第5話 商店街
実家を出て翔と雫は商店街の入り口にたどり着いた。ここは商店街東門。東門の入り口には地元でも有名なお寺がある。そして、元の世界でもそこに大きな鳥居があった。世次元では鳥居が倍以上に見える。元の世界のものとは違い、大きく聳え立つ赤く太い鳥居に巨大な金色の龍が巻きつき、見た目もまるで黄泉の世界にある様な見た目に変わっていた。
鳥居の先には商店街のアーケードが見える。アーケードの中に大勢の人が吸い込まれる様に入って行くのが見えた。
「アーケードのある方は人で賑わってそうだな」
「ご主人商店街に行くの久しぶり?」
「そうだな。俺は地元を離れていたのもあるけど...。行けば年々廃れていく商店街を見るのが解ってたから、行かなくなってたかな」
「そっか」
雫は少し寂しそうにしている俺の顔を覗く。
「あんなに人が入ってく商店街を見るのは子供の時以来だ」
商店街に昔の活気が蘇った様に見えたのが嬉しかった。翔の口元が綻ぶ。
「ご主人、行こう!」
雫は翔の手を取り、一瞬お互いの顔を見合わせ商店街に向う。手を引かれ、翔が握っていた神機が翔の後を追った。
アーケードに近づくにつれアーケードに集う群衆の声が大きくなっていく。アーケードの入り口に着くと、そこはまるで祭りでも催されているかの様な賑わい様。ひっきりなしに呼び込みの声が響いている。通りの両脇には露天がひしめき合う様にたちならんでいて、子供の頃見た活気のある商店街が広がっていた。
今まで記憶の中にしかなかった子供の頃の風景が目の前に広がっている。俺の居た世界の商店街はシャッター街で人が全く居ないのに、世次元では賑わっている。まるで子供の頃に戻った様な感覚。人は多いが、周りに月夜見の姿はなく撒けたようだ。
翔と雫は商店街のアーケードを進んでいく。時代を感じる看板や建物、見た事のある町のシンボルに心が躍り、進む度に子供の頃の思い出が蘇った。
世次元の影響で世次元さはあるものの、商店街は面影を残している。近くにある露天の店先からは焼き蕎麦の香りが漂い、鉄板にあたる金ヘラの甲高い音と鉄板の上でジュウジュウと低くくぐもった音が響く。露店の明るい呼び込みの声が行き交う人々の耳をくすぐる。
街の香からも子供の頃に感じた商店街の活気を感じる。子供たちの笑い声が混じり、大人たちの楽しげな会話がその背後に広がって、商店街はまるで一つの巨大な交響曲を奏でているかのようだった。
客は人間と魑魅魍魎。比率は7:3といったところ。彼らに敵意はない。商店街はまさに「多様性」だ。
「お兄ちゃん飴ちゃんあげる!!」
子供が横から声を掛けてきた。飴玉を出されるかと思ったら、棒が刺さったぐるぐる模様のデッカいぺろぺろキャンディを渡そうとしている。いや、これ少なくとも飴ちゃんではないだろ。
「僕、ありがとね!お姉ちゃんが貰ってあげる!」
雫が腰をしゃがめて飴ちゃん?を受け取る。
「お姉ちゃん綺麗だね。飴ちゃん貰ってくれて嬉しい」
「ボク言うね〜。将来はプレイボーイだな!」
雫は綺麗と言われてまんざらでもなさそうな様子だ。
「僕ね、みんなに飴を渡してるの。皆んなお腹すかない様に」
お腹空かない?違和感を感じたが、子供が着ている服を見て悟った。着ている服がまるで戦時中に着ている様な服だったからだ。
「僕、優しいね。えらいえらい!お姉ちゃんこの飴でお腹いっぱいになれるよ。ありがとね!」
雫はそう答え、俺の手を引き子供のあとを去った。ぎゅっと握られた雫の手。歩くのも少し足早だ。
「ご主人、この世次元には強い想いを持った人が居るって言ったけど。さっきの子みたいに生前苦労してた子も居るの」
声を絞り出す様に雫は言った。雫が何を言いたいかを確認する様に俺は問いかける。
「飴を商店街に来る人に渡して、戦時中生きてた時に叶えられなかった何かを埋めようとしてるってことか」
「そう。ここはね、そういう想いがたくさんある所なの。生前叶えられなかった何かを世次元で叶えようとしてる。本屋に行けば、日の目を見なかった作家達の本が並べられてるし、繁華街の路上では夢を叶えられなかったアーティストが路上ライブなんかをしている」
「でもね。本屋に置いてある本、全部つまらないし。路上ライブはどれも下手くそなんだ。これじゃ、成功するなんて夢見過ぎたよねって」
「いや、それ言い過ぎだろ」
雫にツッコミを入れた。彼女はケラケラ明るく笑ってるが、わざと明るく振る舞ってる様に見える。
「ご主人、世次元では人の想いがカタチになるって言ったけど。世次元であっても元々ないものは具現化できないの。だから、歌が上手くなったり、プロの小説家みたいに魅力的な文章が書ける様になる訳ではない。ここは決して夢が叶うところでもなく、ここは魂の不良品が集まってる場所なの」
