75
本当は呼んではいけなかった相手に、無事退散して貰えて、ほ、とリャニャは息を吐く。
「リャニャ、ちゃん?」
リャニャはくるりと目を泳がせてから、スッと伏せた。
「ごめんなさい、個人的な事情なので……」
「あっ、すごい。その顔見せられると、これ以上問い詰められない。すっごい胸が痛む。わかったそこは問い詰めないから別件ね!」
胸を押さえて、たはー!と言う顔をしたあとで、サトラ先輩が表情を引き締める。
「さっきの映像は、本当?」
リャニャは頷く。
「すべて、本当です。わたしはこの四ヶ月、調薬の実習に出る度に、いじめられていました」
「でも、木曜日の午後に会ったときに、怪我はなかったよね?」
「治して貰っていました」
「誰に?ってああ、その顔はずるいって、この先訊けなくなるから!やめてえ、ああ、僕には無理い!せんぱあい!」
サトラ先輩が顔を覆って、アガード先輩に助けを求める。
「まるで、私には痛む心がないかのような言い振りですね、サトラ」
「痛む心も耐える精神も持ってると思ってるんですう!僕には耐える精神がありませえん!!」
「まったく……リャニャさん、かのお方の前で見せた映像を、疑うつもりはありません。ですが、映像のなかで、あなたは障害や消えない傷が残りかねない怪我を負わされていました。傷が治りきらず、辛い思いをしていないかが心配なのです。誰に、どうやって治して貰ったのか、教えて貰えませんか?」
やっぱりまだ、リャニャよりもアガード先輩の方がずっと上手だ。
『窓を開けて』と魔法で頼み、右手を差し伸べる。
{りにー}
ピョンと飛び込んでリャニャの手に乗るのは、馴染みのモフ。今日はリャニャの頭くらいの大きさだった。
「ありがとう。今日は大丈夫。おかあさんに来て貰ったから」
{りにー}
「心配掛けてごめんね、おとうさん」
モフが気にするなとでも言うように、リャニャの手に擦り寄る。
「いつも、彼に、治して貰っていました」
モフを差し出したあとの反応は二分された。目を見開くものと、眉を寄せるものと。
見えているものと、見えていないものだ。
「なるほど、その方ならば、これまで負った傷くらい完璧に治せるでしょうね。では、もう痛いところはないのですね?」
「はい」
「そうですか……良かった」
おもむろにリャニャへと歩み寄ったアガード先輩が、そっとリャニャを抱き寄せる。モフはササッと、リャニャの右肩へ避けた。
「アガード先輩?」
「辛い思いをしていたのに、少しも気付いてあげられなくて、ごめんなさい。守ると言ったのに、守れませんでした。先輩、失格ですね」
「わたしが、言わなかったんです」
「それでも、気付いてあげたかった」
アガード先輩が、リャニャの背中をなでる。繰り返し、何度も。
「痛かったでしょう。辛かったでしょう。苦しかったでしょう。よく、耐えましたね。とても、頑張りましたね。耐えさせて、頑張らせて、助けてあげられなくて、ごめんなさい」
「そんなこと……!」
この四ヶ月、リャニャがアガード先輩にどれだけ、救われて来たことか。
「ずっと、支えて貰っています。アガード先輩がいて、とても、救われているのです。わたしのことを、必要だって、大切だって、言ってくれて、どれだけ救われたか」
「必要です。大切です。あなたは、私の大事な妹弟子で、初めての弟子でもあるのですから」
ぎゅ、と抱き締められて、リャニャはアガード先輩の胸に身を委ねる。安心だと、安全だと、思える場所だ。
アガード先輩がいて、モフもいる。いまのリャニャに、怖いものはない。はずだった。
「つまり」
氷点下の声が、空気を震わせる。
「魔女科は俺の弟子を、さんざんいたぶって、治療すら受けさせなかったと、そう言うことだな」
びくりと震えたリャニャを、アガード先輩が抱き締めたままでなだめるようになでる。
「これが魔女のやり方か。知っていれば、大事な弟子を預けたりはしなかった。ラトリシア・ウィルキンズ。申し開きがあるなら言ってみろ」
「リャニャくんは、わたしがサガン教授から依頼を受けて指導を請け負い、わたしの指示で、調薬の実習を受けていました。ほかの見習いと同じように扱うようにと、サルビア中級魔女には伝えています」
「だからお前に責任はないとでも?」
響く声が冷た過ぎて、ピリピリと皮膚が痺れるような気さえする。
リャニャはそろりと頭を回して、目に入った憤怒の形相の恐ろしさに、すぐさま戻した。
「いえ。未熟な者に教育を任せたことも、見習いの歪んだ性根を見抜けず直せなかったことも、見習い魔女の教育責任者として、わたしにすべての責任があります。償いきれるものとも思えませんが、わたしに出来る償いはすべてさせてもらいます」
「責任を取るのはあんただけのつもり?身体の傷は治ってるとしても、あんな扱い受けて、怖くなかったわけないし、物的被害も散々出てますよね?成人済みの大人が寄って集って、まだ十四歳の女の子に、あんなひどいことを。損害賠償、慰謝料の支払いは当然のこと、法の裁きと刑事罰を受けるべきだ。実行犯も、監督者も、学院もです」
サトラ先輩の、いつになく険しい声。
「怪我だって、治ったから許されるわけじゃない。物的損害だって。リャニャちゃんの、使っている道具ってどれも特級品ですよ?被害額は、どれほどになるか。手袋なんて、表地は火鼠の革で、裏地は水蜥蜴の鱗、土蜘蛛の糸で縫い合わせて、防護の呪符まで縫い込んでる。ローブだってこれ、樹妖精の糸と水蚕の糸を寄り合わせた糸に、火喰酉と鵺の羽を織り込んでる。競売にかけたら値段は天井知らずの品です。だって、同じものが、手に入る保証もない」
{りにー}
リャニャの肩に乗ったモフが、ぽそりと囁く。
「ありがとう」
リャニャも囁いて答えた。
「いつも本当に助かってる」
あのまばゆいひとに用意させたら、もっと恐ろしいものが来るのだ。一見普通に見えるものを贈ってくれるモフには、感謝しかないとリャニャは常々思っている。一見普通に見えるだけで、実態はとんでもないようだが。
モフに頬擦りして、リャニャはアガード先輩の腕から抜け出そうとした。被害者はリャニャで、だからこそ、リャニャは向き合うべきなのだ。そう、決意して、アガード先輩の胸を押して、
「……?」
離して貰えなかった。それどころか、よりしっかりと、抱き込まれる。
「アガード先輩?」
つたないお話をお読み頂きありがとうございます
続きも読んで頂けると嬉しいです




