35、ベッファの過去―――ベッファと???③
スージーが朝になり、いつものように部屋に入ると、息を呑んだ。
寝台の上には血の気が失せて、項垂れているアイリスの姿があった。そして寝台に投げ出された体の下の白いシーツには、情事の痕が広がっていた。
『アイリス様……!』
スージーは驚愕し、アイリスの元へ駆け寄った。四年もの間、一度も顔を見せることがなかったベッファが来たと思ったら、この状況だ。いつかはこうなるとは思っていたが、まさかこんなにも早いとは、とスージーはベッファを恐れて顔を見ることができなかった。
ベッファがスージーを見下ろしながら、ゆっくりと立ち上がる。スージーはアイリスの体をシーツで隠した。
『スージーか。これからは頻繁にやって来るから、準備は任せたぞ』
『ひ、頻繁にとはどういう……』
『分からないわけないよな? アイリスが子を孕むことで私には非がないということを証明するのだ』
ベッファはそう言うと、床に落ちた自分の服を拾い上げ、嘲るように付け加えた。
『アイリスが男児を産めば、そのままハンナに渡す。女児であれば、王家管轄の修道院に預けることにしよう』
『そんな……、殿下、それではアイリス様があまりにも……!』
スージーがベッファに声をかけ、そっとアイリスの体を震える手で撫でた。アイリスは虚ろな目でスージーを見上げた。
『スージー……ごめんなさい……私は、私が悪いの……』
『何を仰るのですか! そんな、こんなこと……悪いなど……!』
『スージー、長く勤めてくれた君だからこそ、アイリスに付けたんだ。その意味を取り違えるな。私を怒らせるよ、いくら君でも……ああ、言わせないでくれ、スージー。私は君を信頼しているんだから』
ベッファは服を着ると、アイリスとスージーを見やった。どこかスッキリとしたその表情は、アイリスを己の評価を確認するための道具を見ているようであった。スージーは長年ベッファに仕えていたが、今回のことは流石に理解できず、深い悲しみと絶望に落とされた。
『子を孕みやすい日を調べさせるために人を寄越す。その者と私たちしかこのことは知らないからな、余計なことを言うんじゃないぞ……スージー?』
『は、い……承知いたしました……』
今まで王太子として信頼と尊敬していたはずのベッファの存在が、スージーには恐ろしく思えた。
―――
その日の午後、ベッファの命を受けた人物が地下の部屋を訪れた。
アイリスとスージーの前に立ったのは、二十代半ばほどの強い魔力を宿した知的な女性だった。
『アイリス様、お久しぶりですね』
にこやかにアイリスに微笑みかけた女性の名は、アリア・グレイード。表向きは王宮付きの治癒師となっていたが、本当の姿は魔女の一族の末裔であり、魔導士として様々な術が使える者だった。
『アリア様……お久しぶりです。あなたが殿下の命令で?』
『ええ、そうです。私は殿下のお役に立てることが、何よりの幸せですので』
アリアは穏やかな笑みを浮かべたが、その瞳の奥には全てを見透かすような光があった。
スージーはアリアの姿を見て、ぎょっと目を見開いた。アリアがどれほどベッファのことを慕っているのかを知っていたからだ。
『アリア様……! 殿下が何をさせようとしているのか、貴女もご存知なのでしょう!』
スージーは思わず声を荒らげた。
アリアはスージーを静かに見つめ、その口元に冷たい笑みを浮かべた。
『もちろん存じていますよ、スージー様。私は殿下の願いを叶えるためなら、どんな手も尽くします。それが恐ろしいことであったとしても』
『アリア様、アイリス様は本当にハンナ様のことを悲しませたくないのです! 無茶なことは、どうか、どうか、なさらないでください……お願いします……』
『無茶、ですか。私は結果を出すためにここにいます。殿下が望むことが私の全てなのです。例え私が殿下を愛していても、殿下がそれを望んでいないのであれば私も望みません。ですので、今の目的は、アイリス様が子を孕むこと。そのためには、私は最善を尽くさなくてはなりません』
