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※痛い(物理・心理)描写があります。苦手な方はご注意下さい。
長年抱いた夢を捨てるのは簡単で、けれど、弗化水素酸に身体を侵されるより苦しかった。
「それは」
「ずっと、あなたに憧れていました、ウィルキンズ先生」
「知っているわ。わたしのように、多くのひとを救える魔女になりたいと、ずっと言ってくれていたこと。だからあなたを、わたしの研究室にと、思っていたもの」
けれどそれは、ウィルキンズ先生にとって、クラシュ師匠に喧嘩を売るほどの思いではなかったのだ。
リャニャは頷いて、言う。
「村の女ではわたしだけが、あのとき、流行病に罹らなかったのです。おとうさんは我が子にしか、優しくない」
偶然だとは、思っていなかった。モフが、リャニャだけを、守ったのだ。
「だから、魔女になろうと思ったのです。誰に頼らなくても、大切なひとを、守れるように。でも」
右手を持ち上げ、止血帯をほどく。血に塗れていたはずの止血帯は小さな血痕すら残っておらず、そして、その下には傷ひとつない真っ白な皮膚があった。
「そうじゃない。だって、ウィルキンズ先生、あなたが治せないと言った怪我を、おかあさんは簡単に治してしまった」
魔女も魔術師も、人間にできる奇跡しか起こせない。人間に起こせる奇跡では限界がある。
だからこそ、リャニャが大切なひとを守りたいならば。
「ウィルキンズ先生」
リャニャは、足を焼かれてうずくまるふたりの見習いを手で示した。
「彼女たちを、治せますか?」
すぐに一滴残らず除去したから、腐食されたのはふたりとも足だけ。けれど足首や甲の肉はぐずぐずに腐食され、暴れたせいで一部は崩れて、骨が覗いている。
オルレイが痛み止を飲ませ、傷薬をかけているが、血止め程度の役にしか立っていない。ウィルキンズ先生がそんな傷を見下ろし、顔を歪める。
「リャニャくんの腕より状態は良いから、治せはするわ。ただ、すぐにとは言えないし、傷痕も残る。後遺症も、残る可能性があるわ」
「クラシュ師匠は、治せますか?」
「部位欠損は、俺でもまだ治せん」
頷いて、リャニャはオルレイの横、リャニャの手に弗化水素酸をぶちまけた見習い魔女たちの前に屈んだ。
「足、治らないそうですよ。残念ですね」
こちらを見た見習い魔女の顔は、泣いてぐちゃぐちゃだった。
「治して欲しいですか?」
見習いふたりの目が、リャニャの右手に向かう。傷ひとつなく完治した右手に。
「いた、いの……もう、いや……」
「なお、して……おねが……ヒッ」
言葉の途中で息を飲んだのは、いままさにリャニャの背にも感じられる、刺すような視線が原因だろう。
背後の視線には気付かない振りをして、リャニャはふたりの見習いの足を指差した。
{おとうさん、なおして}
{りにー?}
たしなめるような声。ああ、やっぱり。
{なおして。でも、わすれちゃわないように、もようをのこして}
ムフーンと、仕方ないとでも言いたげな息を漏らして、モフがモソ……と気乗りしなさそうに、彼女を指差すリャニャの手へと降りて行く。
{もるす}
フサ……と毛を揺らしたモフから、ポ……とやる気無さそうに小モフがふたつ出て、真っ赤な傷痕へと落ちる。
{も}
フ……と小モフが輝いて消えれば、血や体液で汚れた服はそのままに、見習いふたりの足は治り、けれど代わりに、足首に蔦が取り巻いたような赤い模様が残った。
{ありがとう。おとうさん。わがままいって、ごめんなさい}
持ち上げた手に乗るモフに口付けて、魔力を渡す。
{りにー}
プルルと震えたモフの毛がリャニャの顔をなでる。
リャニャは目を閉じ、開いて、立ち上がった。振り向いて、言う。
「わたしは、自分でどうにかする術ではなく、彼らにどうにかして貰う術を、学び、考えるべきだったのです。だって、ウィルキンズ先生もクラシュ師匠もできないことでも、彼らはできるのだから」
モフは優しい。ずっと、リャニャにだけ。だから、リャニャが怪我をしたら治してくれる。死ぬような危険な目に遭うなら助けてもくれる。けれど、リャニャ以外のなにかが、傷付いても苦しんでもなにもしてくれない。どれだけ、リャニャが願っても。
だからリャニャは、誰かを守りたいならモフを頼れはしないのだと思って、魔女を目指した。
でも、違ったのだ。これまで魔法師の下で学んだことと、今日のまばゆいひととの会話で気付いた。
モフが頼んでも動いてくれないのは、頼む言葉が、間違っていたからではないかと。
そして実際、言葉を変えて頼めば、モフは渋々でも、リャニャの願いに応えてくれた。
「守りたいひとを、守るために」
リャニャが目指すべきものは、魔女ではなくて。
「わたしは魔法師を目指します。クラシュ師匠の弟子として。だから、ウィルキンズ先生、魔女の見習いは、もうしません」
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