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第1話 消えたい日

「2万人」

これは、日本で1年間に自殺する人の数だ。特に30歳を過ぎたあたりから、その割合は目に見えて増えていく。


そして、30代における死因の第1位は自殺。

自殺という行為は、人生に行き詰まりを感じた人間──いわゆる「詰んだ人たち」が、最後に選ぶ手段。俺はずっとそう思っていた。

 

 自殺者が増える境目──「30歳」


 そして今、俺は30歳を迎え、「消えたい」という衝動に駆られている。だが、人生が詰んだかといわれたらそうでもない。むしろ、人から見たら恵まれている。


 自分で言うのもなんだが、見た目も20代中頃くらい(イケメン)だ。人当たりもよく、生活はそれなりの贅沢もできている。他人からは何不自由のない生活を送っているように見えるだろう。だか、反抗期があった人、なかった人がいるように来る人には来る。


「いっその事、消えてしまいたい」という衝動と共に。


 なぜ「消えたい」のか、自分の中で欠けたものが何かを見つけられないまま時は経ち。好きなことをしていても何も感じなくなっている自分に気づいた。


 いや、好きなことだけではない。子供の頃、学生時代に感じていた心の動きが明らかに薄れている。


 まるで子供の頃に夢中になっていたおもちゃへの興味が失せたように、いろいろな物事に対する心の反応が鈍くなっていた。


 楽しさを感じられなくなったら何を頼りに生きていけばいいのだろう。

 

「生きる実感」がないまま時だけが過ぎていき、そして、俺はついに30歳になった。


 ある意味で俺の心は「完成」されてしまったようだ。好きなことどころか、性行為ですら何も感じない。大好きだったはずのS○Xさえも。


 こうなってしまってはお手上げだ。しかし、皆がそうなるわけではないだろう。


「30歳そこそこで何を言っているんだ!」と人生の先輩方から喝を入れられるかもしれないし、「生きてればいい事あるよ」なんてもはや誰も救えない定型文的な言葉を掛けられるかもしれない。


 わかってる。同じ境遇でも皆んながそうなるとは限らない。でも、どこかのタイミングで、自分でも気づかないうちに、突然俺の何かが欠けたんだ。


 30歳になり生きる実感のないまま過ぎた年月はこの世界で心を飽きさせるには十分すぎる時間だった。


 昔の日本人は今よりも短命だったというが、それで十分だったのではないかと思う。今は生きるには長すぎるとさえ感じる。


 俺はただただ「生きてるだけ」になった。これが厄介なのは、他人には知覚されないこと。


 毎日、何事もないかのように仕事に向かい。「生きてるだけ」と感じているとは思えないほどの仕事ぶりと振る舞いをしているし、職場ではジョークを交えて笑ってさえいる。職場に限らず、友達とのプライベートな時間でも「生きてるだけ」の人には見えない。


「見本」を演じている間だけは、生きてるように見える。


 現実の世界には映画に出てくるようなゾンビはいない。しかし、俺のような「見本ゾンビ」は、そこら中にいるのではないだろうか。年々、体温とは異なる「心の温度」を失いながら。


 他人は人の「生きる実感」なんて見えない。そんな中、見本ゾンビの仮面さえも外され、自分自身に向き合える日がある。


 「土曜日」


 仕事から解放され、日曜日という鉄壁の守りがある土曜日は、まさに心が解き放たれ、仮面が外される日だ。多くの人にとっても最高な土曜日。


 30歳を過ぎて、この土曜日も何回目だろうか。


 11月23日、今日は祖父の命日。


 有給を取り、実家のある福井県に帰った。実家のある街は山々に囲まれた盆地にある。平地の真ん中に大きな河川が流れ、それに沿うように街が栄えていた。河川の直ぐ側に通っていた学校があり、その学校と実家の間には街の商店街がある。


