表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/9

テンプレコール

河は、静かに流れていた。


だがその静けさの奥には、裂け目が広がっている。

水面下に蠢く、巨大な魚影。

姿を明かさぬまま、神秘の膜をまとい続ける異形の存在。


「……あれじゃ、配信映えしないね」


対策局への通報を終えた志乃は、腕を組み、橋の上から河を見下ろしていた。

隣には夜月。

無表情のまま、同じように水面を凝視している。


この河全体が、ダンジョンなのだ。

そしてボスは、あの魚影。


「対策局も、魚影だけじゃ動けない」


「魚影が本当に魚なのか、竜なのか、それともトビウオなのかわからないしね」


志乃はバックの中からロープを取り出し、準備を始める。


「それに、配信でしっかり姿を映さないと、連中が纏った神秘が薄れないから」


「やっぱり、水中から引きずり出すしかないかな」


夜月が言う。


「どうやって?」


「釣る」


そう言って志乃は橋の欄干にロープを括り、自分の腰に命綱を通す。


「餌は、私」


夜月が小さく瞬きをした。


「……あの時と同じことを?」


志乃は、あの高層ビルでの跳躍を思い出し、少し笑顔になる。


「今度は落ちても死なないように、工夫したよ」


冗談めかした声で、志乃は肩にカメラを微調整し、腕のモニタを起動。

カメラは既に回っていたので、コメントが一斉に流れ始めた。


「こいつまた飛ぶ気かよ」


「自殺志願者かな」


「そもそも前回どうやって生き残ったの」


「また落ちるの草」


死地を前に笑うのが、彼女の悪癖。

志乃の顔には、今回も笑顔が浮かんでいた。


「行ってきます」


そう言って、橋の欄干に立ち、志乃は落ちた。


空気を裂く音が耳に響く。

水面が近づいてくる。

その時、彼女の目に、河の中で何かがうごめいたのが見えた。


巨大な魚影。

あれが、ボスだ。

志乃の真下、水を割って巨大な魚が姿を現す。


全長は15mほど。

凶悪な棘のある背びれ。

赤い鱗。

巨大な目が一つあり、口からは牙がはみ出している。


それがこのダンジョンのボスの姿だった。


「ダンジョンボス確認。現在時刻、02時47分!」


その声が電波に乗った瞬間、巨大な魚は大きな口を開け志乃を飲み込もうとした。


「でっかっ!」「こいつ死ぬだろ」「やっぱ自殺か」「怪獣じゃんコイツ」


コメント欄の流れも速くなる。

だが、今回の志乃には命綱があった。

上からそれを、引っ張ってくれれば。


その時。


「──ッ!」


巨大魚の頭部に、鋭い衝撃が走った。

何かが突き刺さり、そのまま押し戻されるように巨体が水面へ沈む。


一瞬見えたのは、夜月の姿。

狼のような跳躍から繰り出された蹴りが、巨大魚の頭に直撃したのだ。


彼女は、そのまま巨大魚と共に水中へと消えた。


「命綱引っ張るだけでよかったのに……!」


志乃は、ロープに吊るされたままそう呟く。

その目に、モニタに流れるコメントが飛び込んできた。


「今のキックやばくね?」


「誰だよ今の」


「配信者の仲間?」


「いや普通に強くない?」


「キックはいいぞ」


志乃はロープにぶら下がりながら、カメラを顔へ向ける。


「ねえ、さっきのキック。もう一度、見たくない?」


コメント欄が一瞬静まり。

次の瞬間、文字の濁流が爆発する。


「みたい」「もう一回!」「キック頼む」「見たい」「蹴れ!」「キック!」


志乃は笑った。


「じゃあ、見せてあげる」






──夜の河に、ひときわ大きな水飛沫が上がる。


跳ね上がったのは、巨大な魚と、それにしがみつく夜月だった。

水面を暴れ回るボスの背で、夜月はその硬い鱗に喰らいつき、ひたすらしがみついている。


牙は通らない。

爪も弾かれる。


魚は、背中の小さな異物を振り落とそうと、身体ごと水から飛び上がる。


それを橋の上から見ている者が居た。

志乃だ。

彼女は、自分に向けたカメラに小さく語り掛ける。


「テンプレコール」


カメラ越しに、それを見ていた数百人が唱えた。

自らの見たいものを。

自らが望む物を。


即ち。


「キック」「キックだ」「キックしろ」「さっきのように」「あの威力で」「いやもっと強く」「光のような速度で」「キックしろ」


言霊が、発動する。

身体に力がみなぎる。

その力を使い、志乃は再度跳躍。

その衝撃で、橋のコンクリートがバキリとひび割れた。


足を折りたたみ、片足を前に。

まるで槍のように構えたその姿は、言葉にならない美しさを孕んでいた。


「キック」


志乃の言葉と共に、先ほどの夜月以上の速度で加速。

飛び上がってきた巨大魚に、志乃の足が直撃する。


音が、遅れて聞こえた。


バチィン!と、風が弾けるような衝撃音。

硬質の鱗が砕け、水飛沫が爆発した。


河が割れたのではないかと思うほどの衝撃。


コメント欄が──爆ぜる。


「キックだ!!」「来た来た来た!!」「前回より速いぞ!!」「もっとキック!」「もう一度!」「キックで叩き落せ!」


志乃はそのまま魚の背中を蹴って、天に向け跳ね上がる。

濡れた髪が弧を描き、モニタ越しの世界に残像を焼きつける。


その姿を、夜月は水に浮かびながら見ていた。

空を割る光のような志乃の姿を。


──やっぱり、この人は。


「美しいですね、志乃」


夜月は呟く。

その瞬間、天から落ちてきた二発目の蹴りが、巨大魚の頭に突き刺る。


巨大魚の鱗が破壊され、頭が割れ、血が噴出する。

志乃と共に、河に落ちたそれは、もうピクリとも動かなかった。


そのまま、鈍く水中へ沈んでいく。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