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「さて、ではここからが本題だ。リャニャくん、この魔法式を効率化させてくれるかい?」
「水を出す、魔法式を、ですか?」
リャニャは目をまたたいて、黒板を見つめる。
最初に習う魔法だ。魔法式は簡潔で無駄がなく、短い。なにを出すか、どこに出すか、どのくらい出すか。それしか要素がないし、それ以外の部分、バルツザット教授の言った、削ってはいけない部分も、あっけないほど短い。少量の水を出すだけならば、お願いする相手もそのへんの小妖精で良いので、この程度で良いのだ。
「そうだ。出来るかい?」
出した水を鉢植えに与え、椅子に腰を下ろしたバルツザット教授が、反応を楽しむ顔でリャニャを見る。
リャニャは黒板を見つめたままで、口を開いた。
「なにを、目的としますか?」
「うん?」
「水を出す目的はなんですか?」
リャニャの言葉にバルツザット教授は目を細めた。
「本質をよく理解している。そうさね、じゃあ、三つお願いしようかな」
立ち上がったバルツザット教授が、リャニャの着く机に、さっき水を与えたのとは別の鉢植え、空のコップ、それから乾いたハンカチを置く。
「花の水やり、アタシの飲み水、汗を拭くための濡れ布巾。それぞれに最適なように、この魔法式を改編してごらん」
頷いたリャニャに、バルツザット教授は三枚の紙を渡す。
「さあ、書いて」
「わかりました」
紙を受け取って、リャニャは思考を巡らせる。
水の小妖精は、どこにでもいる存在だ。なぜなら、世界は水で溢れているから。空気と並んで身近で、なくてはならないもの。それが水だ。
いきものはなべて、水がなければ生きられない。だから、本能的に、水への敬意と感謝、それから畏怖を持っている。水の小妖精はそれを理解しているから、簡単な言葉と少量の魔力で、快く動いてくれる。
リャニャは紙に、ペンを走らせた。
花の水やりと、コップ一杯の飲み水は、簡単だ。難しいのは濡れ布巾、いや、それも、難しくはない、だろうか。
相手はリャニャより水に詳しい。魔術ではなく、魔法なのだ。あれこれと考える必要はない。
「出来ました」
「うあ、相変わらず早い」
呻くような声はサトラ先輩から。バルツザット教授は、見せてごらんとリャニャに手を差し出した。
「これが花、こちらが飲み水、これが濡れ布巾です」
「…………これで、望む効果が出る、と?」
バルツザット教授はリャニャの書いた魔法式を見下ろして、難しい顔をした。
「えっと、試していないのでわかりません」
「それもそうか。ほら、サトラ」
ぺい、とバルツザット教授が紙を一枚、サトラ先輩に突き出す。
「花の水やり。やってみな」
ドン、とリャニャの前から鉢植えをずらして指示した。
「そうやって突然、無茶振る」
ぼやきながら、サトラ先輩は紙に目を通す。
「初見の魔法式、はいって渡されて、ちょちょいのちょいで使うなんて、アガード先輩くらい実力がないと無理ですってえ」
「初歩の水魔法なんだから、そんな難度じゃないさ」
「まあやりますけどね。リャニャちゃんに先輩らしいとこ見せたいし」
サトラ先輩がリャニャの考えた魔法式で魔法を使う。
「うん?不発?」
「いや」
バルツザット教授が鉢植えを見つめて首を振る。
「土の、水分含有率が変わってる。ついでに言うなら、養分濃度も変わった」
「うわ、肥料要らず?」
「いや、可給態窒素濃度が多少増しただけだから、あくまで効果は空気中の水分と窒素分の移動みたいだな。水の小妖精に起こせる範囲の結果だ。魔力もそんなに要らなかっただろう?」
「そっすね。そっちの魔法式の、半分くらいの魔力で済んでます」
サトラ先輩は使用した魔力量が把握出来るのか。先輩の凄さを目の当たりにして、リャニャは感心する。やっぱり、リャニャなんてまだまだサトラ先輩にはるか及ばない。
「半分。それの」
バルツザット教授が黒板を指差して、ため息を吐く。
「アタシが教える必要あるのかい?このこ」
「え?」
