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しんでるクロエはしんでない  作者: 南宮ユカリ
邪竜蘇る。逆行するいかのおすし編
9/29

9 夜は明け、


「話は聞いた。トラックの下で寝てたら轢かれたんだって? 野良猫かよ。よく無事だったな」

「受け身を取ったから」

「そういう問題?」


 病院の待合室に腰掛けたクロエは、自身の脇腹を押さえながらゆっくり顔を上げる。


 ワインオープナーで刺され命からがら修道院を飛び出したクロエは、追手の目から逃れるため路上に停車していた搬入トラックの下へと潜り込んだ。そうしていよいよ貧血によって、その場で意識を失くしたらしい。


 案の定轢かれるも幸い擦り傷で済み、腹部は処置がなされ、体も至って健康。自身の腕に繋がれた点滴を見るなり引き抜くほどの元気もある。

 彼女が無事だったのはひとえに、異変に気付いた運転手、ひいては同乗者が即座に対応したおかげといえるだろう。


「それで、わざわざこんなところまで来て何の用だ、キリヤ・デイモス」

「なんだよその言い草ァ。せっかく助けてやったのに、恩知らずなヤツ」


 事故の第一発見者ことキリヤ・デイモスは、なんともいえない罰の悪い顔で頬を掻いた。

 同乗者の話によると、パニック状態のさなかに偶然、救世主の如く通りがかったのが、このキリヤであったという。


 タイミングが良いのか、はたまた間が悪いのか。

 クロエが生死の境を彷徨っていたのと時を同じくして、キリヤは単身レゴリス修道院を訪れていた。


 彼女は玄関前で荷台に積み込まれるクロエを見るなり、自分こそが知り合いだとわざわざ名乗りを上げたそうだ。運転手たちはすっかり彼女を信用しきって、あらゆる手続きや事後処理をクロエではなく彼女を通して行ってしまった。


 「気が動転していた」と同乗者は平謝りしていたが、それにしたって頼る相手くらいよく考えて選んで欲しいものである。


「また懲りもせずタバサに手出しするためか。それとも、こんな私を嘲笑いに来たのか」

「まあ笑おうと思えば笑えるがな。ついさっきのことだ。何かを掴んだ感触がして、それでお前にやったこと思い出したんだよ。アレって、あの浮かれポンチョと同じ現象だろ? 八百長に付き合わされるヤツ。で、そっちはどうだった? 首根っこの具合は?」

「壁に押し付けられたが問題ない。二度目だから気道も確保しやすかった」

「戦いの中で成長すんなし」

「じゃあ、心配して来てくれたのか」


 たちまちキリヤは機嫌を損ね、高圧的にこちらを睨み付けた。「あ゛ぁ゛ん?」といった低く呻くようなハスキーボイスが容易に想像できる。


 次いで脇に挟んでいた紙の束をばさりと開くと、クロエの頭に被せるようにそれを置いた。


「お前、1から18の中で好きな数字は?」

「いち」

「1番だな。1番ね、ええと単穴たんあな……」

「これは新聞か? なんの記事を見ている?」

「競馬だ、ちょっと黙れ。どうせなかったことになるなら賭けといた方がお得だろ?」


 視界いっぱいに広がる文字の羅列を追いつつ、クロエは紙面越しに伝わってくるキリヤの浮足立った様子に小さく首を傾げた。


 太陽に手が届くという確信を得たキリヤは、その指先一つで見せ付けるように町中を引っ掻き回したのだ。

 てっきり衝動のまま修道院に火でも点け兼ねないと思っていただけに、こうして見舞いに来られるとはとんだ拍子抜けであった。


 時間が戻ることで罪が帳消しになると考えていたらしいが、まさか発砲しかけたことまで忘れたわけではないだろうに。

 顔を遮られているのを良いことに、ジトッとした視線を送る。


「でも、オメガはもう時間を戻さないつもりでいる」

「つもりでいる、じゃねえんだよ。戻させんだろ。それともほかに方法があんのか? あ?」

「……ほかをあたる。もしかしたら月碑と同じような、邪竜の力を抑制できる能力が、あるかもしれないから」

「へーぇ。で? どうやってあたる? ポスティングで募集でもするか?」

「貴方には関係ないだろう」

「あるだろ腰抜けッ。誰のせいでこんなことになったと思ってんだ、てめえのケツはてめえで拭け」

「自分で拭いてる……」


 丸めた新聞紙でぽすぽすと無遠慮に頭を叩かれる。避けようと身動ぎすると、腹の横がツンと突き刺すような痛みに襲われた。

 殺意に満ちたオッドアイを芋づる式に思い出して、思わず身震いする。


(される側は、あんな気持ちだったのか)


 クロエにとって武力をチラつかせる行為は、物事を穏便に、且つスムーズに済ませるための手段でしかなかった。

 一番手っ取り早く、効果が望める。だから相手に恐怖を与えることについてなんの罪悪感もなかった。


 否、罪悪感自体はあった。


 武器を持ち出す覚悟はあっても、撃つ覚悟はない。実際に手を下すのはクロエ以外の誰かだ。だからいつもイブやタバサに申し訳なく思っていたのだ。


(キリヤの時はなんとも思わなかったのにな)


