3、ベアトリーチェ12歳と叔父夫婦
ベアトリーチェには叔父が一人いる。
父リカルドの弟で名はフォレ・リッソーニといった。ベアトリーチェの母は隣国から嫁いできた公爵家の娘ということもあり、簡単に行き来することはできず、ベアトリーチェは一度も母方の親族に会ったことはなかった。
父の弟であるフォレは二カ月に一度は必ず公爵家に来ていたこともあり、ベアトリーチェも人見知りせず幼少期から遊んでもらっていた記憶があった。
今でも昔のことを思い返せば気のいい青年だったと思う。よく言えば、お人よしでのんびりとした穏やかな性格、自身は人の上に立つことは望んでいないから爵位も領地も望まなかったが、平民よりかは良いだろうとベアトリーチェにとっては祖父、フォレにとっては父のエルマンノが金で爵位を買い男爵を名乗らせていた。
「別に気にしなくていいのに」
フォレはぽりぽりと持参したクッキーを頬張りながら、自身の父である前公爵とのやり取りをリカルドに話していた。リカルドもまた両親のことや自身がもし結婚などをする際のことを思えば、爵位はあった方がいいと思っていたこともありフォレを優しく諭していた。
「フォレ、父上はともかく母上は王家から降嫁してきたんだ。その母上の息子のお前が爵位なしだと、いろいろと大変だから父上の言う通り、爵位はもらっておきなさい」
「兄さんがそこまで言うならもらうけどさあ」
もにょもにょと口籠りながらも二人の話をフォレはしっかりと聞いていた。親子関係、兄弟関係はどちらも良好で、エルマンノとリカルドのおかげでその後出逢った男爵令嬢と結婚することができたのだった。
フォレが男爵家の令嬢と婚約を飛ばし、結婚すると言い出した時は皆驚いていた。
結婚願望も薄いように思っていたが、男爵令嬢を一目見てフォレはこの人しかいないと思ったそうだ。公爵家へ男爵令嬢を連れてくるとエルマンノとリカルド、それに義理の姉になるイザベラも大層喜んでいた。
「ほらみたことか。令嬢と縁付くのなら爵位はあって良かっただろう」
祖父のエルマンノが鼻高々に言った言葉に一同笑った。アチェト男爵家の娘のレベッカとの結婚は家族総出でお祝いした。レベッカはオリーブ色の髪に少しそばかすが目立つ顔立ちではあったが、はつらつとした元気な女性であった。
レベッカは男爵家の娘ということで、爵位は男爵だが元は公爵家の次男、そして王妹が母であるフォレは自身には恐れ多いと婚約を断ったがフォレが「それならすぐに結婚しよう。私の気持ちは絶対に変わらないということを証明するためだ」と熱烈なプロポーズをしたらしい。
そのフォレの心にレベッカは愛を感じ、頷いたと挨拶に来た時に語っていた。
当時8歳だったベアトリーチェは母と一緒に神殿へ行き、自身の小遣いで買える祝福石を買ってレベッカにプレゼントした。祝福石は神殿が宝石に様々な魔法を付与し販売しているものであるが、一つの祝福石はその祝福の内容により値段は変わる。
幼いベアトリーチェにとって大きな買い物にはなるが、いつも遊んでもらっていた叔父の結婚相手だったため、自身にできる範囲で良いものをプレゼントしたかった。まだ8歳ということで刺繍などはできなかったので、少しでも喜んでもらえればと考えたものだった。
小遣いで初めて購入した祝福石には願掛けの効果が付与されているものにした。
「お母様、私はこちらの願掛けがいいと思うの」
「幸福じゃなくていいの?」
「うん。レベッカ様が自身でお願いごとをした方がきっと楽しいわ」
「それもそうね、こちらの祝福石をお願いするわ」
ベアトリーチェの手から代金を渡し、その額を確認すると神官は頷き手を組み、祈った。
「かしこまりました。それではリッソーニ公爵夫人、お嬢様、こちらをどうぞ」
手渡された祝福石はレベッカを連想させるオリーブ色の石にした。少しでも喜んでもらえればと渡した祝福石を見て、レベッカはにっこりと笑みを深くした。
「ベアトリーチェ嬢、とても素敵だわ。ありがとう。私、祝福石は持っていなかったからとても嬉しい! 願いは自分で決めていいのよね……嬉しくて今は決めれなさそうだから、ゆっくり考えて願掛けするわ!」
