第3話 拡大する需要と大型犬
扉が、悲鳴を上げて開け放たれた。
屈強な男たちが、店内に雪崩れ込んでくる。
狭い店舗は一瞬で、むさ苦しい熱気と汗の臭いに包まれた。
「ここか! 団長のマントを新品にした店は!」
「頼む! 俺のシャツも洗ってくれ!」
「一ヶ月分の靴下だ、金ならある!」
カウンター越しに、泥だらけの布の山が積み上げられる。
視界が茶色く遮断された。
私は伝票を握りしめたまま、冷静にその山を見上げる。
(キャパシティオーバーですね)
彼らは、先日来店したレオン様の部下らしい。
「謎の店で団長がピカピカになって帰ってきた」という噂は、騎士団内で瞬く間に広がったようだ。
彼らの装備は、どれも魔獣の返り血や沼の泥で汚染されている。
私の手作業や、試作二号機一台では到底処理しきれない。
「皆様、落ち着いてください。順次受付を……」
「待てねえ! 明日には遠征なんだ!」
「この臭いのままじゃ、彼女に会えねえ!」
男たちの悲痛な叫び。
衛生環境の改善は、士気に関わる重要課題だ。
私は思考を切り替えた。
これは「小売り」のフェーズではない。「BtoB(企業間取引)」の案件だ。
「少々お待ちを。商談が必要です。」
私はカウンターの下から、通信用の魔石を取り出した。
提携を結んだ商工会長、ベルナルド氏への直通回線だ。
「緊急案件です。会長、今すぐ来られますか?」
◇
一時間後。
店の裏手にある作業場で、即席の商談が行われた。
出席者は私とベルナルド氏、そして騎士団の代表者だ。
テーブルの上には、私が描いた図面が広げられている。
「全自動洗濯乾燥機、量産モデル。これを騎士団の宿舎に導入します。」
私がペン先で図面を叩く。
家庭用の二号機とは違い、耐久性と容量を強化した業務仕様だ。
「導入コストはかかりますが、兵士一人当たりの洗濯時間をゼロにできます。その時間を訓練や休息に充てれば、部隊の生存率は上がります。」
「ふむ……」
代表者の騎士が、真剣な顔で図面を覗き込む。
横でベルナルド氏が、電卓代わりの算盤を弾いた。
「マリエルさんの設計は確かだ。我が商会が製造ラインを確保し、納品する。メンテナンス契約も含めれば、この金額でどうだ?」
提示された金額は、決して安くはない。
だが、代表者は即断した。
「採用だ。部下たちの衛生と臭いは、死活問題だからな。」
契約成立。
私は設計者としてのライセンス料を受け取り、製造と販売はベルナルド商会が請け負う。
所有権は騎士団に移るが、技術の根幹は私が握る。
完璧なビジネスモデルだ。
◇
数日後。
納品された洗濯機群が稼働し始めると、私の店には静寂が戻った。
……はずだった。
「マリエル……疲れた……」
閉店間際、大型犬のような男がふらりと現れた。
レオン様だ。
以前のような泥まみれではないが、精神的に消耗しきっている。
部下たちの装備が綺麗になった分、指揮官としての激務が増えたらしい。
「いらっしゃいませ、レオン様。今日は何のご用で?」
「メンテナンスを頼む……俺の……」
彼はカウンターに突っ伏した。
銀色の髪が、私の手元に散らばる。
商品の発注ではなく、彼自身のケアを求めているようだ。
私は苦笑して、店の奥のソファを指差した。
「どうぞ。特別コースですね。」
彼をソファに座らせ、温かいハーブティーを出す。
そして、私は彼の隣に腰掛けた。
すると、彼は当然のように横になり、私の膝に頭を乗せてきた。
あまりに自然な動作で、拒否するタイミングを逃す。
「……いい匂いだ。」
「洗剤の香りですよ。」
「違う。君の匂いだ。」
彼は目を閉じ、深く息を吐いた。
固く強張っていた表情筋が、みるみる緩んでいく。
この人は、戦場では鬼神のように強いと聞くが、ここでは無防備な子供のようだ。
私は恐る恐る、その銀髪に指を通した。
サラサラとして、冷たい金属のような感触。
けれど、その下の体温は温かい。
「君がいてくれて、よかった。」
寝言のように呟く彼に、私の胸の奥がきゅっと鳴る。
これは、ビジネス上の「顧客満足度」の話だろうか。
それとも、もっと個人的な……。
(いいえ、勘違いしてはいけません)
私は首を振って、自分を戒める。
彼は上客であり、私はサービス提供者。
感情労働も業務の一環だ。
そう自分に言い聞かせながらも、彼が寝息を立て始めるまで、私はその髪を撫で続けた。
膝に感じる重みが、なぜか心地よかった。
◇
一方、その頃。
国境を越えた私の故郷、王国の王城では、異変が起きていた。
「おい、どうなっている!」
元婚約者、ギルバート王太子の怒声が響く。
彼の執務室は、書類とゴミの山に埋もれていた。
「なぜ誰も片付けない! 侍女は何をしている!」
「そ、それが……洗濯室の配管が詰まり、ボイラーも故障しまして……」
従者が青い顔で報告する。
かつて私が、城の設備管理を一手に引き受けていたことを、彼らは知らない。
魔法による水質浄化も、配管の詰まり防止も、すべて私が密かに組み込んだ術式で維持されていたのだ。
私が去り、魔力の供給が絶たれた今、城のインフラは急速に崩壊を始めていた。
「アリス! 君が浄化魔法を使えばいいだろう!」
ギルバートは、そばに控える聖女に矛先を向けた。
しかし、金髪の聖女は顔をしかめて後ずさる。
「嫌ですわ。そんな汚いものに触れるなんて。私は聖女ですのよ?」
「くそっ……! マリエルなら、言わなくてもやっておいたぞ!」
彼が口にした名前に、室内の空気が凍りついた。
失って初めて気づく、水や空気のような存在。
それが私だった。
だが、もう遅い。
私は今、隣国の騎士の寝顔を見守りながら、静かな夜を過ごしているのだから。




