4、ベアトリーチェ12歳と叔父夫婦②
社交シーズンが終わり、叔父夫婦が王都から公爵領へ戻ってくると連絡が入ったのは、叔父夫婦が公爵領を出て半年以上経ってからだった。領地に戻ってきた叔父夫婦を使用人らが出迎える中、ベアトリーチェも一緒に玄関ホールで出迎えた。
どんな話し合いが行われたのか、叔父夫婦に何度も手紙を送ったが返事は中身のないものばかりで、結果を早く知りたいがためだった。馬車から出てきた二人を見て表情には出さなかったが、驚きのあまり息を呑んだ。
フォレもレベッカも公爵家を出立した日の服装とはまるで違う、かなり豪奢で質の良いものを着て帰ってきていた。今まで二人は男爵の身分に見合うドレスなどを着用していたが、王都では公爵家の代理ということで相応の服や宝飾品を求めたことは報告が来ていたが、まさか普段着としても着ていたとはベアトリーチェは思いもしなかった。
これは後から聞いた話ではあるが、社交シーズン途中でレオナルドが倒れたこと、看病と職務をこなしていたシャルロッテも同じように病に倒れたことで報告が滞っていたそうだ。セルジオがタウンハウスの使用人から話を聞くと、少し気に入らないことがあればフォレもレベッカも所構わず叱責しだし「私たちはベアトリーチェのためにしているのだ。お前たちも執事のようになりたくなければ、大人しくしていろ」と恫喝にも似た言葉を出してくるようになったそうだ。
それでもセルジオに連絡を取ろうとする者もいたが「お前の家族がどうなってもいいなら好きになさい」と使用人たちは家族のことまで口に出され、レオナルドとシャルロッテのことも思い出し、一同黙ってしまったらしい。
タウンハウスの使用人の中には臨時で雇われている者も多く、こうした者たちが屋敷の代理とはいえ主人に強く出られると口を閉ざしてしまうのも当然のことであった。
「長旅お疲れ様でした」
「ああ、疲れたよ。ベアトリーチェ、君と王太子殿下の婚約を承諾したよ」
ホールの中央に立ち疲れたと言いながら、明るい声色で話す叔父のフォレの言葉に、その場にいた一同は凍り付いた。
「え? なぜそのような……」
「まあ、お義兄様もお義姉様も、それにお義父様もなぜ王家からの打診を今まで断ってきていたのかしら? 殿下はとても素敵なお方でしたわ。男爵家の私たちにも気さくにお声をかけてくださって、直接お会いし打診されては、代理とはいえ、まだ男爵家の私たちでは断ることは不可能でしたわ」
レベッカはまるで少女のように笑う。
その無邪気な笑顔は悪意の一つもなく見え、叔父であるフォレも同意するように頷くばかりであった。ベアトリーチェには直接ディエゴに会った記憶はないが、幼い時に一度公爵領に戻る挨拶をしに王宮に行った際に会ったことがあるらしい。けれど会話をした覚えはなく、なぜここまで執拗に打診してくるのか不思議でたまらなかった。
「そんな!」
「……公爵家はどうするのですか」
ニナが驚きのあまり横で声を漏らすのが耳に入り、手で制止するとニナはハッと顔を強張らせ俯いた。
「安心して、ベアトリーチェ。私とフォレで盛り立てていくから、ね、フォレ」
「うん。だからベアトリーチェは心置きなく王太子の婚約者になりなさい」
腕を絡ませ合いながら、にっこりと笑みを深くし笑いあっている二人に、ベアトリーチェはまんまと嵌められたことに気付いた。心置きなくと言われても、この状況でそれができると思える方がどうかしている。呆然と立ち尽くすベアトリーチェを置いて二人は現在寝室として使用している部屋へ立ち去って行った。
「こんなのあんまりです」
「ニナ……優秀な侍女はね、人前で顔に出しては駄目よ」
「私の落ち度です」
隣で話を聞いていた家令のセルジオが静かに口を開いた。
「いいえ、貴方のせいではないわ。私も考えが足りなかった」
12歳の少女を助けるために動いてくれていたセルジオを誰が責めることができるだろうか。セルジオはベアトリーチェに領地に関することを教えながら、領地の経営をしてくれていたのだ。感謝以外の言葉は何もない。
自身の代わりに顔を歪め言葉にしてくれるニナのおかげで、ベアトリーチェは反対に頭の中の整理が出来つつあった。ベアトリーチェの世界はたったの数年で目まぐるしく変わってしまった。これは変えられない事実である。
今までの努力は無駄になることはないだろう。しかしこれからは両親も祖父も強く反対していた王太子の婚約者になる道しか残されていないことを、受け入れなければならないのだ。
暗くなった顔色に気付いたセルジオがパンッと手を叩き、空気を変えた。
「ベアトリーチェお嬢様、今日はお疲れでしょう。お部屋で休まれてはいかがですか」
「そうね、そうしようかしら」
「ニナ、お嬢様をお部屋へ……ああ、その前に一つだけ。ニナ、貴方はベアトリーチェお嬢様の侍女という自覚をもっと持たなくてはいけませんよ」
