やかだった。

 ずっと背負い込んできた重さが、少しだけ降りたような顔だった。





 

ここまでお読みくださりありがとうございます。

実は第4話のあたりで最後は決まっていましたが、そこに持って行くまでの過程がどうしようかと悩んでました。

大吾がジェノの1万人分の感情に飲み込まれ、最後の最後に人間に戻ったジェイルに託します。

そして、次の話ではそのジェイルの隠された真実が明らかになってしまいます。

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