第7話 崩壊する王国
乾いた咳が、石造りの回廊に響く。
王都の空は、どんよりと灰色に淀んでいた。
かつて白亜と謳われた王城は、今や煤と埃にまみれ、見る影もない。
「なぜだ! なぜ動かん!」
執務室で、ギルバート王太子の叫び声が上がった。
彼の手元にあるのは、私の魔導具を真似て作らせた「模造品」だ。
王家お抱えの魔術師たちが、見よう見まねで組み上げた自動掃除機らしきガラクタ。
バチッ!
不穏な音と共に、魔石が破裂した。
黒い煙が上がり、ギルバートがむせ返る。
「失敗です、殿下……回路の制御術式が複雑すぎて、解析できません。」
「ええい、役立たずどもめ!」
彼は焦げたガラクタを床に叩きつけた。
城内では原因不明の熱病が流行り始めていた。
原因は明白だ。
排水設備の詰まりによる水質汚染と、溜まり続ける廃棄物。
私が密かに維持していた衛生管理システムが停止した結果である。
「アリス! 浄化だ! 聖女の祈りで病を払え!」
「嫌ですわ。病人が近づかないでくださる?」
豪奢なドレスを着た聖女は、香水を染み込ませたハンカチで鼻を覆い、部屋の隅へ逃げる。
彼女にあるのは高出力の光魔法だけ。
繊細なウイルスの除去や、汚れの分解などできるはずもない。
ギルバートは爪を噛んだ。
「マリエルさえいれば……いや、あいつが技術を独占しているのが悪いのだ!」
その思考は、どこまでも他責的だった。
自分の無能を認めるくらいなら、世界が間違っていると叫ぶ。
それが彼の限界だった。
◇
一方、帝国城の私のラボは、静謐に包まれていた。
空気清浄機が稼働し、清潔な空気が流れている。
だが、持ち込まれた報告書の内容は穏やかではなかった。
「国境に、難民の集団が現れました。」
レオンハルト様の報告に、私は手を止めた。
彼は眉間に深い皺を刻んでいる。
「武装はしていない。全員、女性だ。王城の侍女服を着ている。」
「……彼女たちですか。」
記憶にある顔たちが浮かぶ。
かつて私が城で働いていたとき、唯一私の仕事を理解し、手伝ってくれた侍女たち。
彼女たちは、理不尽な環境でも懸命に働いていた真面目な労働者だ。
「マリエル様を頼って逃げてきたそうだ。どうする? 国際問題になるリスクもあるが。」
「受け入れましょう。」
私は即答した。
ただし、感傷ではない。
計算機を弾き、コストとベネフィットを天秤にかけた結果だ。
「彼女たちは、私の掃除手順と衛生基準を熟知しています。即戦力です。」
「なるほど。人道支援ではなく、ヘッドハンティングか。」
「ええ。我がラボは事業拡大中で、人手が不足していますから。」
私は契約書の雛形を取り出した。
雇用条件、給与、福利厚生。
すべて帝国基準のホワイトな契約だ。
彼女たちを「難民」として保護するのではなく、「技術者」として雇用する。
それが、彼女たちの尊厳を守る最善の方法だと知っているからだ。
◇
数時間後。
国境の検問所で、私は彼女たちと対面した。
ボロボロの服、やつれた顔。
けれど、私を見つけた瞬間、彼女たちの目に光が戻った。
「マリエル様……!」
「よく来ましたね。シャワーと食事を用意してあります。」
涙を流して抱きつこうとする彼女たちを、私は制した。
まずは検疫と消毒。
それが私の流儀だ。
用意していた「簡易消毒ゲート(試作四号機)」を通過させ、清潔な服に着替えさせる。
「ありがとう……城はもう、地獄です。」
「水は腐り、誰も掃除をせず、病人が出ても放置されて……」
温かいスープを飲みながら、彼女たちは語った。
王国の内部崩壊は、予想以上に進んでいるらしい。
優秀な人材から順に逃げ出し、残っているのは逃げる気力もない者か、利権にしがみつく無能だけ。
国家という巨大なシステムが、機能不全を起こしている。
「あなたたちの所有権……いえ、所属は本日より私のラボに移ります。過去のことは忘れなさい。」
「はい、一生ついていきます!」
彼女たちの忠誠心は高い。
これでラボの生産性はさらに向上するだろう。
私は満足して頷いた。
しかし、その夜。
最悪のニュースが飛び込んできた。
レオンハルト様が、血相を変えて私の部屋に入ってくる。
「マリエル、緊急事態だ。」
「また故障ですか?」
「違う。王国軍が動いた。」
彼は窓の外、暗い国境線を睨みつけた。
「ギルバート王太子が、近衛騎士団を率いてこちらへ向かっている。『国宝級の人材を誘拐した帝国に鉄槌を下す』とな。」
「……逆ギレもいいところですね。」
自分の失策を棚に上げ、武力で解決しようとする。
それはもはや、指導者ではなく駄々っ子だ。
だが、相手は軍隊。
こちらは一企業と、一人の皇子。
「私が囮になりますか?」
「馬鹿を言うな。」
レオンハルト様は私を強く抱き寄せた。
その腕に、力がこもる。
「君には指一本触れさせない。帝国の剣が何たるか、教えてやる。」
彼の瞳が、冷たい氷の色に輝いた。
大型犬の甘えは消え、そこには最強の剣士がいた。
決戦の時は近い。
私は彼の胸の中で、静かに覚悟を決めた。
私の武器は魔法と契約書。
ならば、徹底的に戦おう。