このお祝いをしたのがベアトリーチェが8歳の時で4年前の記憶か、とベアトリーチェにとっては遠い昔のように思えた。
ベアトリーチェの両親はベアトリーチェが9歳になった年に、王都から領地に戻る途中で事故にあい亡くなった。先発隊が道の安全を確認しながら帰還したその道を通っていたにも拘らず、酷い爆発音の後に山崩れが起き、馬車は土砂とともに流された。
いろいろと噂は流れた。この年の社交シーズン中に両親は王家に婚約の打診を直接断り、そして公爵家の跡継ぎの許可をもらえるように話し合いに行っていたからだ。しかし両親の死の真相は明らかににされず、山崩れでの事故死として扱われた。
祖父のエルマンノは危機感を覚え、この件を批判することはせず、次の年の社交シーズンに自身がベアトリーチェの後見人となり、公爵家はベアトリーチェが婿を取る方向で継がせることができないかと再度書類を提出しに王都に出向いている最中に病に倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
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王家から公爵家の跡継ぎについて話があると手紙が来たのは、社交シーズンが始まる直前だった。2年前は祖父が向かい、去年は病ということで出席しなかった。今年は流石に社交シーズンに王都へ行かないのは不敬であると、レベッカが自分たち夫婦がベアトリーチェに代わって王都へ行くことを提案してきたのである。
「ベアトリーチェ嬢はまだデビュタントもしていないから、お茶会を開くのも難しいでしょう? 去年は出席しなかったし、2年前はお義父様が紳士の方々のみと話したと聞いて私驚いたわ。孫娘なんだから女性の知り合いを増やしていかないといけないもの!」
「レベッカは優しいなあ。ベアトリーチェのためにもそうした方がいいよね」
「……分かりました」
その提案にベアトリーチェには頷くことしかできなかった。本来であれば祖父と両親が亡くなった時点で跡取りがいなければ、縁戚に公爵家を継いでもらうことになるのだが、リッソーニ家の縁者はベアトリーチェを除けば今はフォレのみであった。
王家は今は公爵領を取り上げないことを伝えてきており、今回は恐らく恩を売ってくるだろうことも容易に想像がついた。本来であれば早急に手続きをしなければいけないのだが、王家によって数年間手続きは保留されたままなのだから、ベアトリーチェたちは何もできない状態だった。
ただ一つを残しては。
「それからベアトリーチェ嬢は私と同じであまり強い魔力を保持していないでしょう? そういう令嬢は社交界で下に見られてしまうから、私がちゃんと牽制してくるわ」
「確かにそうだな。僕も兄さんも魔力は強い方だったからな……その辺はレベッカに任せよう。いいね、ベアトリーチェ」
実際、ベアトリーチェの魔法は初級魔法から上達することはなかった。貴族は魔力の多い者同士で結婚することが多いため、自然と生まれてくる子供も魔力は高くなる。もちろん例外もあるが、この国は今まで豊かであった分、魔力が多い少ないで差別されることはあまりない。
しかしデビュタントをする子供たちは別であった。自身をより高く売り込むために、両親から魔力に関しては人目を憚らず大々的に話してこいと言われている者が多かった。そしてなにより上位貴族で自身より魔力が少ないと聞けば陰で笑い、下位貴族で自身より魔力が多いと聞けば難癖をつけて笑いものにする。
普段抑圧されている分、子供たちにとってはこれが楽しみでもあった。
ベアトリーチェの場合は前者だったため、レベッカはそのことを気にしていると言いたいのだろう。しかしデビュタントが終われば、ベアトリーチェも多くの上位貴族に習い祝福石を神殿より授かるつもりであったため、特には気にしていなかったが、王家に代わりに話を聞きに行ってもらう立場であったため、強くは出れなかった。
