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「てか先輩!先輩の論文があるなら、その論文読んだらわかりやすいんじゃないですか?学説、まとめたんですよね!?」
サトラ先輩の要求を、アガード先輩がひらりとかわす。
「いえ、私が書いた論文はどちらも、バラバラの文献を一連がものである、と提唱する内容なので、学説の理解にはあまり役に立たないと思いますよ。だからこそあまり、注目されなかったんです」
「わ、ざとじゃないですかそれえ!」
サトラ先輩の指摘を笑顔で流し、アガード先輩はリャニャに目を向ける。
「片付けは私とサトラでやりますから、リャニャさんは師匠の夜食をお願い出来ますか?」
「わかりました」
アガード先輩だけでなく、クラシュ師匠まで、頼んで作って貰っていると言う立場を取って、片付けはやると言ってくれる。リャニャが言い出して作っている食事なのにと、最初は固辞しようとしていたが、押し切られていまではすっかり常態化してしまった。
やってみたら、意外と良い気分転換になったらしく、クラシュ師匠なんてたまに、鼻歌混じりで洗い物をしていて、サトラ先輩をぎょっとさせている。リャニャも初めて聞いたときは驚いた。頑張って、顔には出さないようにしたけれど。
アガード先輩は、家事を魔法で楽にできないかと言う方向に興味がわいたらしく、ときおりクラシュ師匠と並んで洗い物をしつつ、議論を交わしている。
サトラ先輩は普通に手際良く片付けるだけなので、そんな議論を見かけたときは、魔法馬鹿だと言いたげな、げんなりした顔をしていた。
サンドウィッチ用にバケットを切り出しながら、リャニャはそんなことを考える。
「リャニャちゃんってさ」
「ふぁい?」
意識がよそに行っていたところへ話し掛けられて、間抜けな声が出てしまった。間抜けな返事には触れずに、サトラ先輩が言う。
「息をするように魔法を使うよね」
「え?」
そうだろうかと首を傾げれば、無言で手元を指差される。リャニャの手元にあるのは、綺麗にスライスされたバケットだ。火の小妖精に切ってもらったので、ほんのりローストされている。
「……あ」
パンくずが落ちるのがもったいないので、パンを切るときは火の小妖精に頼むことが多い。完全に無意識の行動だ。
「ええと」
夕食に出した鹿肉のローストは、水の小妖精に切って貰った。リャニャが切るより綺麗に薄切りにしてくれるし、瑞々しい断面になるからだ。
「そう、です、かね?」
小妖精はいつだって近くにいて、小さな手伝いと引換に、魔力をおくれと待ち構えている。だからリャニャは気負うことなく、気軽に手伝いを頼むのだが。
「水遣りとか、髪を乾かすとか、毎日同じようにやることを、魔法で済ませる魔法師は結構いるけどさ、料理って、作るものによってやることがちょっとずつ違うでしょ?それぞれに合わせて魔法式を考えなきゃいけないから、料理で魔法を使うひとって、少ないと思うよ」
「まあ、そうですね。私も未だに、食器洗い魔法の最適解を見付けられていません」
「洗うとか冷やすとか、火を付けるとか焦げ目を付けるとか、簡単なことなら頼むかもしれないけど、リャニャちゃんって、切るのも刻むのも混ぜるのも潰すのも、魔法使ってるでしょ?」
使っている。リャニャが自分でやるより、早くて正確だからだ。
「即興で魔法式を組み立てるのが巧いんだなって、ずっと思ってた」
「そんなに、難しいことは、やっていないと、思うのです、けど」
なにせほぼ無意識にやっている。そもそも相手が小妖精なので、難しいことはできない。
「たぶん、いや、確実にね」
困ったような笑みで、サトラ先輩はリャニャを見た。
「料理中のリャニャちゃんを、バルツザット教授が目撃したら、大興奮で質問責めされると思うよ。ここでやる分には問題ないけど、外では気を付けてね」