アリアはそう言い放つとスージーを無視し、アイリスの手首を取り、脈を測り始めた。アイリスの体調を細かく調べあげると、今がその最も有効な時期だということに気付いた。
『あら、ちょうど良いですね。なんて強運な方なのかしら』
子を孕みやすい時期が近いと判断し、アリアはアイリスとスージーを置いて一旦部屋の外に出ていく、すぐに薬湯を持って部屋へ戻ってきた。持ち込まれた薬湯からは、妙に甘ったるい香りがしており、すぐに部屋中にその匂いが漂い出す。
『い、いやです、アリア様……お願いです、こんなこと、おやめください』
アイリスは抵抗したが、アリアは力ずくでそれを飲ませた。
『心配しないで。これは貴女の体の機能を高める、特別な薬湯ですからね。殿下の望む結果を早く出せば、アイリス様もすぐに楽になれるんですから』
アリアの目には愉快そうな光とは別に、どこかほの暗い嫉妬の色を宿していた。
『うっ……んぅ……げほっ』
『アイリス様! アリア様、本当にその薬湯は大丈夫なのですか』
『あらあら、スージー様は私の実力は知っているでしょう? 心配なさらないでくださいな、すぐに効果は出てきますから……』
薬湯を飲んでから数時間後、アイリスの体内に熱がこもり始めた。それは徐々に強くなり、アイリスの意思とは無関係に、体を内側から焼き尽くすような、熱く昂るものへと変わっていった。
アイリスは苦しみに顔を歪め、豪華な寝台の上で身悶えた。理性はまだ残っていたが、本能がそれを上書きしようとする。全身の皮膚が粟立ち、声にならない甘い吐息が漏れた。
『ん……っ、ああ……熱い……』
アイリスは己の体に、今まで感じたことのない熱を感じていた。例えれば、動物のように発情しているのを感じ、口を開けば自分の声ではないような色をした声が漏れそうで、羞恥と恐怖で涙を流した。
これはアイリスの知っている感情ではなかった。薬によって強制的に引き出された、動物としての本能だった。
『ハンナ様には効き目はなかったけれど、アイリス様には効き目があるのね。素晴らしいわ。やっぱり私の調合に間違いはなかったのねぇ……ハンナ様は聖女だから、こういう薬の効き目がないのかしら……まだまだ研究しなくてはいけないわね』
アリアはアイリスの様子を観察して満足すると、すぐにベッファの元へと行った。
スージーは薬湯を飲んでからのアイリスの異変にどうすることもできず、顔を歪めながら世話をした。
『ああ、アイリス様……触れるときついはずです、お水をお飲みください……』
『あ、り……がとう……スー、ジ……』
程なくして、ベッファとアリアが部屋へとやって来た。ベッファはアリアから報告を受け、部屋に入ると熱に浮かされ乱れた姿のアイリスを見つめた。最近では無表情か非難するような表情しか浮かべていなかった顔が、今は赤くしながら媚を売るような表情だった。
『よくやった、アリア』
ベッファは苦しむアイリスを見下ろしながら満足げに笑い、アリアに頷いた。アリアはベッファの言葉に、歓喜の表情を浮かべた。
『殿下のお役に立てるなら、この身に代えても』
スージーは扉の隅でその様子を見て、全身の血が凍り付くようだった。目の前で繰り広げられる茶番劇は、考えられないほど悍ましい光景だった。
アイリスはベッファの姿を見つけると、自身の体を抱きしめた。まだ、理性は残っているのだ。この体はこの男のものではない、と。
『う、ぅ……殿下……っ、ああ……』
その姿は王太子妃になるべく育てられた令嬢の面影は微塵もなく、ただただ女の顔をしていた。ベッファはアイリスに近づき、愉快そうな目でアイリスの熱に浮かされた体に触れた。
『こんなに早く役に立つ日が来るとは……お前は本当に使える女だな』
ベッファはそう言い放つと、嫌がるように体を捩らせるアイリスを寝台に押し倒し、事におよんだ。スージーは出ていくこともできずに、その場に崩れ落ち座り込んだ。嗚咽を漏らしながら顔を伏せ、できるだけ二人の行為を見ないようにし、アイリスの悲鳴にも似た声をただ聞くことしかできなかった。




