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「……リャニャくん」
授業終わり、逡巡ののちに声を掛けられて、リャニャは顔を上げた。
「頬に、インクが付いているよ」
魔法で濡らしたハンカチで、頬を拭われる。
「ありがとうございます」
「熱心なのは良いことだが、顔に触れる癖は直した方が良い。作業したその手が、綺麗とは限らないからな。医療従事者は、己が病に罹患する可能性を減らすことに、なにより尽力しなければならない。自分が病の運び手になっては、話にならないからな」
「はい。気を付けます」
一昨日もインクで頬を汚して、アガード先輩に拭って貰った。
「ああ。今後も、気付いたことがあれば指摘するようにする。本来であれば師匠が教えることだが、きみの師匠は魔女ではないからな。私が魔女として口出ししても、問題ないだろう」
歯痒そうに表情を歪めて、アルマン教授は言う。
「私は、きみのような勤勉で熱心な生徒が同門になることを、楽しみにしていた」
愕然としたリャニャに、アルマン教授は、はっとして首を振る。
「いや、すまない。いまさら言うことではなかった。私はあの場にいなかったし、いたとしても、どうにもならなかった」
「そ、れは」
「だから、そう、悔しくて」
アルマン教授とは、そう、多くを話したことはない。ただ、研究室を訪ねて、親しい学派員がいなかったとき、代わりに何度か、勉強を教えて貰った。
「同門として、きみを導くひとりになれるものと思っていたのに、横から奪われたのが悔しくて、どう、きみに関わって良いものか、決めあぐねていた。私の態度は悪かったろう、すまない」
「そんな、謝って貰うようなことは、なにも」
オルレイや、多くの見習い魔女に比べたら、アルマン教授の態度など、なんてことはない。
なんてことはない、と、思っていた。
リャニャの顔に、冷たいハンカチが押しあてられる。
「同門でなくとも、きみは見習い魔女だ。なれば先達として、教え導くことは許されるだろうと、ようやく割り切れた。師匠でも、同門でもない私では、できることも限られるし、きみが憧れるラトリシア師匠のような立派な魔女では、まだないけれど」
アルマン教授は不器用に、けれど、真摯に言葉を紡ぐ。
「きみは素晴らしい魔女になると信じているし、そのための助力は惜しまないつもりだ。遠慮せずに、頼って欲しい」
「わ、たし、も」
リャニャの声は、か細く、くぐもって、今にも消え入りそうだった。
「アルマン、先生の、同門に、なりたかった、です」
「ああ。わかっている。わかっているから、私は悔しい」
クラシュ師匠や、アガード先輩とは違う。細いが節くれ立って荒れた手が、たくさんの薬を作る、傷だらけでボロボロの手が、リャニャの頭をなでる。
「なぜ、きみのような、素晴らしい生徒が、不必要に苦しむ道を進まねばならないのか。きみの希望通り、師匠の門下に入っていれば、そんな苦しみとは無縁であったはずなのに」
「っ……」
ハンカチに顔を伏せ、リャニャは嗚咽を噛み殺す。
「すまない。泣かせようと言ったわけではないのだが。きみが変わらず、努力しているのを見て、味方はいるのだと、伝えたくなったのだ。どんな立場になろうと、きみ自身を見て、その努力を、評価する者はいる」
声を返すこともできず、リャニャはただ、無言で頷いた。
魔女は、敵ばかりになってしまったのだと。
誰も彼も、リャニャを疎んでいるのだと。
そう、思っていた。
けれど、違ったのだと、アルマン教授の言葉で、思えた。
「その、月並みな、言葉になってしまうが、応援している。きみは、よく頑張っている。だから、胸を張れ」
不器用で、けれど、どこまでも真っ直ぐな言葉。
「はい……っ」
やっとそれだけ答えたリャニャが泣き止むまで、アルマン教授は黙って頭をなでてくれていた。
つたないお話をお読み頂きありがとうございます
まとも(ただし若干コミュ障)な魔女もなかにはいます
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