「セルジオ様、申し訳ございませんでした」
「いいえ、ではお嬢様に美味しいお茶の用意を」
「はい! お嬢様、ご案内いたします!」
「案内って……ふふふ、私の家だからどこに何があるかはわかるけれど、ニナにエスコートでもしてもらおうかしら」
ニナの言葉にベアトリーチェは少しだけ表情を崩した。
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セルジオは去って行くベアトリーチェとニナの背中を見送り、自身の不甲斐なさを悔いた。
今まで公爵家の跡継ぎに関して特に興味を持つこともしなかったフォレが、隣地の男爵令嬢レベッカと結婚してから頻繁に公爵家に顔を出すようになっていた。独身時代でも二カ月に一度公爵家に立ち寄る程度だったが、結婚してからは一カ月に二度は顔を出すようになっていた。
前公爵夫妻のリカルドとイザベラは「男爵の収入は少ないからきっと大変なのでしょう」と二人に直接声がけはしなかったが、さり気なく資金の援助をしていた。しかしフォレもレベッカも前公爵夫妻の優しさを分かってか、遊びに来てはあまり使用していない装飾品などを持ち出すようになっていた。
この時点でフォレはレベッカによって、いいように扱われていたのだろう。
リカルドもイザベラも、そして家令のセルジオも装飾品ぐらいならと甘く見てしまっていた。フォレの性格からして公爵家の跡取りは絶対に務まるはずもなく、跡を継ぐ気はないが単純にもう少しだけ良い暮らしがしたいから装飾品などを持ち出しているのだろうくらいにしか思っていなかった。
また男爵家に借金問題などもなく、レベッカも周囲からは気さくで明るく、働き者の令嬢と言われていたため、二人が公爵家を乗っ取るなどとは誰も考えてはいなかったのである。
セルジオは自分の見る目のなさと不甲斐なさを悔やむばかりであった。
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自室に戻りベアトリーチェはソファに腰かけた。両親ともに病に倒れたと知らせを受けたニナは気丈に振舞ってはいたが、誰がどう見てもいつもの元気な姿ではなかった。無意識にニナを目で追っていると、ハーブの香りが部屋に優しく広がっていた。
「お嬢様、どうぞお飲みください。心が落ち着きます」
「ありがとう。ニナもそこに座って一緒に飲みましょう」
「いえ、私がご一緒するなど」
「誰かと一緒に飲みたいの。ニナ、いいでしょう?」
「はい……はいっ」
席に着くなりニナの目からは大粒の涙がこぼれた。先ほどまで叔父夫婦やセルジオと話していた時には見せない姿に、ベアトリーチェはテーブルに置かれた小刻みに震えているニナの手にそっと自身の手を重ね、優しく包み込む。
「セルジオからレオナルドとシャルロッテは無事に回復していると教えてもらったの。遅効性の毒を使われていたことも分かったから、解毒薬は簡単に見つけられたわ。ニナ、大丈夫よ。レオナルドもシャルロッテも必ず助かるわ」
「お嬢様、ありがとう、ございます、ありがとう……」
こくこくと何度も首を縦に振るニナの手はぎゅっと握りこまれ、震えは小さくなっていた。
「駄目よ、ニナ。手のひらに傷がついてしまうわ」
「いいんです、どうせ私の手なんて」
「私が嫌なの。ニナの手は触れてるだけで心を温かくしてくるんですもの。そんな手が血だらけなんて私、許せなくってよ」
「え、あの、はい、承知いたしました」
握りしめられていた手の力がゆっくりと抜かれ「ありがとう」とベアトリーチェは言った。
「ねえ、ニナ。私と一緒に王都に来てくれないかしら」
「あ、あっ……もちろんです! 私がお嬢様から離れることは絶対にありません! お嬢様が嫌がっても足にしがみついて引きずられてでもお供いたします!」
ニナはガタリと飛び跳ねるようにソファから立ち上がると、重ねられていた白く美しいベアトリーチェの手を逆に強く握りしめた。先ほどまで震えていたか弱い少女の手ではなく、強く逞しい少女の手の力だった。
「ふふふ、ありがとう。ニナが一緒だと安心できるわ」
「はい! お任せください!」
ふんすと鼻息荒く返事をし、それ以上の言葉をニナは言わなかった。ニナの性格は瓜二つなくらいレオナルドに似ている。そのレオナルドは、公爵家の中でも特に信頼されていた。上級使用人ということだけではなく、上級下級関係なく使用人全員に公平な態度をとるからだ。
そんなレオナルドに誰が毒を盛ったのか、恐らくシャルロッテも同じ毒が使われたのだろう。調査せずともすぐに分かりそうな答えではあったが、ベアトリーチェには今はまだその事実を受け入れられず、大人しくしているしかないと唇をかみしめた。