2、ベアトリーチェ9歳
ベアトリーチェ・ソフィア・リッソーニは公爵家の一人娘であり、唯一の跡取りだった。
グリンカント王国では女性が爵位を継ぐことを許されており、国へ書類を提出し簡単な審査を受けるだけであったことから、今までにも多くの女性領主がいた。
リッソーニ公爵家はベアトリーチェが6歳の時に初めて国へ娘を正式な跡継ぎにする旨の書類を提出したが、許可は下りず保留となった。その後、毎年提出していたが明確な理由は知らされないまま、2年以上保留されていたため、9歳になった年の再申請の書類には明確な理由を知らせてほしい旨を付け足した。
国から返ってきた書類には「公爵夫妻はまだ若いから」という呆れた理由で再度保留となっていた。
こんこんと控えめなノックがされて、ベアトリーチェは声をかけた。
「どうぞ」
「ビーチェ、勉強をしていたのか。何か不自由なことはないかい」
静かに開かれたドアから聞こえた柔らかな声色が耳に届き、ベアトリーチェは振り返った。声と同じく穏やかで整った風貌の男性が立っていた。
「お父様」
ベアトリーチェが父と呼んだ青年はリカルド・リッソーニという。椅子から立ち上がり近くまで来ていたリカルドの腰にベアトリーチェは勢いよく抱きついた。おっと、と声をあげながらもベアトリーチェを受け止め、金色の髪を撫でる手はどこまでも優しく、愛に溢れていた。
金色に輝く豊かな髪は父であるリカルド譲りであり、リカルドもまた国王の妹で自身の母であるソフィアから受け継いだものだった。
「不自由など何もありません。皆優しくて魔法の使い方を教えてくれるの。本当に凄いわ」
「それは良かった」
「それにね、少しだけ魔力を形にできたの」
「それは凄いじゃないか」
パッと表情を輝かせリカルドはベアトリーチェと視線を合わせるように屈むと、ぎゅっと抱きしめた。魔法を見せるか悩んでいると、開けられたままだったドアからカツカツとヒールの音が響き、ベアトリーチェとリカルドは後ろを振り返った。
「ビーチェ、お話し中にごめんなさいね。リカルドまた王室から手紙が来ているわ」
「ベラ、ありがとう。こう何度も送られてくると困ってしまうね。シルヴィア様の面影があるからか、陛下はここ最近殿下の願いは全て聞き届けようとしているのかな」
ベラと呼ばれた女性はベアトリーチェの母で、名をイザベラといった。銀色の髪に少しだけ垂れた目尻はベアトリーチェとは違ったが、燃えるように輝く赤い瞳は母譲りのものであった。
「私もビーチェを王太子妃にするのは反対だわ。シルヴィアが反対していた理由も当然のことよ。それに未だに私たちが若いという筋の通っていない理由で国から跡継ぎの許可が下りないのもおかしいわ。他家では2年以内には許可が下りていると聞いているから、陛下が殿下のために保留にしているとしか思えないわ」
「シルヴィア様の反対していた理由が陛下には分からないのだろうな。可愛がっていた年の離れた妹の孫娘とやっとできた自分の息子。その息子の願いを聞き届けたいのは分かるが、こればかりは私たちも頷くことはできないしな」
その言葉にイザベラも同様に頷いた。
「反対していたシルヴィアが亡くなってすぐに愛人を王妃にしているし、今回の再三の打診についてもいろいろと思うところはあるわ。それに顔が好みだからなんていうくだらない理由だけで可愛い娘を王太子妃候補になんてできるものですか」
「私もベラと同じ気持ちだよ」
「あの! お父様、お母様、私は公爵家を継いで、ずっと二人のお傍にいるの。王太子妃にはなりませんわ」
大人しくしていたベアトリーチェがぎゅっとリカルドとイザベラの手を握り、真剣な眼差しを二人に向けた。二人は互いに見つめ合い、破顔するとお返しと言わんばかりにベアトリーチェを抱きしめた。
「まあビーチェ……もちろんよ。私もリカルドも同じ気持ちよ。こんなにお勉強を頑張っているんですもの。貴方は絶対に公爵家を継ぐべき人間よ」
「お母様、私先ほど少し魔法が使えたの。お父様にはもう言ったんだけどね」
「そうなの? お母様に見せてくれる?」
「とても初歩的なものだけど、笑わないでくれますか」
ベアトリーチェは恥ずかしさと自身の頑張りを見てもらいたいという気持ちを抑えるように何度も足で床をこする。その仕草が普段から少し大人びているベアトリーチェにしては、年相応の子供と同じようでリカルドとイザベラは笑みをこぼした。
「笑うことは絶対にないわ、ねえリカルド」
「もちろんだよ。可愛い我が子が一生懸命覚えた魔法なんだから保存魔法をかけてしまいたいくらいだ」
「お父様ったら! もう! ではいきますね」
ゆっくりと手のひらに魔力を集めるように力をこめる。初級魔法の場合はこれといった詠唱はいらず、自身の魔力と合ったものを手のひらに具現化させるだけなのだ。ふわりと手のひらに魔力が集まりだすと、強く心で願えば魔法は使えることになる。
ほわり。ベアトリーチェの手のひらにバラの形をした火の魔力が具現化された。
「こ、これだけなんですけど! あの、でもっがんばったの」
初級魔法は才能があれば、5歳児でもできるものだったこともあり、ベアトリーチェは恥ずかしさから声は徐々に尻すぼみになっていき、目をぎゅっと閉じた。大好きな両親から返事が返ってこず呆れられたかと思い、いつまでも目を閉じていたが、涙がジワリと浮かんだ瞬間、強い力で抱きしめられた。
「愛しい子よ、その正しさに素晴らしい未来を」
「賢き子よ、貴方の未来に輝かしい光を」
「お父様? お母様?」
「リカルド、ビーチェは天才に違いないわ! こんなに美しい魔力の具現化ができるんですから……流石私たちの自慢の子ね」
リカルドとイザベラは互いに見合い、ちゅとリップ音を立てて交互にベアトリーチェの額に口付けた。嬉しさのあまり破顔したベアトリーチェと三人でくすくすと笑いあった。
この瞬間がベアトリーチェが記憶している最後の家族団欒であった。




