39、ベッファの過去―――ベッファとソフィア①
「す、すごい……」
小さな声で呟くソフィアに、馬車の外から案内してくれていた侍女が微笑みかける。
「ソフィア様、私はモニカと申します。いろいろご説明したいところですが……」
ソフィアはベッファの指示で薄汚れている姿を整えるべく、ハンナ付きの侍女長であるモニカに付き添われて別室へと連れて行かれていた。
「ベッファ殿下より一先ずは体を癒すようにと言伝を預かっております。お疲れでしょうから、まずは体を綺麗にしましょう。気分も少しは変わりますから」
「は、はい……」
緊張を隠すように、ソフィアはぎゅっと汚れたスカートの裾を掴む。モニカはハンナに見せることのない笑顔を浮かべ、浴室担当のメイドに指示を出してその場を下がった。
――――――
モニカは足早にベッファが待っているであろう一室へと足を向けた。
部屋の前に来ると護衛が立っており、取次ぎを頼むとすぐに室内へと案内されたが、ベッファは椅子に座ることなく腕を組み、モニカを待ち構えていた。
「モニカ、単刀直入に聞く。ソフィアの母親は王宮勤めをしていた者か?」
ベッファのどこか分かり切っていることを確認するためだけの問いに、モニカは息を呑んだ。教会で渡されたブローチを持ち帰り、ベッファの依頼通りに今までの勤め人の記録を調べ直していた。そのことをまだ報告していなかったが、ベッファは薄々血のつながりを感じていたのかも知れない。
「はい、殿下。ソフィア様の母親は……以前、確かに王宮で務めておりました。病を理由に去りましたが……恐らくその時には陛下のお相手をされていたのかと」
「やはりそうか。しかし、父上が手を出した記録は残っているのか?」
ベッファは小さく頷くと、さらに質問を続けた。
「陛下の側仕えからの指示で、陛下の相手をしたと思われる翌日から、担当部署が変わっております。しかし、その一度だけでそれ以降、陛下がお相手をしたという記録はありません」
「ふ……あの父上らしいな。どうせ母上がいない日に手を出したのだろう。遊びとはいえ、手を付けた令嬢はまだ若く、婚約者もいたようではないか」
「はい。殿下もすでにお調べになっているとは思いますが、婚約者からは多額の慰謝料を請求され、その後は実家を飛び出してソフィア様を育てられたようです」
モニカはベッファが己よりも詳しく調べ上げていることに気付き、ごくりと喉を鳴らした。
「ソフィアは、私の異母妹ということになるな」
「はい、殿下」
「このことを今知っているのは……私とお前だけだ。さて、モニカ。私はソフィアを気に入った。子を産むことができない聖女を、いつまでも王太子妃にしておくには、いささか問題があるとは思わないか?」
腕を組みながら薄っすらとほほ笑むベッファの顔を見つめ、モニカは背中に汗が流れるのを感じた。
「それは……」
「お前が黙っていれば、誰も気づかないだろう?」
「……承知いたしました。宰相である公爵閣下に、私から新しい王太子妃候補としてお話をさせていただきます。ハンナ様に関しましては……」
「聖女の力が失われるのは困る。ハンナは私にとっては役立たずではあったが、あれが作り出す結界は偉大だからな」
「はい。では……本日の教会での出来事を王宮内に広く噂されるように仕向けます。また、王妃様にもお伝えすればすぐに陛下のお耳に入るかと」
「ああ。民を傷つけるようなものを王都周辺に置くのは皆、恐怖でしかないだろう? 王都から離れた場所に王家が管理する修道院があるな」
「かしこまりました。では、公爵閣下から殿下に話が伝わるように手配いたします」
「そうしてくれ。あくまでも子が望めず、当たり散らしてばかりの王太子妃を排除しようという案は宰相から出させろ」
「承知いたしました」
「それからすぐにソフィアの母の遺体は埋葬しろ。二人が住んでいた家は、生活していた痕跡すらも残すな。ソフィアはあくまでも『母親を亡くした哀れな少女』として扱うためだ」