そう言う彼女の横顔は少し儚かった。
「ここから出た人はいるのか」
「成仏へのトリガーは人それぞれだけど、意外と多いよ」
「特に路上ライブしてる人とか多いかも。意外と人の最後って、1万人の前で演奏出来なくて俺は死ぬ〜!って思う人は少ない」
「と言うと?」
「自分の想いをストレートに受け止めてくれる誰か」
「全力で受け止めてくれる人が1人でも現れてくれたら、案外それで人は成仏しちゃうものなの。生前の世界は生きる事に必要な事が多過ぎて感覚が鈍ってしまうんだろうけど、ここに来たら関係なくなるから」
「なるほどな。たしかにあの世界は生きる事に必要な事が多い」
「世次元は欠けた人達が集まる場所だから、欠けた部分を補う様に人同士が惹かれ合う。そこには上手いとか下手を超える何かがある」
「雫先生、なかなかの哲学」
雫は何も言わずニコッと笑い返し、続ける。
「私も欠けてるんだよ。でも、もしかしたら私は近いうち成仏しちゃうかも」
雫は翔に指をさし、揶揄うように言った。
「雫。お前が成仏する前に連れて行きたいところがある。この世次元にあるかはわからないけど」
そう言って俺は雫の手を引く、目が合った雫は少し驚いた様子だった。
「ここだ!あった!」
そこは学生の頃に行ったパン屋。木造の優しい雰囲気のお店。煙突からは白い煙がゆっくりと空に昇っていく。空に溶け込んでいくその煙は、穏やかで懐かしい香りを運んでいた。
「ここは」
雫はそう言って立ち止まり、見入ったように看板を眺める。
「入ろう!」
翔は雫の手を引き店に入る。扉に付けられた鈴が2人を優しく迎えた。
少し軋んだ音を出しながら開く木製の扉。軋む床の音。あの頃のままだ。暖色のライトに照らされた小麦色のパンが木製のテーブルに並べられている。ベーカーボーイキャップと丈の長いエプロンを身につけた40歳ぐらいの優しそうな男が、パンの向こうに立っていた。記憶にはない顔の店員だ。
黄金色に輝くフィナンシェが木製のトレーに置かれた。見ただけでも焼き上がりのカリッとした質感を感じさせている。トレーの前には「フィナンシェ 1個 310想素」と値札のようなものが置かれていた。
「……想素?」
翔が戸惑っていると、隣にいた雫が小さく頷き、そっと翔の手を取った。
「ご主人、見せてあげるね」
彼女は俺の胸元、心のあたりに手をかざす。すると、体の奥がふっと温かくなる感覚とともに、小さな光の粒が浮かび上がった。それはゆっくりと空中で形を取り、薄く透き通った琥珀色の結晶へと変わった。
「これは……?」
「想素だよ。今、ご主人の中にあった“懐かしい”って気持ちと、“また食べたい”っていう感動が結晶化したの。この世界では、それが“価値”になる」
掌に乗せると、ほのかに温かく、淡い光を脈打つように放っている。まるで、感情が生きているかのようだった。
「初めて見るかもしれないけど、心が動いた時に自然と生まれるものなの。強いほど、純度が高くて価値も上がる」
俺はその小さな結晶を見つめ、やがて店主に差し出す。店主はそっと受け取ると、カウンターの奥に置かれた木箱に収めた。
「確かに受け取りました。ありがとうございます」
軽く会釈をして、フィナンシェと水を持ち店内の空いた席に着いた。テーブルは切り株を切り抜いたような形をしている。
「雫、このパン屋なんであるのかな? お店の人も俺の記憶にない人だ」
「うーん、たぶんね。ここのパンの味に感動した誰かが、自分の想素で再現したんじゃないかな。この世界では、想いが形になるから。お店や景色、人もね」
たしかに、ここの店主に不幸があったとは聞いた事がない。しかし、このパン屋は俺の次元ではとっくに潰れている。
「いただきます!」
フィナンシェからアーモンドの甘い香りが2人を誘っている。雫はそれを頬張った。口の中でそれは驚くほど滑らかに崩れ、まるで陽だまりの中に溶けていくよう。焦がしバターの豊かなコクが舌に広がり、アーモンドの優しい甘さが後を追う。表面のほのかなカリッと感が、柔らかな生地との対比を際立たせた。
「ご主人、これ……ほんとに、すごく美味しい……。また想素が生まれそう」
「だろ!ここのフィナンシェは俺の中で1番だ」
彼女は嬉しそうに笑いながらもうひと口かじった。目的地は丁度このお店の近く。束の間の休憩といったところ。懐かしい味を堪能し、店を出た。幼い日はこのパン屋に通うのが日課だった。パン屋を出て母親に手を引かれ、この賑やかな商店街を歩いていた。
その時もそう、あの場所に向かってたんだ。