27、ベッファの過去―――王太子妃ハンナ・アーティス10
卒業パーティーの後、王太子ベッファと男爵令嬢であるハンナの関係は急速に広がっていった。
学園に通っていた者たちはほぼ知っていたが、貴族や民たちは知らない者の方が当然多かったからである。公爵令嬢であったアイリスとの婚約破棄直後、夜だというのに男爵令嬢と婚約する話がすぐに出回った。
まだ、国王夫妻からの承諾もまだ得ていないのにである。
ベッファは事態を収拾するどころか、事態を確定させるためにまずは動いた。元婚約者であるアイリス・オルディンの父である、オルディン公爵に『娘の罪を認め、国王夫妻に謝罪しろ』と圧力をかけたのだ。
『お前の娘が聖女を傷つけたのだ。この国には女神の加護があるが、聖女は国防を担う大切な存在だということを知らないわけがないな? アイリスを追放してその後、行方知らずなどとお前たちが匿っているのではないか?』
『殿下……! 我々のところに娘は帰ってきていないのです! 我々も居場所を知らないのです!』
『ならばさっさと父上と母上に聖女を傷つけた娘を国から追放したと言え! 役立たずが! 進言しないのであれば、匿っているとみなすぞ?』
『……承知いたしました。我々もあの者の勝手な行動には手を焼いておりましたので、殿下の仰る通りに進言いたします。ですので、どうか聖女様に対する非礼はお許しください……』
『ああ、話がうまく通ればお前たちの娘がしたことは全て許そう。ハンナに非難を向けないよう私からも伝えておこう』
公爵家は娘がどこに消えたのかも知らなかった。
ベッファが裏でアイリスを監禁している事実も知らず、『聖女を傷つけ害をなす一族』と見られることをよりも、娘一人を犠牲にして王家との表面的な関係維持を選んだのだ。
「父上、母上。私とハンナは……卒業を迎えたその日に、真実の愛で結ばれました。私は彼女を妃として迎えたいと思います」
オルディン公爵が国王夫妻に娘の罪を詫びて謝罪した数日後、ベッファは国王夫妻への謁見の場で一切の迷いなく宣言した。
父である国王は頭を抱え、母である王妃は顔を蒼白にさせた。王太子妃の地位は国政の根幹に関わることだ。男爵家の娘であるハンナができるはずもないと二人は思ったが、聖女としての力があることは知らされていたからこそ頭を抱えたのである。
血筋と家格が決定的に不足しており、貴族社会での求心力があまりにも悪い。
しかし、聖女なのだ。まだ、決まってはいないが。
「ベッファ、お前に問おう。男爵令嬢ハンナ・アーティスが本当に王太子妃に相応しいと思うのか」
国王の厳しい声に対し、ベッファは一歩も引かなかった。ベッファは学園を卒業し、ゲームのラストを迎えたとはいえ、未だにゲームの強制力に支配されているところがあった。
「ハンナにはこの国に稀に表れる聖女の力が備わっています。彼女の存在は、この国を守る力となるでしょう。家格の不足は……そうですね、彼女が正式な聖女としての称号があれば、よろしいのではないでしょうか」
国王夫妻が顔を見合わせる中、ベッファは続けた。
「公爵家はアイリスを王都から、そしてこの国からの追放処分にしました。その理由はオルディン公爵から聞いていると思います」
「確かに聞いた。聖女候補に対する過度な嫌がらせをしていた、と。それも命に係わるような」
「ええ、その通りです。アイリスは私や他の者の目の前でハンナを呪うだけでは飽き足らず、階段から突き落としたのです。他にも数えきれないほどの罪があります。そちらも公爵から聞かれておりますか」
「あ、ああ。公爵がその件で男爵家にかなりの金を払ったとか」
「ええ。アイリスの追放と賠償、それこそが公爵家が罪を認めたということです」
「ですが、ベッファ……これから多くのことをハンナ嬢に習わせねばならないのですよ。それをあの子が……男爵令嬢にできるのですか」
「ハンナを王太子妃とすることで、王家は『古い貴族主義ではなく、新しい時代にあった価値観』を示すことができる。聖女としての力で貴族からの支持を集め、男爵家出身という身分の低い娘が王太子妃になることで、民の支持を集めることができるはずです。それにハンナは学園時代は優秀でしたので、王太子妃教育の問題はないかと」
