46、ベッファの過去⑥【前】
「宰相、ではあの女の件は頼んだぞ」
「承知いたしました」
会議が終わると国王から順に貴族たちが退出していく中、ベッファと宰相だけは会議が行われていた部屋に残った。扉が閉まるのを確認すると、誰も入ってこれないようにベッファの護衛が扉の外に立った。
二人の間には先ほどまでの緊張感などはなく、ベッファは父である国王を見送った時のまま立っており、宰相は静かに床を見つめていた。
先に声をかけたのは、ベッファであった。
「宰相、君の働きには感謝しているよ。まさかモニカを使って、母上への根回しまでしてくれているとは。流石に驚いたが、よくできた話だった」
ベッファは満足そうに頷きながら、軽く手を叩くとそのまま宰相の近くまで歩み寄る。
「恐縮です、殿下。私が教会派が嫌いだということを知っていて、声をかけてくださったのでしょう? 有難い限りでしたよ」
「ああ、そうだな。君の娘が本当ならば次の聖女だったと聞いた時は驚いたよ。立ち話もなんだ、座ってくれ」
「はい」
一緒に宰相にも座るように促し、互いに先ほどまで座っていた位置から近い位置に座り直し、二人だけにしか聞こえない距離で会話を進めた。
「私は娘に殿下の妃になってほしいなどとは、全く思っておりませんでした。アイリス様はそれほど完璧なお方でしたから。娘もアイリス様を慕っていたはずが、学園に上がると……まるで人が変わったようにアイリス様の批判を繰り返すようになっておりました」
「そう、それが教会側の手だったのだ」
「はい。まさか、聖女ハンナを使って人の心を操っていたとは……聖女などではなく、まるで悪魔のような女です。許せるはずもない。娘は魅了魔法が解けて以来、屋敷にこもりがちになってしまい、婚約者の元へは、妹が代わりに嫁ぎました」
「それは……ああ、公爵……君も辛かっただろう」
宰相は表情を取り繕うこともできないように、恭しく頭を下げた。宰相の言葉が真実であるということは、すでに調べがついていた。
だからこそ、共謀者に宰相を選んだのである。
「私もハンナの手の上で転がされていたわけだ……君の娘もそうだ。私は国を導いていくものとして、恥ずかしいくらいだ」
「そんな悲しいことは言わないでください、殿下。私も親として、国王陛下のお怒りだった気持ちが分かりますよ。私の娘が外に出れるようになるかは分かりませんが、今も自分を責め続けております。ですので、どんなことがあろうとも、私は聖女ハンナと教会側を許すことはできそうにない」
「公爵令嬢は明るい女性だったな……私も顔を合わせたことがあるから覚えているよ。素敵な女性だった」
「殿下……ありがとうございます。今まで散々金を集めてて、大きな顔をしていた奴らが痛い目を見る……実に素晴らしい話です」
「報いは受けなければいけないだろう? 聖女も教会も……な。だが、教会がソフィアの件に口出ししなければいいが……」
ベッファの言葉に宰相は今まで怒りをため込んでいた瞳が、すと冷静な男の目に戻る。数度瞬きをして、薄っすらと口元に笑みを浮かべた。
「教会にはこれ以上、手出しはさせませんよ。私の目が黒いうちは。では、今から私は殿下のご期待に沿えるように、ご提案いたしましょう。ソフィア嬢は明らかに貴族の娘でしょう」
「ほう?」
ベッファは声を低くし、次を促す。
その声色に宰相も同じように声を低くし、誰にも聞かれないように続けた。
「ソフィア嬢は数年は王家預かりとして、王族の教育を受けさせましょう。教育が終わり次第、ソフィア嬢を我が公爵家の養女に致します。幸いにも殿下がすでに母親の素性は消してくださってますので、架空の産みの母を作ればいいのです。いなくなった貴族令嬢など世の中にたくさんいるのです。事実を知る者は……ほんのわずかですから」
「養女か。ハンナも平民から男爵家に引き取られ、王太子妃にまでなったのだ。公爵家の名があれば、どこの貴族も文句は言えまい。しかし、それまでに王太子妃としての教育もさせねばなるまい? ハンナのようにならないためにも」
ベッファは宰相から目を逸らさずに、次の言葉を待った。
今回の話し合いで一番重要だったのは、ハンナの追放でも、アイリスが生きていたことでもない。
ソフィアという存在をどう扱うか、国王である父に伝えるためであったのだ。
「殿下、お任せください。教会には、こう伝えましょう。『聖女ハンナの魅了魔法により、殿下は深く傷つき悲しまれている。新たな妃を迎えることについては、今は考えていない』と。あとはこちらの手の者に、今までのことを真実として話を流させましょう」
「それは今流している噂だけでは駄目なのか?」
「それだけでは現実味が足りません。学園でも人を惑わしていたことなども、全て流すのです。聖女の力は本物であるために、殿下は国のためと自身の気持ちに挟まれ深く傷つき、追放という処分で許したと、まずは民に同情させることこそが、重要です。すぐにソフィア嬢の耳にも侍女たちの噂話として、この話を聞かせるのです」
「ソフィアにも同情させると?」
「ええ、その通りです。殿下は王太子妃である聖女ハンナを断腸の思いで追放処分にする。その悲しみを抱えながらも、聖女ハンナの行為で傷付いているソフィア嬢を王宮内で保護し、大人の愛で包み込み、立派な令嬢へと成長させる」
「だが、それではまだ私がハンナを愛していると思われないか」
「殿下は聖女ハンナから怪しい魔法をかけられていたのです。いわば呪い……とでも言いましょうか。そんな中でも、ソフィア嬢の世話を愛情を込めてやるのです。世話をされるうちに、今までの苦労も悲しみもソフィア嬢は癒されていくでしょう」
ソフィアには王宮で知り合いと呼べる者は、誰もいない。今まで平民として暮らしてきたのだから、当然である。しかし、その状況を逆手にとればいいと、宰相が暗に言っているのだとベッファは気付いていた。
「ソフィア嬢には分からぬように、王族としての教育の中に、王太子妃としての教育も混ぜていくのです。きっと国のためにも、慈しんでくださった殿下のためにも『恩返しをしなければいけない』と、清い心の持ち主であるソフィア嬢ならば、そう思うはずです。そこまでいけば……殿下の勝ちでございます」
宰相の言葉にベッファは頷いた。
ソフィアが何も知らないまま見えない鎖で縛り、逃げ場をなくすための話は着々と形を成していく。
―――アリアの見込んだ通りだな。この宰相もまた、ハンナの魔法にかかった一人だったが……娘の惨状を前に早々に魅了魔法は解除されて、今では恨みの方が強い。宰相、君もこのまま私の駒として動いてもらおう。




