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「なるほどねぇ」
うんうん、と頷いて、サトラ先輩は組んだ脚に頬杖を突いた。机に置いた覚書を見下ろして、んー……と考え込む。
場所は寮の談話室。昨日と同じように、ソファに並んで座っている。
「ひとつずつ行こうか。まず、僕がなんで部屋を出たかね。ほら僕、風には好かれるって言ったの、覚えてる?」
「はい」
「風魔法はね、百発百中なんだ。んで、その理由が、」
サトラ先輩の背後を見つめて、リャニャは言った。
「風の上位精霊が、ずっと一緒にいるから、ですか?」
「あは、やっぱりリャニャちゃんは気付いてた?そ、そ。僕には見えないんだけど」
ここに、とサトラ先輩が自分の右肩の後ろを指差す。
「常におんなじ精霊がいるんだよね。その子が風の子で、僕が風の魔法式を使うと、行使者になってくれんの。しかも、僕の意図を察して使ってくれるから、意味を成さないような魔法式でも、風魔法なら発動するんだ。僕以外の魔法師の魔法式には、一切反応しないんだけどね」
「だから、さっき」
「うん、リャニャちゃんの魔法式が"風の精霊を召喚してそよ風を起こす"ためのものなのは知ってたから、そのまま発動して、声の指示で指向性を付けたんだよ」
サトラ先輩も、なのか。
リャニャは納得して、ふと、気付く。
「もしかして」
「あ、気付いた?僕が師匠に選ばれたのは、それが理由。本来、師匠のそばって闇以外の精霊は、魔法式で呼ばれない限り近づかないんだけど、僕のこの子は僕から離れず、ずっとそばにいるんだよね。だから、師匠の興味を引いちゃってさ」
だから、ジンガーさんでは駄目なのか。
「まあそれはいいや。それでね、ずっと一緒だから、なんとなく、この子の気持ちも伝わって来るんだよね。で、闇の上位精霊がいっぱいいる空間は嫌だーって気持ちに、当てられちゃって」
そうでなくても闇の精霊って怖いしねと、サトラ先輩は苦笑する。
「人間は、闇を恐れるようにできてるから」
「…………」
「あ、や、怖くないひともいるだろうけどね!」
困った顔をしたリャニャに気付き、サトラ先輩が慌ててとりなした。
「そりゃ、そんだけピクシーに懐かれてたら、闇も怖くないよね。ピクシーって、闇の精霊を怖がらない妖精だし」
次の話に移ろっかと、サトラ先輩は話を立て直す。
「魔法式の話ね。"闇の愛し子"ってのは、精霊たちからの師匠の渾名だよ。闇の精霊に愛される人間って意味で、精霊にも知れ渡ってるから、師匠自身も闇の精霊とほぼ同様の扱いをされてるんだよね。だから、師匠って闇以外の魔法は実は得意じゃなくて」
皮肉な話なんだけどと、サトラ先輩は人差し指で自分の頬をこねる。
「師匠って、めちゃくちゃ厳密に魔法式展開するでしょ?」
「はい。ユイ先生も、褒めていましたね」
「そうそう。ティエジア学派内の魔法師、いや、もしかすると現存するすべての魔法師を集めても、師匠ほど完璧な魔法式展開はできないと思うよ。でもそれ、理由があって」
理由?とリャニャは首を傾げる。
「闇以外の精霊に嫌われ過ぎていて、そこまで完璧な魔法式でないと、発動しないんだよ」
「えっ」
ぽかん、とリャニャは目を見開いた。
「ここだけの話、アガード先輩も火と光の魔法は苦手なんだ。ものによっては木も苦手」
「だから、火魔法を避ける、のですか?」
「内緒ね。でも、だからこそ、師匠が展開して発動する魔法式は、大きな穴がないことの証明になるんだ。逆に、風の魔法式の試行は僕だと役に立たない。全部発動しちゃうからね」
つまり、とサトラ先輩は人差し指を立てた。
「師匠が試行を申し出たのは、リャニャちゃんが目指す水準に合わせた試行条件を取ってくれた、と同時に」
リャニャの瞳を覗き込んで、サトラ先輩は告げる。
「リャニャちゃんなら、師匠でも発動可能な魔法式を組み立てられるだろうって言う、信頼と期待の現れだよ」
自信を持ってと、サトラ先輩がリャニャの手を軽く叩く。
