狩場へ
「……ダンジョンができました。私たちの狩場です」
その言葉に、志乃は即座に起き上がった。
眠気など一瞬で吹き飛ぶ。
「そういうの、わかるものなんですか?」
「匂いで分かります」
夜凪の言葉に、志乃は頷きもしないまま、淡々と装備に手を伸ばした。
耐刃性のジャケットを羽織り、ベルトに固定されたスタンガンの充電状況を確認。
予備バッテリーと、お守り代わりの煙幕弾をポーチに放り込む。
肩のカメラを取り付け、腕には小型モニタを巻き付けた。
ガチャン、という金属音が部屋に響く。
志乃の瞳は、先ほどまでの眠気も、不安も、情も、すっかり切り捨てたように研ぎ澄まされていた。
「夜凪は、何ができるの?」
「何でもできます。志乃が望むのなら」
「……具体的には?」
夜月は一拍置き、微かに目を細めた。
「狼であった頃にできていたことなら、大抵のことは可能です」
「高層ビルから飛び降りたり?」
その問いに、夜凪は珍しく。
口の端をわずかに持ち上げて、微笑んだ。
「楽しそうですね、志乃」
「そう?」
志乃は首を傾げたが、自覚はなかった。
だが夜凪には分かる。
ダンジョンに向かう準備をしている時の志乃は、どこか生き生きとしていた。
言葉遣いも少し変わっている。
研ぎ澄まされた意識。効率化された動き。
それは日常の志乃とは明らかに違っていた。
「場所は?」
「ここから、100メートルほど先の河です。コンクリ護岸の下に──裂け目ができています」
「水中のダンジョンだったら私達では手が出せないね」
志乃は独りごちるように言いながら、首元のゴーグルをカチリと下ろす。
最後の装備だ。
彼女の瞳に、迷いはなかった。
「じゃ、行こうか」
夜の街が静かに息を潜めている。
そのなかで、二人の影だけが月に照らされ、音もなく扉の外へと消えていった。
1人の狩人と、元・獣の従者。
その歩みは、静かに世界の裂け目へと向かっていく。