「……それでは、お願いします」
「それじゃあ、急いで用意をしないと」
「フォレ、私のドレスは王都では恥ずかしくないかしら? きっとあちらはもっと華やかなものでしょ……私は王都には学園を卒業して、数回しか行ってないからよく分からないの」
「ああ、レベッカのドレスは少々古いからね……男爵家だとパーティーにもあまり呼ばれないから仕立てなかったしな。ま、あちらで仕立てればいいんじゃないか」
「それもそうね! 公爵家に見合う格好でないと公爵家とベアトリーチェ嬢が馬鹿にされちゃうもの」
広間で話がまとまるとメイドに荷造りをさせるために二人は意気揚々と出ていった。
ベアトリーチェは公爵領に残り、領地経営を家令のセルジオに手伝ってもらうことにした。セルジオは祖父の代より仕えており領地経営についてもベアトリーチェより熟知している。また自身の孫同然に可愛がってきたベアトリーチェの願いを断ることなど考えも及ばなかったと言って笑った。
「セルジオ、貴方にはずっと迷惑をかけているわね」
「お嬢様はまだ12歳。他家の御令嬢より様々な面で優れていると私は思っておりますが、それでもまだ年嵩の者を頼るべき年齢でもあります。どうぞこの屋敷の私を含めた使用人一同扱き使ってください」
整えられた髭がむにゅと動き、細められた目にじんわりと目頭が熱くなり、ごまかすようにベアトリーチェはこくりと頷く。
「タウンハウスには執事のレオナルドに行かせて目を光らせましょう。フォレ様と夫人があの様子では何をされるか分かりませんからな」
「何から何までありがとう。タウンハウスの使用人にも伝えておかないといけないわね」
「早速手配しておきましょう」
セルジオはすぐに屋敷の者たちへ伝達し、自身も部屋を出ていった。ベアトリーチェはそこで初めて詰まっていた息を吐く。公爵家に仕えている使用人は皆優秀だ。フォレも自身が公爵家で暮らしていた時からほとんどの使用人が変わっていないことを知っているはずであり、王都で無茶なことはしないだろうと思いたかったが、なぜか心中穏やかではいれなかった。
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叔父夫婦が出立の日にベアトリーチェは再度自身の気持ちを伝えた。
「もし婚約の話があったら、必ず断ってください」
ベアトリーチェの言葉にフォレとレベッカは不思議そうな顔をしていた。
「ベアトリーチェは王太子妃になりたくないと言っていたね」
「今回のお話だって跡継ぎの許可が下りたのかもしれないわね」
「そうだと嬉しいです」
祖父が亡くなり、ベアトリーチェの後見人になったのは叔父夫婦だった。二人には子供はなく、ベアトリーチェが公爵家の跡継ぎになるという夢を知っているので、良いようにしてくれると信じていた。
若干二人は心ここにあらずという風ではあったが、ベアトリーチェは祈る気持ちで二人を送り出した。
「お嬢様、大丈夫でしょうか」
専属侍女のニナが心配そうに出立した馬車を見ながら言葉を漏らす。
「大丈夫だと信じたいのだけど……うん、ごめんなさいね。ニナにまで心配かけて」
ニナはベアトリーチェと同じ歳でベアトリーチェにとっては心を許せる友人とも呼べる存在だった。ニナの両親は同じく公爵家に仕えており、身元も安心できることもありベアトリーチェの両親が側付きにしたのである。
「えっと、あれです! あの、私タウンハウスの母にお手紙を沢山書いて近況を教えてもらいます!」
「まあ、私のためにありがとう。私もシャルロッテに手紙を送りますわ。ニナはレオナルドにも書いてあげないと寂しがるわ」
「う……左様でございますね、おほほほほ」
ニナは視線をそらすと口元に手をやり、作り笑いを浮かべた。その面白い表情に気分が落ち込んでいたベアトリーチェは幾分か元気をもらえた。
しかし、二人が送り続けた手紙に返事が来ることはなかった。それどころか一緒にタウンハウスに向かったレオナルドが病に倒れたという知らせが届けられたのだった。