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「実のところ、その論文群の古語訳は複数作られています。原典ではもう失われた部分について書かれたものもあり、複数の古語訳を重ね合わせることで、かなりの内容を補足し修復ができました。けれど」
リャニャとサトラ先輩の座るソファへと歩み寄ったアガード先輩が、手を伸ばしてリャニャの書いた紙を拾った。
「文言の一部を説明する箇所だけが、執拗に、徹底的に、欠損しています。原典も、訳本も。まるで、それが人間には過ぎた知識であると、誰かが取り上げたかのように」
リャニャの書いた文章を指でなで、アガード先輩は微笑んだ。
「ですからリャニャさん、この文言の、意味を語ることは禁止です。文言を使用すること自体は、悪用しない限り禁じませんし、文言を入れる意味の説明はして大丈夫ですが、文言自体の意味は、絶対に口外しないこと。守れますか?」
禁止、には、いろいろな意味がある。けれど共通するのは、それによって守りたいなにかがある、と言うことだろう。
そして、アガード先輩の課す、この禁止の守りたいものは。
「わかりました。ありがとうございます」
いろいろあるだろうけれど、そのなかに、間違いなくリャニャも入っているだろう。
無知は危険だが、同じくらい、知ることも危険を伴う。
リャニャの返事に頷きを返し、アガード先輩は紙を机に戻した。
「いえ。勉強、巧く進んでいるようですね。うん、やはり、サトラが訳すと易しい文章になりますね。よく訳せているし、間違いもありません。私が訳すとどうも小難しい文章になりがちなので、この分野の勉強はサトラに任せて正解ですね」
「褒めてますか?それ」
「褒めていますよ。師匠曰く、私は研究者に、サトラは教育者に向いている、とのことです。だから師匠、最近はサトラばかり授業に連れて行くでしょう?」
サトラ先輩が、目を見開いて固まった。元々血色の悪くない頬が、じわじわと赤みを増す。
「そっ……えっ……ええー……?」
ふふっと笑って、アガード先輩がサトラ先輩の頭をなでる。
「サトラだって良いところは、ちゃんと師匠に認められていると言うことですよ。私も師匠も人付き合いは不得手で、教育者に向かないですからね。その点はサトラを尊敬しています」
「ほっ」
うろたえたサトラ先輩が、両手で顔を覆ってうつむく。
「ほめてもなにもでませんよおぉ……」
「私に出なくても良いですから、リャニャさんと勉強に精を出して下さい。私は自室で作業していますが、手が離せないものではありませんから、どうしても行き詰まったときは遠慮なく訊きに来て下さい。リャニャさんも」
「ありがとうございます」
「でもそれってどうしてもじゃないなら自分で頑張れってことですよね先輩」
サトラ先輩の指摘は笑顔で流し、アガード先輩は続けた。
「今日は師匠、学長に呼ばれているようで。そう言う場合、食べきれないくらいの食事を持たされて、夕方に帰って来ます。昼食も、私がなにか買って来ますから、リャニャさんは食事の用意を気にせず、勉強に集中して下さい」
では、と言って立ち去るアガード先輩に、リャニャは慌ててありがとうございますとお礼を投げる。
アガード先輩は少し振り向いて微笑むと、談話室を出て行った。
「あの面倒見の良さで教育者に向かないは嘘だと思わない?」
「そうですね」
「確かに、あの顔で授業されたら授業内容より顔ばっか気になっちゃうひと多そうだけど。それに、師匠も先輩も天才過ぎて、凡人の気持ちは理解できないとこあるけど」
肯定しにくい言葉は笑みで濁し、リャニャは机に目を戻した。
「あー、せっかく良く訳せてるけど、門外不出だね、これは。でも、外に出さなきゃ良いだけだから、このまま続けよう!次は第二部!」
ぱっと切り替えたサトラ先輩が笑って言い、リャニャも今度は、はい、としっかり答えた。
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