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「そう言う考えごとに、空腹は邪魔さね。もう良い時間だ。一旦休憩にして、昼食を食べに行こう」
言うなりバルツザット教授は、問答無用で黒板を消してしまう。
「ほら立った立った。行くよ。育ち盛りが昼飯を抜くもんじゃない。一階のカフェテリアで良いかい?」
「おっけーでーす!行こ、リャニャちゃん」
「え、あ、はい」
パッと立ち上がったサトラ先輩が、机を回ってリャニャの手を引く。
「研究科の学食もリャニャちゃんと行きたいけど、ここからだと離れてるもんね。でも、絶対今度一緒に学食行こうねリャニャちゃん」
「ああ、サトラたちはいつも、アタシの講義のあと仲良く学食行ってるよな」
「育ち盛りにはカフェ飯じゃ足りないんですよお。満腹まで食べようと思ったら高いし」
「学内のカフェテリアなら外よりは安いだろうに」
歩き出したバルツザット教授とサトラ先輩の会話は、もうすっかり雑談に切り替わっている。手を引かれて歩くリャニャは、会話の切り替えに追い付けず目を白黒だ。
「そうですけどお。あ、リャニャちゃんはよく、カフェテリアのカフェラテ飲んでるんだよね」
「は、はい」
不意に話を振られて、リャニャは頷いた。リャニャの昼食はお手製のサンドウィッチかパンが常で、時間に余裕のあるときは、そこにカフェテリアのカフェラテを添えている。挽きたてコーヒーにふわふわのスチームミルクがたっぷり注がれたカフェラテは、リャニャが学院に来てから好物になったものだ。もともとカフェラテは好きだったが、スチームミルクは学院に来てから初めて出会ったもので、温かくてふわふわの飲み物に感動して虜になった。
もこもこしたスチームミルクは、少しモフに似ていて見た目にも優しい。
「へえ、リャニャくんはカフェラテ派か。アタシと一緒だ。うんうん。牛乳は身体に良いからね」
バルツザット教授がしたり顔で頷く。
「でも、ココアも美味しかったでしょ、リャニャちゃん」
「美味しかったです」
「ああ、カフェテリアのココアは牛乳で溶かしているからね、あれも良いものさね」
「その牛乳推し、なんですか、バルツザット教授。酪農家の回し者?じゃなくて、アガード先輩がくれたのは無糖ココアだったけど、あれ、カスタムでマシュマロ乗っけられて、それもすっごく美味しいんだよ」
ふわっとろになるから!と力説するサトラ先輩の言葉で、リャニャはマシュマロ乗せココアを想像する。ココアの熱でプクリと膨らんだマシュマロは、なんとも幸せそうだ。
「そんな話をされたら、飲みたくなるじゃないか。だが、ちょうどカフェテリアだ。今日はマシュマロココアにしよう。リャニャくんとサトラもそれで良いかい?」
「僕はマシュマロココアが良いです!リャニャちゃんは?いつも通りカフェラテにする?」
「マシュマロココアにします」
あんなに推されれば飲みたくもなる。リャニャが言えば、バルツザット教授もサトラ先輩も、にっこりと頷いた。
「じゃあ飲み物は三人ともマシュマロココアで決まりだな。いちばん大きいカップにしよう。食事はどうする?好きなものを好きなだけ頼むと良い」
「わあい、太っ腹あ!」
サトラ先輩は素直に喜びの声を上げたが、リャニャは戸惑う。
授業を受けているらしいサトラ先輩はともかく、リャニャは無理を言って課題を見て貰っている立場だ。その上で食事まで奢って貰うのは、申し訳なく思ってしまう。
「リャニャくん」
そんなリャニャの畏れを見抜いたか、バルツザット教授が言う。
「アタシはね、勉強熱心な子が好きなんだ」
つい、と目を細めた顔は、ご機嫌な猛禽のようで。
「だから土曜日に一日使って勉強しようって言うリャニャくんが、嬉しい。ランチ奢るくらい安いもんさね。気にせず好きにお食べ」
これでも儲けてるからねえ。カカと笑ったバルツザット教授が、リャニャの背を叩く。
「さて、アタシはどれにすっかね」
サンドウィッチの並んだ冷蔵ストッカーを覗いて、バルツザット教授は呟き、トレイにひょいひょいとサンドウィッチを載せて行く。
色とりどりのサンドウィッチは、どれも美味しそうだ。どれもこれもと欲しくなる気持ちはリャニャにもわかるが、残念ながら胃の容積が許さない。
悩んだ挙句、どうにかふたつ選ぶ。
「ん?それかい?それで足りる?遠慮してないかい?」
「いえあの、お昼は、あんまりたくさん、食べなくて」
これでも欲張ったくらいだ。晩御飯は、少なくしないと。
「そうか。でも、デザートなら入るだろう?ここはスコーンもビスケットも旨いんだ」
リャニャがサンドウィッチを乗せたトレイを取って、バルツザット教授がカウンターに置く。
「サトラは決まったかい?」
「はいはーい。これと、バジルのパスタ!」
「遠慮ないねぇ。まあ、いっぱい食べるのは良いことだ。注文良いかい?これと、こことここにチョコチップスコーンとビスケット、クロテッドクリーム添えで。こっちはバジルのパスタ。それから、マシュマロココアをみっつ、いちばん大きいカップで頼む。スコーンとビスケットはあっためてね」
