8、王太子ディエゴについて①
ちょっとキリが悪くなったので夜にもう一つ上げれれば上げたい
リッソーニ公爵家の一人娘のベアトリーチェ・ソフィア・リッソーニを初めて見たのは、王家が主催した王太子ディエゴに友人という名の臣下と婚約者候補を選ぶパーティーだった。
一目見た瞬間に周りの子息令嬢たちがただの石ころに見えるほど、可愛らしい少女だった。癖のないブロンドの髪、色白の肌、長いまつ毛は王宮で働いている使用人たちのために月に2度訪れる商人が持参していた商品の中の人形のようであった。
国王ベッファと王妃シルヴィアに両親と一緒に挨拶をしているのか、子息令嬢たちと話しているためその場にいないディエゴを特に気にしている素振りもなく、ベアトリーチェは頬を染めて笑っていた。貴族の子供たちが侍り媚びる存在である王太子のディエゴを気にも留めず、挨拶もしに来ないベアトリーチェにひどく腹が立ったのも今でも覚えている。
国王と王妃と少しだけ込み入った話をするためか、ベアトリーチェは子供たちがいる場所へ案内されていた。上位貴族ではなく下位貴族の子息令嬢たちに挨拶をし、笑い合っている。それすらも腹立たしかった。まず挨拶すべき存在は誰なのか、分からせてやる必要があるとディエゴは思った。
―――幼くても分かる美しさ。あれは絶対俺のものだ。
ディエゴはそれが嫉妬という感情だったことに気付かず、ベアトリーチェのいる場所まで向かうとその場にいたベアトリーチェ以外の者だけを呼び、場所を移動した。ディエゴに話しかけられた下位貴族の子息令嬢は嬉しそうに頬を染め、その場に一人残されているベアトリーチェのことなど誰も気にも留めていなかった。
誰にも気に留められず傷付いているだろうから、王族であるディエゴが話しかけてやればその優しさに気付くだろう、と戻ってくるとベアトリーチェの姿はどこにもなく、付近にいた使用人に聞くと公爵家の者は皆帰ったと知らされた。
「僕の優しさを無下にするとはなんてやつだ」
挨拶もなしに帰ったことに怒りを覚え、部屋に戻ってすぐにテーブルやイスをひっくり返した。それだけでは怒りは収まらず、本も花瓶も手が届く範囲の物を叩き落し、壁際に控えるメイドを引き倒すと何度も足蹴にした。メイドは一切声を上げず、体を縮こまらせてされるがままとなっていた。
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倒れて足蹴にされているメイドはディエゴが街に遊びに行った際に見かけて連れ帰った花売りの少女だった。たまたま通りかかった道で萎れた花を売っており、気まぐれで従僕に買いに行かせたのだが、花を買った人物が高貴な身分と分かると花売りの少女は被っていた頭巾をとり、礼をした。
頭巾から出てきた髪がくすんだブロンドでディエゴはそこを気に入り、部屋付きのメイドとして雇うように従僕に声をかけた。
「殿下、ですがこの者の身分では王妃様が何と言われるか……」
「大丈夫だ、僕がお願いすれば父上も母上も頷いてくれる」
にこりと人好きのする笑みを浮かべ、花売りの女に声をかけた。
「君は独りか? 名はあるの?」
「は、はい。身寄りは……名もありません」
「そう……それじゃあ君は今日からジルダだよ」
「ジルダ」
「そう、よろしくね」
「はいっ」
汚れた服にぼさぼさ髪、荒れた手が元々は白だったと思われる汚らしいエプロンをぎゅっと握りしめ、少女ジルダは何度も頭を下げた。ディエゴは馬車の中には座らせず、御者の横に座らせ城へと戻った。その光景を目撃した者、話を聞いた者たちは不遇の少女を助ける心優しい王子様だとディエゴを褒め称えた。
ディエゴは城に戻るなり、国王と王妃に少女の惨状を訴え自身のメイドにしたいことを伝えた。ベッファはディエゴの優しさに感動し、すぐに許可を出した。しかしシルヴィアは少女の身辺調査をした後でなければ了承できないと答えた。
「母上、あの者は身寄りもなく可哀想です。もちろん部屋付きの清掃メイドでいいので!」
「ディエゴ、貴方は少女とはいえ、女性使用人を傍に置くということを分かっているのですか」
「分かってます。でも今は一人でも今後はもっと多くの者を助けたいのです」
真っ直ぐな視線にシルヴィアは息を吐く。
「分かりました。ですが身辺調査はさせるので、一日待ちなさい」
「母上、ありがとうございます!」
椅子から飛び降り、ディエゴはシルヴィアが座っている場所まで行くと、子が母に甘えるように抱き着いた。シルヴィアも優しく抱き留めディエゴの頭を撫でた。
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過去のことを思い出し、ディエゴはメイドのジルダに唾を吐きかけた。シルヴィアがすぐに自身の願いを聞き入れてくれず、思い通りにならなかったことを思い出し再度ジルダの背中を蹴った。こんな枯れ枝のような体をした女に興味はなく、今後育ったとしても遊ぶ程度に手は付けたとしても、もしそれでどうにかなったとしてもそれはディエゴにとっては気にする価値もないものだ。
はあ、と深い息を吐き震えているジルダから足を離した。タイミングを見計らったように侍従から夕食の声がかかり、良い機会が来たと足早に部屋を後にした。
「父上、母上、僕はあの子がいい」
「あの子? 気に入った子息がいたのか?」
「いえ、婚約者です」
「あら、もう見つけたの?」
「はい。ブロンドの青のドレスを着ていた子。僕の目の色だった」
言い終わり止めていた手を動かし、食事をする。気に入る相手が見つかったのだ、そう考えるといつもと同じような料理ではあったがさらに美味く感じた。ふと、母であるシルヴィアの顔を見ると困ったように笑っていた。
「ディエゴ、リッソーニ公爵令嬢のことを言っているのね。でもね、あの者たちは領地に帰るための挨拶に来ていただけなの。公爵令嬢は貴方の婚約者候補で来ていたわけではないのよ」
「なぜですか? 僕はあの子がいいのに。父上からも母上にお願いしてください!」
「いや、だが……」
「駄目なものは駄目なの。貴方とベアトリーチェ嬢では血が近すぎるの、この意味が分かる?」
「分かりたくない! でもあの子がいいんだ」
うう、といつもなら涙を流すディエゴの願いを結局は聞いてくれるシルヴィアだが、今回ばかりは首を縦に振ってくれず、ディエゴは内心で「生まれが王族でもないくせに口を出すな」と母であるシルヴィアを罵った。その日の夕食はディエゴがそのまま飛び出していき席を立ったため、3人での食事はお開きとなった。
しかしディエゴは諦めておらず、シルヴィアにベアトリーチェにもう一度会いたいと言えば、公爵領は遠いからと断られた。それならばと、シルヴィアがいないところでベッファにベアトリーチェを婚約者にと強請ったが良い返事は返ってこなかった。年に数度開かれる私的な王家主催のパーティーでもリッソーニ公爵と夫人しか来ず、ベアトリーチェが参加することは一度もなかった。
シルヴィアが言っていた「血が近い」という理由を侍従に聞き、意味は分かった。けれど王太子であるディエゴからしてみれば、それがどうした、という感想しかなかった。血が近かろうが気に入った女を手に入れたい、という欲念にディエゴは憑りつかれたように、ベアトリーチェを欲したのである。
今まで全ての願いが聞き入れられていたからこそ、ディエゴはこの願いは絶対に叶えなければいけないとさえ思った。