そんなにリャニャは、変わったことをやっているのだろうか。
「えと……」
少なくとも、調薬の実習では気を付けている。リャニャを目の敵にしているオルレイが、リャニャが少しでも魔法を使ったことに気付くと、姦しく怒鳴り付けて来るからだ。
「気を付けます。ありがとうございます」
「うん。わずらわしいことを言ってごめんね。悪いことでは全然ないから、僕らだけのときは、いままで通り気にせずやって良いからね」
「外でも、ある程度は大丈夫ですよ」
サトラ先輩を補足するように、アガード先輩が言葉を継ぐ。
「リャニャさんが魔法式の構成に長けていることは、中級課程の時点ですでに知られていますし、その上クラシュ・サガンに、直弟子として指導を受けていますから、ちょっとぶっ飛んだことをやったくらいでは、驚かれません」
そんなに、リャニャは、変わったことをやっているのだろうか。
鹿肉の塊を前にして、躊躇ってしまう。いつも通り切って良いものかと。でも、ローストビーフと同じで、鹿肉のローストもしっかり薄切りが美味しいのだ。
開き直って、水の小妖精に鹿肉を切って貰い、夕食でかけたのと同じソースに絡める。風の小妖精にカラシとマヨネーズを混ぜて貰って、ついでにバケットに塗って貰って。光の小妖精に浄化して貰ったレタスをちぎって叩いて、薄切りの鹿肉と一緒にバケットで挟む。お肉もレタスも、たっぷりが美味しい。
端の方の、小さな切片で作ったサンドウィッチを、さらに二等分にして、洗い物を終えた先輩たちに差し出す。本当は、リャニャ自身が味見すべきだが、もうお腹がいっぱいで、味がわからなそうだ。
「あの、味見、してみて貰えますか?」
「えっ、良いの!?やったー!いただきまーす!」
ぱっと目を輝かせたサトラ先輩が、さっそく受け取ってかじる。
「んんー!カラシが絶妙に利いてて美味しい!!」
あっと言う間に平らげて、完璧だよ!と親指を立ててくれた。遅れて受け取ったアガード先輩も、美味しいですと言ってくれる。
安堵して、そのままロースト鹿肉のサンドウィッチを仕上げてしまう。
「一種類だけで、大丈夫ですかね?」
「夜食だから、大丈夫だと思いますよ」
アガード先輩は言ってくれたが、そっとプチトマトとオレンジも添えておくことにする。
「リャニャちゃん謹製の夜食ですよって、手紙書いとこう。残った分は僕が朝食べるので、遠慮なく残しておいて下さいね、っと」
乾かないように蓋をして、帰って来たら気付くよう、食卓の真ん中に置いておく。
「では、おやすみなさい」
「うん。おやすみリャニャちゃん」
「おやすみなさい」
就寝の挨拶をしたものの、まだ、眠るには早い。
記憶が薄れる前に今日の成果を見返そうと、自分の部屋へ行きかけたときだった。
「これから復習をするつもりですか?」
アガード先輩に、声をかけられる。
「はい。その、少しだけ」
「よければ、一緒に考えましょうか?と言っても、私は私で調べ物をしつつ、リャニャさんに疑問が出たときに答える、と言うような形になりますが」
それは、リャニャが邪魔にならないだろうか。
「ひとりでやっていると、没頭して眠り忘れてしまうので、リャニャさんと一緒なら、リャニャさんが寝る時で、手を止められるかと」
「えと、じゃあ、お願いします」
「ありがとうございます。では、一時間後に談話室で」
一時間後?と首を傾げるリャニャに、アガード先輩が弁明を口にする。
「すぐ眠れる状態になっておかないと、結局リャニャさんと別れたあとに、寝ないで再開しそうなので」
なるほど。
「わかりました」
頷いて、リャニャも先にお風呂を済ませることにする。
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