55、ベアトリーチェ、学園入学前の出来事
ベアトリーチェは十六歳となった。
数年の王太子妃教育とは別に淑女教育も受けて、内面も外面も完成されつつあった。
王太子妃教育という名目で、公爵家からは引き離され、王都にある公爵家のタウンハウスではなく、王宮に住んで生活していた。
国王ベッファ、王妃アリアからはディエゴの婚約者ということもあって、実の親と同じくらいの愛を注いでもらえている。
―――ソフィアおばあ様のことは、陛下とアリア様に聞くことしかできないから、どこまでが本当のことかは分からない。けれど……それでも、陛下もアリア様も、レベッカ叔母様より可愛がってくださっているのは事実だわ。いくら、ディエゴ殿下が信じられないくらいどうしようもない男であったとしても、両陛下のために頑張らないといけないわよね……。
二人からの優しさが、無償の愛だとは思ってはいない。
現当主である叔父夫婦は繋ぎであり、女公爵として公爵家を継げなくとも、その後のことは考えているとベッファはベアトリーチェに告げている。
国王夫妻の言葉を信じ、ベアトリーチェは今を生きているのだ。
「荷物の準備が整いました」
「ありがとう」
ベアトリーチェに付けられている侍女は公爵家にいた面々ではない。
ニナは公爵家に残り、そちらで仕事をこなしているのだが、ここ数ヶ月会うこともできていない。王城での侍女たちはベッファが選んだ者たちのため、ベアトリーチェは不自由なく過ごせている。
そのため、公爵家から新しい侍女を呼びたいと、言える雰囲気でもない。
「では、馬車まで運ばせておきます」
「ええ、お願い」
父であり前公爵であったリカルドの弟で、現公爵のフォレからのお願いでひと月に一度、ベアトリーチェはタウンハウスに戻ることになっている。
『王太子妃教育もありますが、ベアトリーチェは私たちの可愛い姪なのです。ひと月に一度、タウンハウスに戻る許可をお与えください』
この言葉を聞いた時、ベアトリーチェはドレスの裾を握りしめた。
『フォレよ、お前もソフィアの息子だ。そんなに畏まらずともよいではないか。もちろん、帰る許可は認めよう』
『陛下、ありがとうございます……!』
―――叔父様のお願いではなく、正確に言えば叔母様のお願いね……。可愛い姪だなんて……。今回の持ち出しの品は、叔母様が好きそうなものがあって良かったわ。前回は叔母様の気にいる品がなくて、かなり叱責されてしまったから……。
前回の薄っすらとだが記憶に残る叔母の表情に、体を震わせた。
なぜだかタウンハウスに戻ると記憶が曖昧になってしまう。もちろん、何をしたかは覚えているし、話した内容も覚えている。だけれど、その覚えている内容が曖昧になるのだ。
ベアトリーチェはゆっくりと部屋の中を見渡し、忘れている品がないかを確認する。
王家しか仕立てさせることができないような物を持ち出すために、公爵家へと戻っているのだ。忘れ物は許されるはずもない。覚えていないが、忘れていると罰があるような気がするのだ。
ノックの音が響き、その後に声がかかる。
返事も待たずに、婚約者であるディエゴが部屋に入って来ると、ベアトリーチェの質素だが体のラインを際立たせるドレスを見て、下卑た笑みを浮かべた。
「よくもまあ、毎回ドレスや宝石を持ち出すものだ」
「ご機嫌麗しく、殿下」
「挨拶はいい。持ち出しに気付いたからこそ、お前には似合わないそのような質素なドレスに、けばけばしいドレス、似合いもしない宝飾品を渡しているのだから。毎度、嬉々としてそれらを身に着けて茶会や夜会に出席している公爵夫人は笑いものになっているのが、恰好でまた面白い」
「ディエゴ殿下、そのように仰られるのはおやめください」
「ふん、さっさと戻ってこいよ。次のドレスの仕立てを見せてやろう」
「……承知いたしました」
頭を下げると、ディエゴはベアトリーチェの肩を撫でるようにして触れた。
ベアトリーチェは不快感を顔には出さず、この瞬間が終わるのを待った。
―――毎回タウンハウスに戻る日にはいらっしゃるけれど、今日はいつも以上に楽しそうだわ……。
じっと待っていると侍女からの声がかかり、ディエゴは機嫌良さげに部屋を出て行く。
ベアトリーチェもその背中を見送りながら、頭を下げた。侍女はディエゴの足音が聞こえなくなると、ベアトリーチェに言葉をかける。
「ベアトリーチェ様、馬車の準備が整ったそうです」
「分かりました。では、参りましょうか」
侍女たちと共に馬車まで行くと、王城を振り返ることなく馬車に乗り込む。
ガタゴトと音はなるが、流石は王家が用意した馬車である。
揺れはそれほどなく、馬車の中でようやく一人きりになれたベアトリーチェは、持ち込んだ宝石箱に手を置いた。王族のみにしか使用が許されていない意匠が施された宝石箱は、シンプルな雰囲気が好きなベアトリーチェの趣味ではなかった。
「ベッファ国王とアリア王妃からのプレゼントだから、これだけは取り上げられないのよね……」
中にはディエゴから贈られた大ぶりなシトリンのイヤリング、流行を取り入れた大粒なルビーのネックレス、ローズクォーツが散りばめられた髪飾りが入っている。それら全て、ベアトリーチェが身に着けたのはたったの一度きりである。
―――私の髪色や瞳の色、肌では全てボケて見えて輝けない宝石ばかり。でも、派手なデザインのものが多いから、きっと前回の叩かれた跡を見て……考えて詰めてくれたのね。大丈夫、これなら叔母様は喜んでくれるはずよ。
大人びた顔立ち、美しい金の髪、赤い瞳に白く輝く肌。
ディエゴはベアトリーチェに似合う宝石をあえて渡していなかった。全て叔母であるレベッカに渡ることを知っているからだ。
「今回の者も全て大きな宝石ばかり……次にいただく品もきっとそう。そして私の悪い噂を流させて、我儘な令嬢に迷惑をかけられている可哀想な王太子を演じるのね」
全てが同じだった。
毎回、似合わない装飾品を贈られる。それを身に着け王太子のエスコートで茶会に出ると、周囲は嘲笑うかのような目を向けてベアトリーチェを見てくる。ベアトリーチェは最初こそ誤解を解こうとしたが、出所の分からない噂はすぐに浸透し、否定することすらできなくなっていた。
恐らく、次に渡される装飾品にも大粒な宝石が使われているだろう。
そして、それもまたベアトリーチェがディエゴに強請って購入させた、と我儘な公爵令嬢の噂が一つ増える。今のベアトリーチェにとっては、なぜディエゴがそのようなことをするのか分からず、ただ屈辱に耐えるしかできなかった。
ベアトリーチェが宝石箱に視線を落としていると、コツコツと窓を叩く音が聞こえた。
「失礼いたします」
「……はい」
「リッソーニ公爵家に到着いたします」
「ああ、もう……。ええ、ありがとう」
屋敷の門をくぐった瞬間、ベアトリーチェを包んだのはいつものなんとも言えない空気であった。




