第4話 禁断の夜、王子の秘密が明かされる
夜の王城は、昼よりもずっと静かだった。
広い廊下に灯る燭台の光が、長い影を作っている。
その影の中を、私はそっと歩いていた。
眠れなかった。
舞踏会の夜から、心がずっとざわついている。
レオニード様の言葉が、何度も頭の中で反響していた。
――君は“役”じゃない。少なくとも、私にとっては。
どういう意味だったのだろう。
それは“恋”の言葉? それとも“罪”の告白?
胸が痛い。
どちらでもいい。
ただ、この想いを止められない。
そんな気持ちのまま、気づけば私は王子の私室の前に立っていた。
扉の向こうから、かすかな声が聞こえる。
……誰かと話している?
反射的に身を引いた。
けれど、聞こえてきたその声に、足が止まる。
「……もう限界だ、カイン」
レオニード様の声。
そして、それに応じるように、低く震える声。
「殿下、誰かが……」
「かまわない。――私は、もう嘘を続けられない」
心臓が跳ねる。
“カイン”。
その名を、王子の唇から聞いた。
扉の隙間から見える光。
どうしてか、目が離せなかった。
*
部屋の中では、二人が向かい合っていた。
燭台の炎が揺れ、壁に二人の影が重なる。
レオニード様は軍服のまま、机に片手をつき、肩で息をしていた。
カインは膝をつき、その手を握っている。
「殿下。これ以上、私を縛らないでください」
「縛ってなどいない」
「いいえ。貴方は私を“守る”という名で、鎖につないでいる」
低い声。
怒りでも悲しみでもなく、どうしようもない哀情。
レオニード様の肩が震えた。
「……私は、国を、王を、民を守る義務がある。
でも、君を失うことだけは――できない」
その瞬間、カインが立ち上がる。
そして、ためらうことなく、レオニード様の頬に触れた。
心臓が止まる。
まるで時間が凍りついたみたいだった。
「それが、“殿下”の本音ですか」
「そうだ。……だが、私は王家の人間だ」
「なら、もう二度と“殿下”と呼びません」
カインが微笑む。
それは、涙を隠すような笑みだった。
そして――彼は、そっと唇を寄せた。
ほんの一瞬。
けれど、永遠にも感じられる時間。
私の中の世界が、音を立てて崩れていく。
これが、彼らの“真実”だったのだ。
*
どれくらいその場に立ち尽くしていたのかわからない。
足が震え、息が苦しくて、どうしても動けなかった。
ようやく気づいたときには、涙が頬を伝っていた。
誰かを責める気持ちも、悲しむ余裕もない。
ただ、理解してしまった。
――私は、知らなくていいことを知ってしまった。
静かに踵を返し、廊下を歩き出す。
背後から、何かの気配を感じた。
「……誰だ?」
レオニード様の声。
反射的に、私は影に身を隠した。
「誰か、いたのか?」
「いえ。気のせいかもしれません」
カインの声が続く。
足音が近づいてくる。
息を殺したまま、壁際に寄った。
そして、扉が開く音。
「……エリナ?」
その名を呼ばれた瞬間、全身が強張った。
――気づかれた。
扉の隙間から、青い瞳が私を見つけていた。
逃げようとしても、足が動かない。
「ここに……いたのか」
レオニード様が歩み寄る。
彼の後ろに、沈黙のまま立つカイン。
二人の間にある空気が、刺すように冷たい。
「聞いたのか?」
その声は、優しくて、でも震えていた。
私は唇を噛みしめる。
嘘をつけば、もっと壊れる気がした。
「……ごめんなさい」
それだけ言うのがやっとだった。
レオニード様は目を伏せ、そして小さく息を吐いた。
「……すべて、君に隠していた。
本来なら、君を巻き込むつもりはなかった」
「巻き込むって……」
「君が“婚約者”として注目を集めれば、
私とカインの関係は、誰にも悟られない」
その言葉で、ようやくすべての線がつながった。
偽りの婚約、秘密の保護、王城に渦巻く噂――
すべてが、二人のための“盾”だったのだ。
私は、息を呑んだ。
そして、自分の胸に手を当てる。
「……私、ずっと知りたかったんです。
どうしてあのとき、“私を役に立たせて”って言ったのか」
声が震える。
涙がこぼれそうになりながら、それでも笑ってみせた。
「ようやくわかりました。
私の役目は、“恋の盾”だったんですね」
沈黙が落ちる。
カインが視線を逸らし、レオニード様が一歩踏み出す。
「違う」
「いいえ、合ってます」
笑ってみせても、声が掠れていた。
「……でも、私は、もう盾にはなれません」
その瞬間、レオニード様の表情が凍る。
「君は、何を――」
「もう、嘘の婚約なんて、できない。
だって――本当に、好きになってしまったから」
言葉が出た瞬間、自分でも驚くほど胸が軽くなった。
涙が溢れ出して止まらない。
カインの瞳が大きく揺れる。
レオニード様は、ただ黙って私を見ていた。
そして、低く囁くように言った。
「……君は、愚かだな」
「そうですね」
「だが――美しい」
その言葉が、夜の静寂を切り裂いた。
次の瞬間、レオニード様の手が私の頬に触れた。
指先が震えている。
「君を巻き込んでしまった。
この罪は、いずれ私が――」
「罪じゃないです」
「……?」
「誰かを想うのは、罪なんかじゃない。
たとえその想いが、どんな形でも」
言い終えると、空気が少しだけ柔らかくなった。
レオニード様の瞳が揺れ、そして――初めて、本物の笑みを見せた。
「君は、強いな」
けれど、その笑みの奥には、もう戻れない覚悟が宿っていた。
*
部屋を出て廊下を歩く。
涙はもう止まっていた。
胸の中には、静かな痛みと、妙な温もりがあった。
――好きな人が、誰かを想っている。
それでも、その想いを知れたことが、少しだけ嬉しい。
夜風が頬を撫でる。
遠くで鐘の音が鳴った。
たぶん、明日からすべてが変わる。
けれど私は、もう逃げない。
“偽りの婚約者”ではなく、“ひとりの人間”として、
この世界で、自分の答えを見つけたい。




