30、ベッファの過去―――王太子妃ハンナ・アーティス13
二人の生活は子供ができないまま、さらに二年の歳月が過ぎ二十六になっていた。
ベッファはもはや、ハンナを愛しているという感情は皆無だった。それは子供ができなかったからではない。ゲームの強制力がすでに消失しており、ベッファの頭の中には様々な疑問が浮かび上がっていた。
―――国政を考えれば、絶対にアイリスと結婚していた方が良かったはずだ。なのに、なぜそうしなかったのか、私自身でも分からない。聖女と結婚する義務はない。それがどれだけ大きな力を持つ聖女であっても、だ。今までだって国から出さないために、教会関係者や名門貴族と婚姻させてきていたのだから、それで良かったはずなのだ……。
ベッファは教会の豪華な扉からハンナをエスコートしながら、馬車へと乗り込む。国民はこの二人に未だに子供がいないことなど、気にも留めていなかった。それよりも今は、以前よりもさらに安全になり、豊かになった自分たちの生活のことで頭がいっぱいだった。
―――今は私たちの子供のことよりも、生活に余裕ができていくことの方が嬉しいと顔に書いてあるな。優秀な王太子がいて、聖女がいる国を歓迎しているのだな。
民の口から出てくる言葉と、頭の中で思っている言葉が同じでないことぐらい、ベッファは分かり切っていた。自分の支持を高めていき、国政を動かしやすくするためにも、このパフォーマンスは重要なものだった。
「王太子殿下、聖女様、おめでとうございます!」
「ありがとう。皆様に女神さまの祝福がありますように……」
「聖女様ー!」
彼方此方から祝福の声が途切れることはない。穏やかな笑顔を作り、ハンナは馬車の中から手を振り声にこたえていた。その横でベッファもまた笑みを浮かべ、手を振った。
―――しかし、ハンナに子ができないことには、理由があるはずだ。男爵家……ハンナは元々平民出身だったな。元の家族も子ができているということは、見方を変えて調べなくてはならないか。ハンナの体に問題があるのか、それとも他に何かあるのか……。
「ベッファ様」
「なんだ、ハンナ」
「先程……ベッファ様をいやらしい目で見る者がいました。知り合いでしょうか」
「……ハンナ、私にはそんな者は見えなかった」
「…………そう、ですよね、私」
「気にするな、さあ、今日は久しぶりにゆっくりしよう」
「はい……」
なかなか子ができないという事実は、ハンナを徐々に精神的に追い詰めていた。ハンナはベッファが自分から離れてしまうのではないかという強迫観念に囚われ、常にベッファに異様な執着を見せ始めるようになっていた。
―――学生の時とは大違いだ。
二人のために用意されている住まいに戻ると、ベッファはハンナに優しく声をかけた。
「ハンナ、教会からの報告書を執務室に置いてくるから、着替えて待っていてくれ」
「早く戻ってきてくださいね……?」
「ああ」
ベッファはハンナを寝室につながる部屋へと連れていくと、あとは侍女に任せた。
王宮の執務室に行く間に考える。自分自身に子を成す能力がないわけではないことを知っていた。医師の診断ではハンナの体にも問題はないだろうということだった。歴代の聖女の何人かは王族と結婚し、子は問題なく生まれている。
ベッファは酷く冷たい疑問を抱く。
―――私には問題がない。ハンナの体にも、だ。精神的なものだろうと言われているが、それも怪しいものだな。
ベッファは執務室で待っていた側近に『王太子妃の不妊の可能性』、そして『過去の聖女に関する記録』を、誰にも知られることなく調査するように命じた。
「いいか、特にハンナにだけは知られるな」
「心得ました」
「頼むぞ、他国の聖女の記録も調べろ」
「はい。殿下、四人目も無事に生まれる日が近づいてきたと報告がありました」
「そうか。明日にでも会いに行く」
「準備しておきます」
ベッファは調査の命令と報告を受けると速やかに、寝室に向かう。その頃には中から大きな音が響いており、ハンナの甲高い喚き声が廊下にまで響き渡っていた。ベッファはため息を吐きながら部屋に入ると、ハンナが激情のままに詰め寄り問いただしてきた。
「ベッファ様! なぜこんなにも遅いのですか……! どこかに、女に……会いに行かれていたのでは!?」
「ハンナ、先程話しただろう? 報告書を持って行っただけだ、どれだけ足が速くても王宮の執務室からだと時間がかかってしまう」
「あ……そう、でしたね……すみません、私……なんだか不安なんです。ベッファ様がいないことが……」
「寂しい思いをさせてすまなかったな。ほら、落ち着いて。私はここにいるだろう?」
「はい、ベッファ様はここにいます、ありがとうございます……」
ベッファはハンナを押さえていた侍女に手で出ていくように指示を出すと、侍女たちは音も立てずに出ていった。慣れた手つきでハンナを落ち着かせると、香りのよい花が飾られている寝台へと手を引いていく。
―――そろそろ面倒になってきたな。新たな相手を持つことも考えてもいいが……男児ができればそれが一番いいのだがな。
ハンナの振る舞いは愛を乞う子供のように、徐々に不安定になっていった。最初の頃こそ驚いてはいたが、学園を卒業して強制力が切れ始めた頃から、ベッファはハンナに対して特に情がなくなっていた。
聖女としての力を使わせるためだけに、置いているだけで周囲から様々な批判を受けているハンナを見ても優しい言葉をかけるだけで何かしらの手を打つこともしなかった。
―――
水面下で進められた調査の結果、側近が驚くべき事実を報告した。
「殿下……判明いたしました。歴代の聖女の中で、ある特徴を持った聖女は子ができにくいという事例が多かったようです」
「それはお前だけの意見ではないのだな?」
「はい。実際に近隣諸国の聖女に関する情報を調べました。ある特徴―美しいピンク色の髪を持つ聖女には子ができておりません。先程、できにくいとご報告いたしましたが、私が調べた近隣諸国8か国ここ数百年残されている記録を確認しても、直系の子孫はおりません」
「まさかな……」
「これは聖女たちの持つ強大な神聖力が関係しているようです。大きな神聖力を教会での検査を受ける際にかなりの衝撃が体中を襲うらしく、そのせいではないかと」
「衝撃……ハンナにもそれとなく聞いてみよう。特徴が当てはまるな」
「はい」
ベッファの顔には冷たい笑みが浮かんだ。妻であり、未来の王妃であるハンナは聖女としても国の守り手として必要だが、聖女の力を持つ子を産めないのであれば国母としては役に立たない。
―――他に産ませた子供を育てさせられるほどの知恵も、後ろ盾もないハンナの唯一の盾が聖女の力であったのに。ああ、なんて女神は惨いことをされるのだ。
この確信を得たことで、ベッファは穏便に動いていくことにした。今の乱的な光を宿し、笑い者にされているハンナは実に見ていて楽しいのだ。それにハンナは聖女なのだから、結界を張り続けなければならない。
―――ハンナ、君は私に何かをしたんだろう? でなければ、私が君のような女を愛するわけがないんだ。全く好みの女性でもない君を、『愛している』とずっと言わされていたこの気持ちの悪さ……理解できるか?




