37、ベッファの過去―――ベッファと???⑤
アイリスの腹は日を追うごとに大きく膨らみ、初めての出産の日を迎えた。ベッファの命により、地下の部屋にはアリアとスージーだけが立ち会った。
アイリスは苦痛に耐え、血と汗に塗れ小さな命を産み落とした。
『アイリス様、おめでとうござます。女の子ですね』
『……女の子……ぁぁ……っ』
疲労の色が濃いアイリスの顔に、アリアは赤子を見せるように抱き寄せた。アイリスはアリアから受け取った小さな我が子を胸に抱くと、静かに小さな声で誤った。
『……ごめんなさい、ごめんなさいね』
長年の幽閉と絶望でこの赤子がどうなるのか、予想できたからだ。ベッファは最初から、男の赤子を欲しがっていた。だが、この赤子は女の子。最初で最後の抱擁になることを感じ、小さく泣き声を上げる我が子に頬ずりをした。
だが、その抱擁すら長くは許されなかった。
ベッファが出産の報告を聞きつけ、すぐに部屋に降りてきた。彼は生まれたばかりの我が子が娘と分かると、一瞥するなり冷酷な目でアイリスに告げた。
『すぐに引き渡せ』
『殿下……この子は……』
『アイリス様。殿下は最初から王子を希望されていました。その願いを叶えることができなかったのです、残念ですが次を頑張りましょうね』
アイリスが言葉を発した瞬間、アリアが遮るように被せてきた。ベッファの冷たい視線を送るだけで、我が子に触れることも、考えを変えることはなかった。
『アリアの言う通りだ。男であればハンナに渡せたが、女では用はない。しかし、私の血を引く子でもあるから、王家管轄の修道院に預ける。そこで王族の血を引く者として、最高水準の教育と保護を与えてやる。いずれはどこか修道女として、この国の女神に仕えることになるだろう』
『…………』
『なんだ、不満か? お前の目の前で存在しないものとしてもいいんだぞ?』
『申し訳ございません……殿下のお言葉通りに……』
『分かれば良い。スージー、お前が手配しろ。誰にも気付かれるなよ』
『……っかしこまりました』
アイリスはこぼれる涙を拭うこともせず、我が子をスージーに渡した。地下の部屋から連れ出されたアイリスの産んだ子は、すぐに王家の管轄する修道院に貴族の子供として預けられた。修道院もそのことについては問いたださなかった。
王家が管轄する修道院だからこそ、施設の人間は皆、赤子の出自について口出しはしないのだ。
アイリスは声を出さずに泣いた。ベッファは特に気にかけることもなく、部屋を出ていった。残ったアリアだけが、可哀そうなものを見る目でアイリスを見つめていた。
『ああ、アイリス様……なんてお可哀そうなのかしら。折角、殿下のお種を貰えても希望を叶えることができない役立たずだなんて……ハンナ様を虐げるためにも、次、頑張りましょうね』
それだけ言うと、アリアもまた部屋を出ていった。アリアの治療によって体の傷は癒えている。だが、逃げ出したいほどの男との間の子であったとしても、腹を痛めて産んだ子なのだ。自分の身がどうなろうと構わなかったが、我が子を奪われることがこんなにも辛く、心を傷つけることになるとは思ってもいなかった。
『……うっ、なぜ……あんな男の子供でも離し難く思ってしまうの……っ』
―――
一人目の娘を奪われてから数か月。
アイリスの体はアリアの治療により回復していた。そうするとベッファとの悍ましい夜が始まったしまうのだ。
『今日もハンナが泣き喚いていたのが聞こえたか? たまに侍女たちがハンナを驚かすのでな、早く次の子を作らねばいけないだろう?』
『ハンナ様を……大事に、されてください……』
ベッファはアイリスの心情など気にも留めず、むしろ傷つけるためだけに『子供』という結果を求めた。アリアもまたベッファの命令に忠実に従い、アイリスの体を回復させていく。
『あら、アイリス様……お胸が張っておりますわね。そこは……殿下がお戻りになられて対応しましょうね』
『アリア様! 殿下がいらっしゃる前で、アイリス様を侮辱することはおやめください!』
『やだわ、スージー様ったら怖い。私はアイリス様のことを考えて言ってるだけなのだから、怒らないでちょうだい』
ベッファはにやりと笑うとアイリスの側までやって来た。そして顎に触れると、面白いことを考えたと目を細め口を開いた。