リャニャが口を挟む間もなく、注文がされ、支払いが済み、トレイに飲み物と焼菓子が置かれる。
「席行ってるから、サトラは自分の受け取ってから来い」
「はーい。ごちそうさまでーす」
「はい、リャニャくん、気を付けて持って」
「あ、ありがとう、ございます」
こんなに食べられない、とは、言えない。
顔を強張らせつつも、バルツザット教授に先導されて席に着いたリャニャに、遅れてやって来たサトラ先輩が言う。
「食べきれなかったら僕が貰うから、リャニャちゃんは食べられる分だけ食べなよ」
「む」
「リャニャちゃんは僕や教授と違って燃費が良いんですよ。お昼をこんなに食べたら、夕食が入らなくなっちゃうから」
サトラ先輩は笑ってあっさり、リャニャの代わりにこんなに食べられないと言ってくれた。
「そう、なのかい?」
「そうですよ。ね、リャニャちゃん」
優しく促されて、頷く。
「はい。あの、すみません……」
「いや。食べる量は個人差があるから謝るこたないが……ほんとに?こんなちょっとで?」
「女の子なら普通ですって。食べ盛りの男やアミラと同じと思っちゃだめですよ」
「そうか……」
なにやら衝撃だったらしいバルツザット教授をよそに、サトラ先輩がリャニャを見る。
「僕、リャニャちゃんのトレイ分くらいなら追加で食べるの余裕だからね。無理のない範囲で食べて、あとは残しちゃって良いよ」
「あ、ありがとう、ございます」
「気にしないで。実はそっちのサンドウィッチも気になってたんだよね。甘いものも欲しかったし」
リャニャが気にしないようにか、軽く言ってくれるサトラ先輩は優しい。
「ほら、教授も魂飛ばしてないで、早く食べましょーよ。僕、お腹ぺっこぺこ!」
「あ、ああ。そうだな。食べよう。本当に、遠慮してるとかじゃなくてそれで多いのか?リャニャくん」
「リャニャちゃんの普段のお昼はパン一個ですよ」
これくらいの、と、サトラ先輩が両手でリンゴ大の丸を作る。
「それで足りるのか!?」
「ええと、はい。朝ごはんを、しっかり食べるので」
「そうか。本当に、燃費が良いんだな」
ようやく気を取り直した様子で、バルツザット教授がサンドウィッチに手を伸ばす。豪快に包み紙を剥いて、一口で半分近く齧り取ってしまう。
「食べる速度も違いますからね」
そんなバルツザット教授に苦笑して、サトラ先輩も食べ始める。かく言うサトラ先輩だって、一口の量は多い。リャニャがサンドウィッチ一切れを食べているあいだに、ふたりのトレイの上の食べ物はどんどん平らげられて行く。
ど、どうしよう。
急いだ方が良いだろうかと焦るリャニャに気付いたか、サトラ先輩が笑みを見せた。
「ゆっくりで良いよ。慌てないで」
「む?ああ、早食いは身体に悪いからな。焦らず、よく噛んでお食べ」
「説得力皆無ですけどね、教授が言うと」
バルツザット教授が片眉を上げ、反論する。
「アタシは一口がでかくて噛む速度が速いだけで、ちゃんと噛んで食べてるさ」
「それ早食いは否定できてないですよね」
「……そうだな」
そっと目を逸らすバルツザット教授。そのあいだも、食事の手は止まらない。
「忙しいときに、合間で食事を掻き込むから、早食いが癖付いてるんさね、アタシは」
「まあ、抜かないだけマシって、アミラは言ってましたけどね」
「空腹と睡眠不足は集中の敵さね。仕事の効率が下がるし、失敗も増える。浮かぶひらめきも浮かばなくなって悪いこと尽くしだ」
それと、とバルツザット教授は続ける。
「食べて直ぐに働くのだって本当はよくないことさね。集中力が下がってるからだよ。だから、時間に余裕があるときは、アタシは食後はゆったり休むようにしている。そのための、この量の飲み物さね」
巨大なカップになみなみと注がれたココアを示して、バルツザット教授は笑った。
「食べ終わってもゆっくり休んでるつもりだから、リャニャくんはゆっくりお食べ」
「ありがとうございます」
「リャニャちゃんに気を遣ってこう言ってるわけじゃなくて、本当に食後は休む派なだけだからね、教授は。だから、バルツザット教授の講義は午後イチには絶対に入らないんだ」
バルツザット教授の言葉も、サトラ先輩の言葉も、リャニャへの気遣いなのだろう。
「その言い方だと、アタシが気遣いのできないやつみたいじゃないかい?」
「気遣いをするかしないかで言ったら、するだけど、できるかできないかで言ったら、できない方だと思いますよ、教授は」
「なにおう!?」
教授と生徒と言うより、まるで友人同士のように軽口を叩き合うサトラ先輩とバルツザット教授を横目に、リャニャは落ち着いて食事を摂る。
「あの、サトラ先輩」
「あ、サンドウィッチ分けてくれるの?やったー、ありがとう」
「本当に遠慮していないんだよな?サトラが巻き上げてるんじゃないんだよな?」
たまにバルツザット教授から、食事量を疑われながら。
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