47、ベッファの過去⑦【後】
窓から差し込む光を横に受けながら、ベッファは宰相を見やる。
元々美しい顔立ちをしていたベッファは、年齢を重ね三十手前になっても変わらぬ美しい顔をしていた。その瞳も、ハンナが好いていた冷たい面影を残したまま、宰相を見据えていた。
「宰相、王族の教育を受け持ち、かつ王太子妃としての教育を教えるのは骨が折れることだぞ? 教師はどうするつもりだ?」
「考えております。公爵家にはかつて王家より降嫁した王女所縁の子孫がおります。その者は忠義心が強く、いつか我が公爵家から王妃を出すために様々なものを会得しております。王族の教育と王太子妃の教育も学んでおりますので、間違うことはありません」
宰相は王宮内でのソフィアの教育係として、公爵家の血縁の者を就かせることを提案した。外に計画が漏れることをなくすため、そしてソフィアに不要な情報を渡さないためだった。
ベッファは静かに頷いた。
「私たちの間で情報共有もできる、と」
「仰る通りです、殿下。モニカ殿をソフィア嬢の侍女にしたことは、かなり意味があることです」
「……ああ、ソフィアを唯一理解できるものは、もう私しかいない。侍女はこのままモニカにさせるとしよう。ハンナの時も上手くやってくれたからな、ソフィアに対しても上手くやれるだろう。宰相、君にはこれから動いてもらうことが多くなるが、大丈夫か?」
「お任せください。私は覚悟の上で殿下からのご提案に乗ったのです。教会と聖女ハンナを苦しめるためならば、なんだってやりましょう」
「そうか。君の覚悟は受け取った。宰相、君の娘をソフィアの側に付けることもできるぞ。君の娘がアイリスのことを気に病んでいるというのであれば、気持ちの切り替えに王宮に上がらせるのもいいだろう。好きにするといい」
その言葉を聞いた瞬間、宰相は眉根を寄せた。
「ですが、娘は……」
「待ってくれ、宰相。勘違いしないでくれ。私は強制はしていない。私もハンナに操られ、アイリスを害した側の人間だ。令嬢の気持ちはよく分かる……。私の試しの子作りの相手を宰相は知っているだろう?」
「……はい」
「私は記憶を失くしたアイリスが薄汚れた家屋にいると報告を受け、探しに行った時……その悍ましさにゾッとした。己が誰なのかも分からず、誰にも知られたくないと願ったアイリスには申し訳ないとは思ったが、国の未来のことを話し、同意の上で子作りをした。そのおかげで私には生殖能力があると分かったわけだ」
ベッファの少しだけ気落ちしたような声に、宰相は表情をわずかに曇らせる。その瞳にはベッファに対する同情の色と、アイリスに対する同情の色が見て取れた。
―――宰相にはアイリスに会ってもらったが、やはりそれで良かったようだな。『教会と聖女憎し』という思いが強いと扱いやすくていい。宰相に話したことは全て嘘だが、私の話を信じきっているな。同情心を使うというのは、こういうことか。
「私もアイリス様とお会いしましたが、私のことも覚えていないご様子で……自身が何人子を産んだのかすらも……。しかも、保護という名目で監禁していたのが、聖女を妄信していた人物だったと聞いた時には、やはりなと驚きませんでした」
「ああ、駆け付けた私に手を出してきた故、護衛が切り捨てたが……生きて捕まえられれば良かったのだが」
「何を仰いますか。殿下のお命があってこそです。聖女側の罪が問えれば良かったのですから、気にされる必要はございません」
「……そう言ってもらえると助かるよ、宰相」
ベッファは宰相の表情に応えるように弱々しい笑みを浮かべ、膝の上で組んでいた手をとくと、椅子に座り直す。宰相は『教会と聖女憎し』の気持ちだけで動いていることを、ベッファは上手く利用したのだった。
そしてベッファは話を仕切り直すかのように、表情を和らげて話の続きを再開した。
「では……ソフィアはいずれ公爵家に養子となり、その後、頃合いを見て私の妻とする。できるだけ早くと言いたいところではあるが、ハンナの処遇もあるからな……」
「ええ。聖女の次の行き先である修道院は王家の管轄であるため、教会の人間は一切近づくことはできません。今も昔もあの場は王族出身の者が管理をしております。聖女には結界を維持するための生きた魔力源として、そこで結界を張ってもらいながら過ごしていただきましょう。今まで我々を好きなように動かしていたのです。その働きこそが、聖女が行ってきたことに対する罰となるでしょう」
「ふ、そうだな。私がどれほどハンナの偽りの愛に苦しめられていたか……。考えるだけで胸が張り裂けそうになる。だからこそ、私は真実の愛でソフィアを見つけられたのかもしれないが」
宰相は口元を引き上げ、ベッファの言葉に頷いた。
宰相にとってベッファの願いは、自分自身の娘に起きた不幸への復讐であり、教会に対する復讐でもあった。その後のソフィアのことも、公爵家が王太子であるベッファに迎合することで権力を得るためのことに他ならない。
―――まあ、宰相も私を利用しているつもりだろうから、お互い様というわけだ。
「ベッファ王太子殿下。次の国王は殿下なのです。殿下の思うままに駒を進めていきましょう」
「ああ、宰相。君も一緒にな」
―――ああ、ソフィア。待っていてくれ。もうすぐだからな。
ベッファは椅子から立ち上がり、窓の外の庭園を見下ろした。その双眸はすでにソフィアのことしか考えていない。
ベッファにとってソフィアは、単なる異母妹などではなかった。一目見た時からこの女を自分の側に置きたいと思えた唯一の者であった。宰相にはソフィアが異母妹だということは話していない。
この世で、ベッファとソフィアが異母兄妹だと知る人物は、自身を除けばソフィアの死んだ母親とモニカとアリアだけである。
―――ハンナが私に与えた感情は、偽物だった。だが、ソフィアに抱くこの感情は違う。強制された愛などではない。アイリスに執着したことは一度もない。あれは私の能力に見合う女ではあったが、駒と同じで使い捨てが利いたから、側に置いていたのだ。だが、ソフィアの純粋さ、素直さ、美しさ……その全てが私を満たすように思える。偽りの愛を真実の愛と思い込まされて初めて知った、これが私の真実の愛だ。ソフィアを誰にも渡さない。渡すものか……ソフィアの未来は全て私の手の中にあり、共に歩んでいくのも私だけなのだからな……。
アイリスやハンナと違い、ソフィアはベッファ自身の意思で初めて見染めた『女』だった。
「一目見た瞬間、ソフィア以外には何もいらないと思えてしまうほどに、目が離せず、誰の目にも見せたくないと思ってしまったんだ。宰相……そんな私をおかしいのだろうか」
ベッファのその問いかけに、宰相は唾を飲み込む。窓際に立つベッファの瞳は歪んだ笑みを張り付け、弧を描いていた。何か言わねばと宰相は口を開いた。
「殿下はソフィア嬢を宝物のように、自身の最も近い場所に……閉じ込めておきたいのですね」
「宝物か……。そうだな、そうだと思う。分かってくれて嬉しいよ」
これが本当の真実の愛なのだ、とベッファは心の中で笑った。




