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指名会ラスト
「クラシュ特級魔法師さま!」
上擦った声を上げたのは、頬を上気させた女性。手にはリボンを握り締めている。
白金の真っ直ぐな髪を左右の高い位置で縛った、リャニャより四つ歳上の女性。見習い魔女ではないが、このひとのことは知っている。かなり高位の貴族のご令嬢で、見習い魔女のあいだでも、話題になっていたからだ。確か、見習い魔法師だったはず。
「パティ・ジンガーと申します。どうか、わたくしを弟子にしては下さいませんかっ!?」
言った女性が、クラシュ特級魔法師にリボンを差し出す。
「逆指名……ほんとにあるんだ……」
真横で起こった珍事に、リャニャはぽかんと呟く。
本来、選ばれる側である見習いが、師事したい相手にリボンを差し出して師匠になって欲しいと乞う。逆指名と呼ばれるソレは、制度的に認められた方法ではない。が、どうしても師事したい相手がいる見習いの最後の手段として、ひっそり語られているものだった。
本当にやる度胸のある人間がいるなんて、リャニャは思っていなかったけれど。
でも、噂を聞いた限り、彼女はとても優秀で努力家だと言う話だし、家名や地位をひけらかすことのない優しくて思いやりのある方だと聞く。今だって、必死に勇気を振り絞ってクラシュ特級魔法師に声を掛けたのが伝わって来て、好感が持てる。同時にふたり弟子を取ってくれたら注目も二分されるだろうし、歳の近い同性が一緒なら嬉しいから、リャニャとしてはこの申し出を受けて欲しいところなのだけれど。
「ルールも理解出来ない者を」
隣から響いた冷えきった声に、リャニャはビクリと震えた。つい逃げた身体が隣に座るアガード上級魔法師に当たる。
「大丈夫、リャニャさんには怒っていませんから」
アガード上級魔法師がリャニャの手を包んで小声で言った。それはわかっているけれど、恐いものは恐いのだ。
「弟子にするつもりはない」
きっぱりとした拒否だった。追従するものすら拒む取り付く島もない言葉。
そう言わないと、指名会の秩序が崩壊するからだろう。許されるなら、リャニャだってウィルキンズ先生にリボンを差し出していた。
ジンガーさんは可哀想だが、リャニャにはどうしようもない。
「どうして、ですか。その子より、わたくしの方が、成績は優秀です」
うわ、そんなこと言っちゃうんだ。
いきなり矛先を向けられて内心顔をしかめるが、リャニャも気になっていた事柄ではある。いまだアガード上級魔法師に引っ付いたままながら、リャニャがクラシュ特級魔法師をうかがえば、甚く不機嫌な顔をしていて、速攻で視線を剥がした。触らぬ神に祟りなしだ。
「お前のどこがリャニャより秀でているのか、俺には理解出来ないが」
顔を背けても隣にいれば氷点下の声は聞こえてしまって。プルプル震えるリャニャの手を、アガード上級魔法師がなだめるようになでる。
「優秀さを主張したいなら価値観が同じ者のところから出ないことだ。俺にはお前が優秀とは思えん」
それはつまり、クラシュ特級魔法師にとっては、ジンガーさんよりリャニャの方が優秀だと言うことだろうか。
「……ジンガーさんの方が本当に成績良いですよ?」
見習い魔女と見習い魔法師なので、一概に比較出来るものでもないけれど。
「そう言うことを言っているわけではないですから。私たちにとっては、リャニャさんの才能こそ、なにものにも代え難いものなのです」
「わたしの才能?」
「自覚がないのが驚きなのですがね」
恐怖を紛らわせるためにアガード上級魔法師と小声で話していたリャニャを、ジンガーさんが睨む。
さっきから感じていたが、どうもジンガーさんはリャニャを見下しているようだ。噂とは違って、高慢さ満載で、ついさっき持てた好感も投げ捨てである。噂なんてあてにならないものだ。
リャニャとしては貴族相手に不興を買うつもりなんて、これっぽっちもないのだけれど。
どうしようかと困ったリャニャの視界が、宵闇色で覆われる。
「俺の弟子になにか用事か」
もう、彼のなかでリャニャは弟子なのか。いや、間違ってはいないけれど。リャニャに実感がないだけだ。
「いえ、不躾に、失礼致しましたわ」
流石にこれ以上は食い下がれなかったか、ジンガーさんが引き下がる。リャニャの前に広げていたローブを下げたクラシュ特級魔法師が、苛立ち混じりの息を吐いた。
「とっとと帰りたい」
「見習いは最後まで残っていないといけませんが、それ以外は途中退出可能ですよ?」
忙しい学派員ばかりなので、目当ての見習いを捕まえられたら、さっさと帰ってしまう学派員も多い。見習いに付き添って最後まで残ってくれるのなんて、よほど気遣いと思い遣りに溢れた学派員か、外面を気にする学派員くらいだ。
リャニャとしては気遣いのつもりで口にした言葉だったが、クラシュ特級魔法師は顔を顰めて首を振った。
「弟子を置いて行く師匠がどこにいるんだ。そんなに薄情に見えるか」
クラシュ特級魔法師は、思い遣りに溢れる師匠だったらしい。
「見えますよ」
こそっと呟いたサトラ初級魔法師が、クラシュ特級魔法師に睨まれて首をすくめている。
「ほら、そう言うところが恐いんですって。僕はともかく、いや、僕にも優しくして欲しいですけど、リャニャちゃんには、僕以上に優しく丁寧に接して下さいよ。女の子なんだから」
「……気を付ける」
クラシュ特級魔法師とサトラ初級魔法師の会話をぼんやり眺めていると、アガード上級魔法師がひっそり耳打ちして来た。
「師匠は人気がありますから、弟子に選ばれたことであなたが嫉妬されて、害されることを危惧しているんです。今後も出来るだけ、私たちの誰かがそばにいるようにはしますが、あなた自身も気を付けて、なにか悪戯や嫌がらせをされたら、どんなに小さなことでも相談して下さいね」
「嫉妬……」
それは、リャニャがクラシュ特級魔法師の弟子に、相応しくないからされるのではないだろうか。
誰からも文句の付けようがない天才、それこそ、アガード上級魔法師のような相手にだったら、嫉妬はするにしても嫌がらせなんて出来ないはずだ。
リャニャの考えが透けて見えたのか、アガード上級魔法師は真剣な目になって言った。
「良いですか、リャニャさん。私たちは、心から望んで、あなたを弟子にしたのです。弟子になって貰ったからには、魔法師の誇りに掛けてあなたを一人前にするために尽力しますし、あなたが独り立ちするまでは、なにものからも守るつもりです。それを決して、忘れないで下さい。あなたは私の可愛い妹弟子です。誰がなんと言おうと」
そんな風に言って貰えるなにが、リャニャにあると言うのだろうか。
そう問い掛けられないまま、指名会は終了し、落ち着かない気持ちで期末休暇を過ごしたあと、リャニャはクラシュ特級魔法師の弟子として、上級課程に進むことになった。
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