第7話 北方の反乱、帰還する黒騎士
その日、王都の空は鈍い灰色に覆われていた。
いつもなら穏やかな風が吹く季節なのに、冷たい空気が街を包み、人々は不安そうに空を見上げている。
「北方で反乱が起きた」
その報せが届いたのは、夜明け前だった。
王国の国境沿いに広がるノルヴァ地方――かつて貴族同士の内乱が起こり、多くの血が流れた土地。
そこが再び炎に包まれたという。
玉座の間に、緊張が漂う。
将官たちの声が重なり合い、命令書が次々と交わされていく。
レオニード王子――今や“王太子”として国の中心に立つ彼は、深く息を吐いた。
「……これが、静かすぎる平和の代償か」
その声には、王としての覚悟と、人としての苦悩が滲んでいた。
私は彼の隣にいた。
婚約者として、そして、ひとりの証人として。
「私が行きます」
彼の言葉に、広間の空気が止まった。
「陛下! 危険すぎます!」
「軍に任せるべきです!」
重臣たちが口々に叫ぶ。
けれど、レオニード様の瞳は揺らがなかった。
「私が行く。あの地は、私の祖父が血で治めた場所だ。
民の前に立つのが王の責務だ」
その姿を見た瞬間、私は悟った。
――この人は、もう迷っていない。
だけど、怖かった。
また誰かを失うのではないかという恐怖が、喉の奥で凍りつくようだった。
夜。
王子の執務室で、出発の準備が進められていた。
机の上には地図と報告書。
剣と軍服が整えられている。
「私も行きます」
そう言うと、彼は振り向いた。
「駄目だ。君はこの城に残れ」
「ですが――」
「これは戦だ。君を危険にさらすわけにはいかない」
わかっている。
けれど、黙って見送るなんて、もうできなかった。
「……私、もう“盾”でいたくないんです」
その言葉に、彼がわずかに目を見開く。
「私は、貴方の隣に立ちたい。
見ているだけじゃなくて、同じ景色を見たい」
沈黙が落ちた。
長い沈黙のあと、レオニード様は静かに微笑んだ。
「……君は、本当に強くなったな」
そして、手を伸ばして私の頭に触れた。
その手の温もりが、全ての不安を溶かしていく。
「ならば――覚悟しておけ。
王の隣に立つというのは、愛よりも痛みを知ることだ」
その言葉が、胸に深く刻まれた。
*
翌朝。
軍列が王都を出発する。
重なる蹄の音、翻る旗。
冷たい空気の中、兵たちの息が白く立ち上る。
私は王の護衛として、王子の馬車に同乗していた。
正確には、王命で特別に許された“同行者”だった。
旅の途中、何度か襲撃があった。
だが、その度に王子は自ら剣を振るい、兵たちを導いた。
その姿は、もはや“王子”ではなく、“戦場の王”だった。
「北方砦まであと一日」と聞いた夜。
野営地の焚き火のそばで、王子が低く呟いた。
「この戦の火を、誰が放ったと思う?」
「……敵国の影が関係しているのでは」
「違う。――王都の中にいる」
言葉を失った。
それはつまり、この国の誰かが裏で糸を引いているということだ。
「腐敗した貴族が、旧体制を取り戻そうとしている。
北方の兵を利用して、王権を奪うつもりだ」
王子の目が炎の光を映していた。
その瞳に、いつか見た孤独が宿っている。
「……殿下」
そう呼びそうになって、口を噤んだ。
彼はもう“殿下”ではない。
私の知る“レオニード”だ。
そして、その瞬間だった。
「伝令!」
兵が駆け寄り、息を切らしながら叫ぶ。
「北方軍、反乱の中心に“黒き旗”を掲げているとのこと!」
「黒き旗?」
王子の顔が険しくなる。
その言葉に、周囲の兵たちがざわめいた。
黒き旗――それは、かつて王国の内戦で使われた反逆の象徴。
けれど、その旗にはもうひとつの意味があった。
「報告によれば、先頭に立っているのは……“黒の騎士”」
息が詰まる。
まさか――そんな。
「黒の騎士とは、誰だ」
「名乗りはありません。ですが、剣の型が……“王立近衛式”です」
その瞬間、レオニード様の表情が凍りついた。
「……カイン」
その名を、誰よりも先に口にしたのは、私だった。
*
夜明け。
砦の上に、黒い旗が翻っていた。
その前に立つ一人の男。
長い黒髪を風に揺らし、背には漆黒の剣。
カイン・ヴァルディス。
あの夜、涙を残して去ったはずの騎士が、今は反乱軍の先頭に立っていた。
王子が馬上から彼を見つめる。
カインもまた、無言のまま剣を抜いた。
目が合った。
そこにあったのは、敵意ではなく――覚悟。
「……殿下。いいえ、陛下」
カインの声が風に乗って届く。
「私は、この国を正すために剣を取った」
その言葉に、兵たちがざわめく。
しかし、レオニード様は静かに馬から降り、剣を構えた。
「ならば、私も王として――お前の正義を受け止めよう」
二人の剣が、朝日に煌めく。
かつて誓い合った主従が、いま、運命を賭けて刃を交える。
私はただ、その光景を見つめることしかできなかった。
――再び出会ってしまった。
愛と忠誠の終わりに、始まりを告げる剣の音が響いた。