 実家は商店街から外れた閑静な住宅街に位置していた。実家は築35年のRC造。戸建てにしては珍しい造り。今となっては珍しい内装がそこかしこに散りばめられている。玄関には行く手を塞ぐかのようによくわからない大きな木のオブジェ、いわゆる昭和レトロ。実家は実業家だった父が建てた。


 近所の人には立派なお家と言われてたが、子供だった自分には価値が判らず、大きな家は遊び場としか思ってなかった。


 両親は他界し、今はほぼ空き家になっているが、壊すにも金が掛かり今はそのままになっている。この家には過去の自分の遺品がそれなりに残っていて、いい歳になった俺にとっては過去の自分の博物館といったところだ。


 着て行く服を選ぶ時も、タンスを開ければ「あの時着てた服」があり、思い出と一緒に蘇る。その中には思い出せないものも。いや、「年々思い出せなくなっている」が正解かもしれない。


 思い出せないものが増えるとかつての自分が消えてく様な感覚を覚える。今より若い時に着てた服。服に限らずか。確かに昔は「俺」が居た。


 今はどうだろう?


 着てる服も誰かと口裏合わせしたわけじゃないが何処かで見た様な服装。社会で生きるため、これまで最適解を選んでいたつもりだった。それは、知らず知らずのうちに見た目も中身も自分を単一の何かに生まれ変わらせていたのかもしれない。


 これは何不自由のない生活を得るための代償といえば代償。この背景に何不自由のない生活を夢見たサクセスストーリーがあるかといえば、俺はただ何も成せず都会から田舎に帰る友人達を見て、ああなりたくないと思って最適解を選び続けてた。ただ、それだ。


故郷に戻ることは「敗北」だと、いつの間にか決めつけていた。それが、気づかぬうちに自分を縛る呪いになっていたのかもしれない。

 

 今、俺は1人だ。


 昔着てた服の中から年相応に無難そうなものを選び着替えた。墓参りの道具を車に積め込み、出発する。


 しばらくすると、ぽつぽつと雨が降り始めた。クルマのフロントガラスに当たる雨の音が次第に増えていく。


 祖父の墓は街外れの丘の上にあり、晴れた日は住み慣れた街を見下ろせる場所にある。車が丘の5合目ぐらいに差し掛かったとき、フロントガラスに当たる雨の音が止んできた。そして、丘に到着した頃には雨は完全に止んでいた。


 車を降り、後ろを振り返ると灰色の厚い雲が街を覆っている。いつもなら見えるはずの街の風景が見えない。目の前には灰色の雲の絨毯。街が沈んだような光景が広がる。


 街を背にして祖父の墓標に向かう。


 祖父は戦争を経験し、80歳まで生きた。幼い頃に祖父は亡くなっていて、あまり祖父のことは覚えていない。


 両親からは、たった一人の孫だった事もあり、たいへん可愛がっていたと聞かされていた。30歳で生きることに飽きてしまった俺にとって、戦争を経験し、その後も約50年生き抜いた祖父は、尊敬に値する存在だ。


 人生、自分がその歳になって気づくことは多い。


 祖父はどのようにして80年もの年月を生きたのか。俺のように人生に対して飽きていなかったのだろうか。それは今になってはわからない。


 ただ、朧げな記憶の中にある祖父の顔は、いつも優しく笑っていた。それは飽きることなく生きた人の顔だったのだろうか。


「この歳になって気づくことが増えたよ」


 祖父の墓前で手を合わせ、その場を後にした。車のエンジンをかけ、帰路に向かう。車のフロントガラスの向こうに灰色の絨毯が見える。その雲の下には雲に沈んだ街。丘を下りる車は次第に雲の中に入っていった。雨は止み、フロントガラスの向こうは濃い霧が広がっていた。


 この濃い霧の先には、また「見本」を演じる日々が待っていると思うと、憂鬱になる。このルーチンが続くくらいなら、この「土曜日」が永遠に続けばいいのにと。


濃い霧の中、実家に戻った。いつもならこの時間に昼寝はしない。しかし、今日はやけに眠気が強い。スマホは11月23日(土曜日)の午後2時30分を示している。

 