バルツザット教授の漏らした言葉に、リャニャは目を見開く。
「あの、わたし、なにか……?」
教える価値もないほどの、駄目な魔法式だっただろうか。
「リャニャちゃん、褒めてるんだよ。怒ってないから、そんな不安そうな顔しないで」
「褒めて……?」
「ああごめん、アタシの言い方が悪かったね。サトラの言う通り、若く柔軟な才能が眩しかっただけさね。リャニャくんはなんにも悪くない。そら、キミはこれだ。暴発はしないだろうから、試してごらん」
バルツザット教授がリャニャに渡したのは、飲み水を出す用にリャニャが考えた魔法式だった。
「は、はい」
自分で考えた魔法式なので、改めて目を通すまでもなく理解している。机の上のコップを手に取り、魔法を発動させた。ピチョンと、コップがひんやりした水で満たされる。
「出来ました」
「こっちは三分の一ですね。普通の水だからかな」
「サトラ先輩、わたしが使った魔力量までわかるのですか?」
サトラ先輩の言葉に驚くリャニャの手から、コップが抜かれる。
「えっ」
リャニャの手からコップを取ったのはバルツザット教授で、コップを振って中の液体を観察したあとで、一思いに飲み干した。
「冷たくて美味い」
「つまり、純水じゃなく、適度に不純物を含んだ飲料水ってことですね」
「そうだね。問題なく飲み水だ。さて」
バルツザット教授が、手元に残った紙を見下ろす。
リャニャがいちばん悩んだ、濡れ布巾をつくる魔法式だ。
机のハンカチを手に取り、バルツザット教授が魔法を使った。
「発動するのか」
ハンカチを見下ろして、バルツザット教授が言う。
「ほらサトラ」
「うっわ冷たっ、突然投げないで下さいよ」
「ちゃんと受け取れよ、鈍臭いな」
バルツザット教授がぞんざいに投げたハンカチを、横っ面で受け止めたサトラ先輩が顔をしかめる。
「研究職舐めないで下さいよ、不意打ちへの反射神経なんて死んでますって」
「魔法師には体力や瞬発力も大事さね。どんなすごい魔法も、使う前に殺されたらなんの意味もない」
「それはそうですけど。と言うかこのハンカチ、濡れ加減と冷たさが絶妙ですね。気持ち良い」
改めてハンカチを手に取ったサトラ先輩が、頬に当てて心地良さそうに目を細める。
「そうさね。まんべんなく濡れているのに滴らない。持っていたアタシの手に、水滴が付きすらしない。投げてもぶつけても、飛沫は飛ばなかった」
「でも、必要な魔力は」
「それの半分」
それ、とバルツザット教授が黒板を指す。
「つまり、リャニャくんの効率化は三つとも成功ってことだ」
椅子に腰掛け、組んだ脚に頬杖を突いたバルツザット教授が、リャニャを流し見る。
「サガン教授が欲しがるわけだよ。アタシだって欲しい」
「リャニャちゃんはモノじゃないですよ、教授」
「モノ扱いするつもりはないさ。ま、下手なやつのとこ行かれるよりは、サガン教授に拾われて良かったよ。アタシも手は貸すから、大切にしてやんな」
「言われなくても大事にしますう。あっでも、バルツザット教授の手助けは助かる。よろしくお願いします」
ぺこっと頭を下げたサトラ先輩に、調子の良いやつだなとバルツザット教授が笑う。
そんなふたりの会話の趣旨が理解出来ず、リャニャはただきょとんとしていた。
「そして、リャニャくんは自覚がない、と」
「そこが可愛いんですけどね」
「まあ、魔法式三つ分は、アタシも返してやんないとね。リャニャくん、この魔法式は、あとでアガードくんに見せるように。それ以外には、アガードくんの許可が下りない限りは見せてはいけない。良いね?」
どうしてだろうか。サトラ先輩は、既知の魔法式の応用なら大丈夫だと言っていたのに。
「うちの学生を追っ払っといて良かったよ。と言っても、午後には戻って来るから、午前中に本筋は終わらせておこう。こっちの紙はしまって」
バルツザット教授の指示を受けて、リャニャはさきほど魔法式を書いた三枚の紙を鞄にしまう。
「じゃあ、続けよう」
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