「それで、問題の魔法式だけど」
サトラ先輩の指が、件の魔法式をなぞる。
「これについては、リャニャちゃん自身がいちばんわかってるんじゃないかな?」
「……」
「バルツザット教授の研究室で、ひとつも言わなかったもんね、ピクシー直伝の文言は」
リャニャは目を閉じ、深く息を吐く。それから目を開いて、そっと伏せた。
「うん、沈黙は金だよ。研究室内はともかく、よそではやらかさないようにしようね」
「気を付けます」
「よろしい。じゃあ最後、失言の話だけど、もうわかってる?」
問い掛けられ、リャニャはこくりと頷く。
「わたしはクラシュ師匠ほど、揺らぎのない魔法式展開はできません」
「そうだねえ。雑とまでは言わないし、平均と比べたら綺麗な展開だと思うけど、師匠と比べちゃうと数段劣るよね。僕もだけど」
「でも、わたしは、ピクシー相手の魔法式で、不発になったことがありません」
「うん」
頷いて、サトラ先輩はソファに背を預ける。
明後日に目を向けて、口を開く。
「一般的な魔法師が知ってるピクシーの魔法式って、たぶん魔法使いの飛行くらいで、しかも、ピクシーを魔法行使者としては想定しないで使ってるんだよね。それで、成功率は八割くらいみたい」
「はちわり」
「でも使うひとは多いよ。魔法師の飛翔と比べて、圧倒的に消費魔力が少ないからね。発動さえ成功すれば、途中で飛行が切れたりもしないし。不発の理由はわかってなかったけど、ピクシーに依頼してるなら、八割の成功率は高い方な気がするな」
ピクシーはどこにでもいて、思考こそ幼いが能力は高い。けれど、ピクシーに対する魔法式を、少なくともリャニャはまだ学院で習ったことがない。
気まぐれで、好き嫌いの激しいピクシーは、魔法行使者に向かないのだろう。そもそも普通の魔法式では、ピクシーは動いてくれない。
「わたしは、ピクシーに、特別扱い、されているのですね」
「うん。だろうね」
ソファに背を預けたまま、サトラ先輩がリャニャを見る。
「僕はいつもいる子以外でも、風の精霊には好かれてるみたい。この子といつも一緒だから、仲間と思われてるのかも。師匠は闇の愛し子だし、アガード先輩は氷の精霊に愛されてる。僕らほどじゃなくても、なんとなく好かれてるひとはたまにいる。だから、精霊に好かれるってのは、あり得ない話じゃないよ。でも」
よ、と起き上がり、サトラ先輩は頭を掻いた。
「ピクシーってたくさんいるけど、精神が幼くて気まぐれってこと以外統一性がないから、どんなピクシーにも好かれるって言うのは、僕は前例を知らない。さらに言うなら」
覚書に指を走らせ、サトラ先輩が目を細める。
「ピクシーの使える魔法は多彩だ。どこまでできるのかは、たぶんまだわかってない。単一の精霊に好かれやすい人間より、ピクシーたちに好かれる人間の方が、きっと幅広いことができる。可能性が、未知数なんだ」
さらに言えばとサトラ先輩は続ける。
「先輩も言った通り、ピクシーって師匠すら機嫌を損ねるのはためらうくらい、扱いの難しい妖精なんだよ。なんなら王族にすら、平気で喧嘩を売る師匠がだよ?すごくない?だから研究も進んでいなくてね。そんなピクシー相手に百発百中で魔法行使を依頼できるなんて、妖精研究をやってる研究者とかから見たら、かぶり付きで調べたい相手だと思うよ」
「それは」
「うん。嫌だよね。まあ、もしそう言うのに目を付けられても、師匠が一睨みで撃退してくれるだろうけど、目を付けられないに越したことはないから、気を付けて」
サトラ先輩の忠告に、気を付けますとリャニャは頷く。気を付けるつもりだった。このときは。
真摯に頷いたリャニャに、いいこ、と微笑んだサトラ先輩が、ぱしん、と両手を合わせる。
「んじゃ、試行結果の考察と、結果を元にした魔法式改良に移ろうか」
「はい」
リャニャは頷いて、サトラ先輩と共に覚書を覗き込んだ。
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