ベッファの言葉には、政治的な意味合いも帯びていた。国王夫妻は自身の息子であるベッファの政治的な考えと、聖女の力という現実を前に、ベッファの提案を受け入れる他なかった。
「分かった。では、全てはお前に任せよう」
「はい、父上、母上……いえ、国王陛下、王妃陛下。私にお任せください」
―――聖女の力を知れば、こんなくだらないことに悩むこともないだろう。
―――
ベッファは即座に教会側と接触した。
ハンナを伴い、王都の教会本部へと向かった。厳かな聖堂の奥、謁見の間で二人を待っていたのは、教会のトップである枢機卿だった。枢機卿はハンナの聖女としての資質は分かっていたが、聖女として力を使うには未だに慣れていないとして、正式な認定を保留していた。
「王太子殿下。ハンナ様の御身に神の光が宿っていることは、我々も疑ってはおりません。ですが、聖女の称号を与えるには、もう少しばかり修業が必要かと……。あと数年、いえ、最低でも半年を要するかと」
しかしベッファは横に立つハンナの手を強く握りしめ、枢機卿に交渉を持ちかけた。
「ハンナが聖女の力を宿していることは、枢機卿、あなたが見てくださったので、それが真実だということは私も理解している。だが、私とハンナは真実の愛で結ばれたのだ。私は我が身を持ってハンナが聖女だということを確信した。それにあなたも……あなたが判断した女性が聖女になる、その素晴らしさを知ることができるいい機会だと思うのだが」
「いい機会?」
ベッファの言葉には、蜜のように甘い誘惑の響きがあった。枢機卿はまだ学園を卒業したばかりの王太子の絶対的な権威を伴わせている言葉に、ごくりと唾を飲み込んだ。
「ええ、そうです。もし、ハンナをすぐにでも認定していただければ、個人的な感謝の気持ち、枢機卿の権威向上、そして未来の王妃を見出した教会の庇護を約束しよう。既に民も知っているが、公爵家は聖女を傷つけた公爵令嬢を追放処分とした、もはや障害はないだろう?」
枢機卿はベッファの冷徹な考え、個人とはいえ、王室からの巨大な利益を前に顔を引き締めた。
「しょ、承知いたしました。殿下、これはもはや神の御意志であると確信いたします。ハンナ様の神聖力は、今までの聖女様よりはるかに上かと存じます。そんな尊いお方の傷つけようとした方がいるのは、これは聖女としての認定を止めていたことが原因だったのかもしれません」
熱弁を振るうように、枢機卿はベッファとハンナの両方の顔を見ながら続けた。
「教会としても、王太子殿下の新しい時代への協力を惜しみません。聖女の称号は異例中の異例として、早急に認定を進めましょう。ハンナ様ほどの方の結界に守られれば、豊穣の女神に守られている我が国に、さらに強い力となるでしょう!」
「枢機卿様……私は聖女となりましたら、ベッファ様と共に精一杯、王国のために尽くします!」
ハンナは優雅に膝を折って返答した。ベッファは満足げにハンナの手を引き、その功績を称えた。
「流石ハンナだ。枢機卿も君の純粋な神聖力を分かってくれたんだ」
「ベッファ様……嬉しいですっ」
数週間後にはハンナは正式に教会から聖女の称号を賜り、その権威を背景に国王夫妻も二人の結婚を認めざるを得なくなった。ベッファは王室の歴史の中で、最も短い期間でハンナを聖女へと導き、新たな王太子婚約者として迎えた。
「アーティス男爵令嬢……いえ、聖女ハンナよ。そなたを我が息子であり、王太子であるベッファの婚約者として認めよう」
「はい、国王陛下」
「しかし、突然婚約者が変わるという事態に混乱している者もいる。二年、間を置き、めでたき日に式を行うことを豊穣の女神の名のもとに、国王として誓おう」
「聖女ハンナ、今から覚えることは多くあると思います。ですが、愛しあっているのならば必ず乗り越えられると私は信じております」
「王妃陛下、私はベッファ様のお役に立つため、一生懸命頑張ります!」
「……期待しております」
こうして始まった二年間に及ぶ王太子妃教育の課程を、ハンナは順調にこなし始めていた。周りは優しく、『聖女様』と言って優しく教えてくれるのだ。
―――ゲームのラスト迎えても、ヒロインパワーで簡単なものは簡単じゃん。楽勝だからさっさと結婚させてよっ。