「はい。しかし、殿下……ソフィア様のあの黄金色の髪は王家との血縁を疑われるかもしれません」
「確かにな……あの黄金色の髪は王家によくある色だが、今は荒れてくすんでいるな。その『くすみ』を逆手に取ればいい。いいか、今日からお前はソフィアの侍女とする。アンナに髪色をくすませる薬を作らせる、それを毎日使え」
「承知いたしました」
ベッファは唇の端を吊り上げた。
王族特有の髪色より少しくすんでいるのは、恐らく母親の髪色は暗い髪色だったのだろう、とベッファは口元を歪める。王族の結婚は血筋と利益を第一に扱うため、基本的にはこの国では女神に愛されている黄金色が好まれ、明るい髪色の者こそ好しとするところがある。
今回はそのこだわりなど気にもせず、単純に若い女に手を出した単純な脳みそをした父親にベッファは感謝したいくらいだった。
――――――
しばらくして身なりを整えたソフィアが、モニカに連れられベッファの前へと姿を見せた。全身を清められ、清潔なドレスを纏ったソフィアは、教会の前で見た時よりも遥かに愛らしく輝きが増していた。
不安そうにきょろきょろと周囲を見渡すソフィアに、ベッファは両腕を広げ甘い笑顔を見せる。
「モニカ、少しだけ下がっていてくれるか? 今後のことをソフィアに話しておきたいんだ」
「承知いたしました」
ベッファはモニカに下がるよう命じた。ソフィアはモニカ以外にも下がっていく使用人たちを戸惑いながら眺めていると、部屋にはベッファとソフィアの二人きりになっていた。
「ソフィア、ようこそ王宮へ。そのドレスも凄く似合っている」
その言葉にどう反応して良いのか分からず、ソフィアはドレスの裾を握りしめる。しかし、顔を上げて王太子であるベッファに助けを求めた時よりもさらに体を小さくしながらも、ソフィアは勇気を出して尋ねた。
「あの……私は、どうしてここに……」
ソフィアはまだ、なぜ自分が王宮へ連れて来られたのか、理由を理解できていなかった。ベッファはゆっくりとソフィアの近くまでやって来ると、困ったように眉根を寄せて、あたかも真実のように嘘を交えながら理由を説明した。
「ソフィア、君の母上は先ほどの教会で手厚く弔うように伝えてある。少し時間を置いて、私と君の母上に、君の元気な姿を見せに行こう。そして、君がなぜここにいるかだが……ソフィア、君を危険から守るためだ」
「危険……?」
ソフィアは怯えたように目を彷徨わせた。
「君は聖女であるハンナに罵られただろう? 彼女は今、子を産めぬ焦りから精神的に参っているんだ。恐らく教会で君と二人きりになった時、君の何かが気に入らなかったのだろう」
「聖女様が……わたしの、なにかを?」
ベッファはわざと声を潜めた。
「ああ。町へ帰っても、ハンナは聖女としての立場を利用して、君に危害を加えるかもしれない。君は母親を亡くしたばかりで頼る者もいないだろう? だからこそ、私には君を守る義務がある」
ベッファはソフィアを抱き寄せ、その細い背中を撫でた。
「ソフィア、心配ない。しばらくの間、君は私の保護下にいる。ここでは誰も君自身を……君の心を傷つけないし、見下したりしない」
「お、王太子……様、あの」
「そんな他人行儀な呼び方はやめてくれ。ベッファでいい。」
「そ、そんな……! 王太子様をそんな呼び方っ」
「ソフィア、私は寂しいよ。君のことをこれからもっと知っていきたいんだ。仲良くなっていく手段だと思えばいい」
「…………は、い」
ソフィアはベッファの言葉と温かい抱擁に安堵したように息を吐いた。ベッファの言葉は母親を亡くして一人ぼっちになってしまったソフィアにとって、離し難い温もりであり、救いだった。
しかし、ソフィアは分かっていなかった。
なぜ、ベッファが他人であるソフィアにこんなにもよくしてくれるのか。
なぜ、ソフィアが今まで傷付けられていたこと、見下されていたこと、頼る者もいないことを知っているのかを―――。




