54、ベッファの願い
53で過去編終わりました。
ここからは現在に戻り、最後に向かって話が進んでいきます。
ベアトリーチェを送り届けたアリアが扉を開けて戻ると、室内には重苦しい空気が広がっていた。
昼間だというのに部屋の雰囲気は薄暗く感じる。
穏やかな日差しが差し込む窓際に、一人の男が佇んでいた。かつて、婚約者たちを追いやりながら自分の願いを優先させた男は、時の流れに抗いきれぬ姿で佇んでいた。
「……送り届けてまいりましたわ、ベッファ様」
アリアの声は数十年前の魔術師長時代と変わらぬ、鈴を転がすような透明な声色だった。
ベッファはゆっくりと振り返る。その瞳はアリアを通り越し、もっと遠くを見つめるように向けられていた。先ほどまでこの場にいたベアトリーチェの姿を探しているようであった。
「アリア、ベアトリーチェは上手くやれそうか」
「ええ。ベアトリーチェ様はベッファ様のお話を信じ切っておりましたわ。ふふ、ソフィア様が時を超えて戻ってきたかのように純粋で清らかで美しくて……。驚くほどソフィア様に似ておいでですもの。ディエゴ殿下が彼女に執着なさるのも、無理はありませんわね」
「…………」
「血は争えないということかしら、ふふ」
アリアはあえて思い出させるようにベッファへと微笑みかけた。
ベッファにとってあの時の出来事の中で、最も触れられたくない過去を平然と話す。その無神経な語りに、ベッファの頬がわずかに引き攣る。
「……似ているどころではない。ベアトリーチェはソフィアの生まれ変わりと言ってもおかしくはないだろう? あの佇まい、容姿、そしてひきつけるような気品……あれは、あの日私の腕をすり抜けていったソフィアそのものだ。ただし、あの目の色だけは許せないがな」
「あら、赤く燃えるような瞳も素敵ですけどね」
ベッファは窓の縁を強く握りしめた。
ぎしっとわずかに音を立てるが、気にすることなくさらに力を強め苦い表情を浮かべる。
「あの時……あの時、お前がソフィアとエルマンノの密会を私に報告していれば、ソフィアは私の隣にいるはずだった。それができなくなった今、ソフィアの孫娘であるベアトリーチェをこの手で理想の女にする。それが私の今の願いだ」
「あら、ご自分では手が届かないから、息子であるディエゴ殿下を使うのね。相変わらず歪んでおいでですわね……でも、その執着に私は惚れ込んだの」
「ならば、もっと協力しろ。今度は絶対に私を裏切るな」
アリアは地に足が付いていないかのように静かにベッファに近づくと、その耳元で甘く囁いた。
「お忘れですか? あの時、お約束を反故にされたのはベッファ様……あなた様の方ですわ。アイリス様のお体の調整、ハンナ様の隷属魔法……全て上手くいったら私の願いを叶えてくれると言ったでしょう? でも、それを蔑ろにされたのはベッファ様ですわ」
「……いつが良いと申さなかったのは、お前の方だ」
「あらやだ。約束とは契約。その契約を蔑ろにしてソフィア様をひたすらに求め、私を悲しませたのは、ベッファ様ですわ。子供のようなことを言うのはおやめになって」
「……黙れ。その後、願いを叶えてやったんだ、何か問題はあったか? お前がもう少し早く私に思い出させていれば、ソフィアをこの手に……。まあ、良い。結果としてリカルドの娘の誕生に合わせて、シルヴィアにも子ができたのだからな」
「あぁ、シルヴィア前王妃も本当にお労しい……。ベッファ様の願いのために、知らないうちに実家である公爵家は陥れられ、婚約者だった方とも別れさせられて……。十八歳の少女は二十九も離れた国王と結婚し、気付かぬうちに子を宿し、夫である国王は自分の息子に若き日の己を重ねて見ているのですもの。まあ、もう亡くなっているので知らないまま逝けて、良かったのかもしれませんわね」
アリアはくすくすと、少女のような笑みを漏らした。
「よく言う。腹の子とて、お前の案で薬湯を使い早く産まれさせたではないか」
「だって、ベッファ様がそれを望みましたから。同じ年の子が欲しい、と。それに私はすでにその時には腹に子を宿しておりましたから……でも、同じ年だと面白くないでしょう? だから、わざと時期をずらして産みましたの。私は永い時を生きているので、面白く楽しく生きていきたいの」
ベッファはアリアを無視するように、双眸を閉じた。
閉じられた瞳の奥には、息子の願いを叶えた父親の『欲』ではなく、自分の願いを叶えただけの『欲望』が滲んでいた。
「……いいか、アリア。わざわざ伯爵家に入り込んで、ディエゴに取り入り王妃となったのだ。今度こそ私の願いを叶えろ。ソフィアがいなくなってしまった今、私の望みは単純だ。大聖女として結界を張り続け、私の国の平和を担っているハンナをより苦しめろ。ハンナが最も憎んだソフィアの孫娘であるベアトリーチェが、私の息子のディエゴと幸せに生きていく世界こそ、あいつにとって最高の復讐だ」
「あら……ハンナ様も喜びますわ。あなた様にずっと執着されているんですもの……ああ、羨ましい」
窓に映る二人の姿。
執着の塊のようになりつつある老いゆくベッファと、永遠の時を生きる美しい魔女アリア。
今尚、ハンナは自由を封じられたまま国の結界を張り続けていた。その事実を知らないまま、国民は自由と平和を謳歌し、国王であるベッファは真実の愛に執着し、国を治めている。
息子であるディエゴにもその執着は受け継がれ、ハンナと同じ世界を生きていた者によって、この世界は続けられていくのだ。




