序章
豊穣の女神より愛され、加護を受けし国グリンカント王国。
この国には貴族の子息令嬢は16歳でもれなく入学、平民でも意欲があり学力があれば無償で勉学に励める学園がある。国が豊かになるにつれ、4代前の国王によって創立されたグリンカント王立学園だ。
勉学も魔法もそれぞれ多くを学んだ者たちが、今年もまた学園を巣立つ時がやってきた。
グリンカント王立学園の卒業パーティーは、卒業を惜しむ生徒たちの声で溢れていた。学園は卒業後の人脈作り、そして小さな社交場であった。それぞれが様々な感情を併せ持ったこの場が、貴賤関係なく話ができる最後の場でもある。
「ベアトリーチェ・ソフィア・リッソーニ公爵令嬢」
賑わい皆が楽しく話している中、この国の王太子であるディエゴ・グリンカントが一人の少女の名前を呼んだ。ホールの上からゆっくりと注目されるように階段をおり、一番下につ立つと周りの生徒に微笑みかけた。
白銀の髪は二段に整えられ、瞳は澄みきった空のように青い。整った容貌は今は亡き王妃に似ているが、若くして亡くなったため学園の生徒はほとんど誰も覚えていないだろう。男女ともに見惚れてしまうその容姿に深々と礼をとった。
「ああ、皆そんなに畏まらないでくれ。今日は皆で集える最後の日なんだ、楽しもうじゃないか」
爽やかに言葉を返し、生徒を気遣う姿は次代の国王として王太子を支えていきたいと思わせた。しかしそれと同時に可哀そうな人でもあると皆思っている。将来王太子妃となる婚約者は無理やり公爵家から押し付けられた我が儘ばかりの令嬢で、王太子にいつも無理難題を言っているそうだ。それでも王太子は嫌な顔一つせず、真摯に向き合っているそうだから、なんて素晴らしい方なのだろうか。
皆の恍惚とした表情を横目に名を呼ばれた少女は前に進み出ていく。この爽やかな笑顔とは裏腹に内心はとてつもなく卑怯な男であることよく知っているので、今日は何を言われるのか、と心の中で独り言ちながら返事をした。
「はい、殿下」
「ああ、そこにいたか。君にはがっかりしたよ。僕の愛を独り占めしたいからと醜い嫉妬をするなんて」
名を呼ばれた少女ベアトリーチェは露出の多い青いドレス姿でディエゴのすぐ近くまで歩み寄ると、すと礼をとった。
「私と親しくしているというだけで、男爵令嬢……いや、アンナ嬢を嫉妬でいじめていたそうだな。学園では貴賤関係なく皆平等、それを守り教えていかなければいけない立場の君が、なぜだベアトリーチェ」
背丈の差ではあるがディエゴはベアトリーチェを上から見下ろし、薄ら笑いを浮かべた。そしてベアトリーチェの耳元に顔をやると二人にしか聞こえないほどの小さな声で呟いた。
「僕の贈ったドレスは今日もいいな。君のその体にピッタリだ。僕以外の誰にも見られたくないと言っていたが、今日のような晴れやかな日には見てもらわないと王家の威信にかかわるからな。そしてこの体が僕のものであることを愚かな男どもに見せつけないと」
すりと近付いていたベアトリーチェの腰のラインを手の甲で触れる。良質な生地のせいか薄いドレス生地では触れられた部分が直接触れられたのかと思えるほどに生々しい感触を覚えた。
「……左様でございますね」
にこりとベアトリーチェは笑みを浮かべ「何が似合っているだ、私の体は私のものでお前の体じゃないわ」と思うと同時に背筋がぞっとする。二人で出席するパーティーなどではディエゴがベアトリーチェの意思とは関係なく、自身の趣味で勝手にデザインを選び仕立て屋に作らせたものを着用させられる。
どれもこれも恐ろしいほど品のないドレスであり、ベアトリーチェの好みのデザインとは全くといっていいほど被らず、ドレスが屋敷に届く度にベアトリーチェは吐き気を催すほどだった。
くすくすと小さな笑い声が聞こえ、ベアトリーチェは現実に引き戻される。
「またベアトリーチェ様のドレスは布地が少ないこと、ディエゴ様に作らせているらしいわよ」
「お体に自信がおありなのでしょう。私でしたらこのような輝かしい日には着て来れませんわ」
「俺たちからしてみれば眼福だけどな」
「ちょっと、マリオ?」
「いやいや、俺の女神は君だから怒らないで」
背中と胸元が大きく開き、深いスリットの入ったドレス。男子生徒の性的な視線に女子生徒の蔑む視線がディエゴに呼ばれ前に出てきたことにより向けられ、これを狙っていたのかとベアトリーチェはため息を吐いた。
「ディエゴ様……良いのです、私が全て悪いのです……!」
ベアトリーチェを嗤いものにする騒々しい声を遮るようにして一人の少女の可憐な声が響き渡った。
この言葉によって王立学園の卒業パーティーが断罪劇の場に変わる瞬間だった。