『ああ……アイリス、あまりお前が反抗的だと、ハンナの口に何が入るか分からないからな』
『……わ、私は、逆らう気もありません。全て殿下の言う通りに致します』
『分かればいい。後は適当にやっておけ』
『はい、殿下。私に全てお任せくださいませ』
ベッファがアイリスの顎を雑に扱い指を離すと、そのまま後ろを気にすることなく出ていった。アリアは笑いながら返事をして見送ると、再び薬湯を作り始めアイリスへと飲ませた。
結果、アイリスは二度、三度と出産をした。数年の間に三人産んだが、全て女児であった。
娘たちは、産まれたその日のうちにアイリスの腕から引き離され、一人目の子と同じ修道院に預けられた。アイリスは徐々に言葉少なになり、ただ自身の宿命と言わんばかりにベッファの子を妊娠しては出産した。
このアイリスの状況に、長年アイリスを見守ってきたスージーがついにベッファに訴えかけた。
『ベッファ殿下! もうおやめください! アイリス様は悲しんでおられます。殿下が女性を妊娠させることができると分かったではありませんか……! もう三人もお子を産まれ、今は四人目がいます……どうかこれ以上、アイリス様の体を傷つけ、心を壊すことはおやめください』
スージーはベッファの執務室で、周囲に人がいないことを確認すると、初めてアイリスの置かれている状況について考え直してほしいと言った。
『スージー……私は幼い頃より側に仕えている君を大事にしているつもりだったが……誰に口を利いているか分かっているのか?』
ベッファは冷たい目でスージーを睨みつけた。しかし、スージーは一歩も引かずにベッファから視線を逸らさずに、言葉を続けた。
『分かっております! ですが、これ以上は黙って見過ごすことはできません……! 殿下はアイリス様の心と体を弄んでおられます。それは、ハンナ様にも同じことです。このようなことは、人として、許される行為ではございません……殿下、どうか、どうか……!』
スージーは震えながらも、一歩も引かなかった。長年ベッファに仕えた忠誠心が、今のままではアイリスどころかハンナ、そしてベッファ自身の心も壊れてしまうと思ったのだ。
『たかが侍女風情が、王太子である私に説教をするつもりか。黙って世話をしていれば良かったものを……』
『……こんなにすぐに子を孕めば、お体が持ちません』
ベッファは椅子に座り、聞いていた言葉に頷いた。スージーもベッファの態度に少しだけ安堵したが、静かに口から出てきた言葉に目を見開いた。
『アリア、いるな?』
『はい、殿下。ここに』
『この女を王都から追い出せ。私たちの秘密を知りすぎて、私を脅そうとしているようだ。最北の修道院に送致し、一生、そこで懺悔させろ。ああ、ちょうど良い。あそこにはアイリスの産んだ子たちがいるな。そこに送って面倒を見させろ』
『承知いたしました』
『殿下! お待ちください!』
『……ああ、そうだ。その聞き苦しい声を封じて行かせろ。二度と喋れぬようにな』
『かしこまりました。スージー様、私は悲しいです。折角、こんなに愉快な秘密を共有できる相手でしたのに……』
アリアは愉快そうに双眸を弧の形にすると、スージーの喉に手を当てた。
『ぐっ……アイリス様、どうか……どうか、ご無事で……』
焼けつくような痛みをこらえ、スージーは本棚の奥へと視線を向けた。答えが返ってくることはなかったが、その後アイリスが地下でスージー似合うことは一度もなかった。
『アイリス、お前に手を貸すものはいなくなってしまったな。最初から、私から逃げようとしなければ、こんなことにもならなかったというのに……』
その日からアイリスは完全に一人になった。アリアはアイリスに、スージーがいなくなった理由を隠さず説明した。
『アイリス様をお助けするために、スージー様は声を上げられたのです。ですが、殿下はかなりお怒りになられまして……スージー様は二度と喋れぬようになってしまいました。これも全て……アイリス様のせいでございますね』
『そんな……スージー……私なんかの、ために……』
悲しむアイリスの顔を見て、アリアは微笑む。優しくアイリスの腹を撫でると、四人目の子が内側から腹をける感覚を楽しみながら。
アイリスの心は限界を迎えようとしていた。