 強い眠気に誘われ、いつもならしないはずの昼寝をした。


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 夢の中、祖父の声を聞いた。どこか懐かしく、そして優しい声だった。それはまるで幼い頃に耳にした温かな声そのものだった。


 声だけだった祖父が白い着物姿で俺の前に現れ、俺に向かって何か声をかけている。何を言ってるのかはわからない。


 次第に祖父とは違う大勢の人の声が祖父の声をかき消すように大きくなっていく、そして、祖父の声がかき消された瞬間。瞼の重さを忘れたかのように目が覚めた。


 目が覚めた瞬間、言葉にできない異様な違和感に襲われた。昼寝から目覚めたときに感じる穏やかな空気とは異なる、何か重苦しい感覚があった。まるで、時間が不自然に飛んでしまったかのような感覚。枕元のスマホを手に取り、時間を確認する。


 画面に表示された時刻は11月23日(土曜日)、午前6時だった。


 思わず苦笑いがこぼれる。時間が巻き戻っていたなら普通なら驚き、動揺することだろう。しかし、俺は冷静だった。いや、冷静というよりも、何かが決定的に欠落している自分に気づかざるを得なかった。


 ラノベ、アニメ、漫画――社会のストレスに比例する様にそれらを貪るように消費してきた結果、現実のあり得ない出来事に出会ったとしても動揺しない「耐性」がついていた様だ。


 耐性と言えば聞こえはいいが、ある意味心が死んでいる。時間が戻っても驚くことすらできない自分がいた。そして、足元にもう一つの違和感を感じた。


 重いのは空気じゃない...何かが俺の足の間にいる。


 ゆっくりと上半身を持ち上げ、その重さの正体を確認する。そこには人間とは思えないほど透き通った白い肌、凛とした美しい顔立ち、そしてショートカットの黒髪の少女がまるで猫のように丸まって眠っていた。


 その姿に、俺は思わず息を呑む。しかし、動揺はしない。


 フード付きの黒のウィンドブレーカー、黒のショートスカート。そして彼女の頭には「猫耳」が、腰元には「黒いしっぽ」が生えていた。


「やっぱりか…」


 どこかの作品で見たような展開に頬を引き攣らせる。しかし、驚くべきことが次々と起こっても、取り乱すことはなかった。これが「耐性」のなせる技なのかもしれない。あるいは、自分の心が限界を迎えてしまった証なのか。


 見た感じ彼女は20歳前後くらいだろう。少なくとも、ロリキャラじゃないだけまだましな「設定」と言えるかもしれない。こんな時でも冷静に状況を分析し、冗談交じりに考えられる自分がいることに、安心すら覚えた。


「…どうせ、この後は俺みたいな孤独な30歳のオジサンを世話してくれる展開なんだろう?」


 苦笑いを浮かべながら、頭の中では過去に読んだ作品の数々が走馬灯のように浮かび上がる。次々と連鎖する思考が、あらゆるパターンの展開を想像させる。そして、彼女の「猫耳」に対して、やけに突っ込みたくなる自分がいた。そんな思考の最中、彼女が動く気配を感じた。


 猫耳の彼女が俺の気配に気づき、目を覚ましたのだ。彼女の宝石のような猫目と目が合った瞬間、胸が熱くなり何かが静かに弾けたような感覚があった。


「やっとご主人起きたのニャ?」


 彼女はそう言いうと、顔を擦りながらゆっくりと体を起こす。少し吊り目の目、韓紅の瞳は燈火がゆらめく様に輝き、俺はその目に吸い込まれた。


 彼女の仕草は、まるで猫そのものだった。「猫」が擬人化されたかのような存在感がある。いや、リアルだがこれはきっと夢だ。異世界転生モノを読みすぎたのかもしれない。


 よく見ると、彼女のウィンドブレーカーの上腕部分には「案内人」と書かれた赤いワッペンが見えた。


 

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