「レゴリスの関係者なんですって」


 不意に、受付窓口から向けられる看護師の刺々しい視線に気が付く。遠巻きとはいえ正面に位置するため、剥き出しの敵愾心が伝わってくる。


 合うなり露骨に逸らされるそれは、仲間内に散々察しが悪いと評されてきたクロエにとっても、酷く居心地悪いものであった。


「車に轢かれて怪我一つなかったらしいし、やっぱり鱗付きが取りついてるのよ。金稼ぎの道具にしてるらしいし、当たり屋じゃない? 運転手も災難ね」

「なに考えてるかわからないし不気味だよね。早く出て行って欲しいよ」


 木を隠すなら森の中とはよくいったもので、修道院の礼服は、恐らく患者衣に混じってしまえばさほど目立たない。

 しかし徽章きしょうを持たない今のクロエはレゴリスの回し者ではなく、いち入院患者でしかないのに。それでも忌避の対象と成り得るのか、それだけが不思議だった。


「……みんな恐れている」


 「サンライズを」とクロエが人目を憚って隠語を口にすると、キリヤはそれを鼻で笑った。


「そりゃそうだ。刃物を持たせて怖いのは、なにもキチガイだけじゃないからな」

「怖い? そうか、もしかしたらイブは私がサンライズだと勘違いしたのかもしれない。だからああも警戒して……最初に誤解を解いておけば良かったのか」

「誤解もなにも異分子排除がお前らの仕事だろ。どうせあいつらは全部わかった上で損切りしただけで、お前の言い分なんざハナから聞いちゃいねえよ」


 脳裏を過ぎったのは、すべてを知っていると思っていた幼馴染の、見たこともない表情だった。とはいえ向けられた経験がないだけで、クロエはイブのもう一つの顔を知っていた。

 恐ろしく冷たく、相手に無関心。


(でも、レゴリスが悪い機関であるはずがないんだ)


 何故なら身寄りのない子供たちに寄り添い、国家に利益をもたらしているから。

 多くの人々から慕われる修道士は、その内面までも高潔で素晴らしいに違いないから。


 現に強力な特異性を持つキリヤ・デイモスは、明確な”社会悪”に属する。彼女のような脅威に対抗する術は、それを上回る武力しかないのだ。

 だからイブは悪だと思った対象に刃を差し向けただけ。


 それが偶然、たまたま、運命の悪戯でクロエであっただけで、彼女でなくてもそうしたはずだ。


(ひたすら仲間だと説得するより、私が敵ではないと証明した方が、効果的かもしれない)


 クロエが鱗付きを生け捕りにして差し出せば、誤解も解消されるはず。

 有用であると認識されれば、少なくとも無碍にはできないはずだ。


「何故そう言い切れる? 私はタバサとイブの幼馴染で……今は違うが。レゴリス修道院の修道士……でもない、けど。排除されたら困る。この世にたった一人しか存在し得ない、かけがえのない私を殺してしまったと知れば、深く悲しむだろうから」

「自意識スゴ」

「貴方はどうして私を助けたの? サンライズは月碑が戻らなくても困らないはずだろう。寧ろ、このままであった方が都合が良いんじゃないのか」

「まあ、なんだっていいだろ。自由にさせろよ」

「自由? 自由が欲しくて私に協力したんじゃなかったのか? なのに自由になっても私に手を貸してくれるのか? 何故だ?」

「ウ、ウゼェ……。赤ちゃんじゃないんだから、少しはテメーの頭で考えろッ」

(赤ん坊こそ考える物事の量は多いと思うけど)


 クロエははたと思う。

 強過ぎる力を持ちながら、それを正しく行使しないキリヤやオメガを好ましくは思えない。恐れていると言い換えてもいい。

 とにかく関係と呼べるほどの繋がりはなく、あるのは確執だけ。キリヤにも協力関係を結び直す義理はないし、力を貸す道理もない。

 ない、のだが。


(もしかして同じなのか。貴方もまた、誰かを撃つ覚悟が持てないから。だから代わりに、私に手を汚して欲しいのか……?)


 それは、そうであれば良いのに、という願望も少なからず含んでいた。

 キリヤがタバサを殺さない、ないし殺せない正当な理由さえあれば、今すぐにでも彼女を修道院に差し出せるのに。


(私だけでは、あそこには帰れない。イブがいるし、何よりもう修道士ですらないのだから。でも……)


 ―――いーい? クロエ。


 これで何度目だろうか。


 彼女は、外の社会には危険を補って余りあるほどの価値があると教えてくれた。避けて通る方が不健全だとも。

 「気を付けてね」と手を振って送り出されたあの温かな思い出を、なかったことにはしたくなかった。


「貴方は、それほど悪い人じゃないと思う。多分、きっと。……そう思うことにする」

「ンなわけねェ~~~っ!」


 からからと軽快に笑うキリヤにつられて、クロエの表情もふっと緩む。

 しかし直後にその口角は下がり、ギクリと体が強張った。


 彼女の行動や言動はいつも突飛だ。だからキリヤは義理も道理もないのに、「どうした」とまるでその身を案じたような問いかけをせざるを得ない。


「いや、……搬送されたということは、救急車に乗ったんだろう? 私は。それに、点滴というのもほんの少し受けてしまった。だが生憎持ち合わせが少ししかなくて……足りるかどうかわからない。イブから預かった大事な金なんだが……」


 そう言って所在なさげに佇むクロエを、キリヤは信じられないものを見る目で見つめた。


「そもそも乗ってねえし。緊急時のことは大概無償だろ、たぶん」

「それで商いが成り立つのか?」

「平気平気、病人なんて売るほど居んだし。臓器とか高値で売れるんだろ? 知らんけど」

「そうか。なら良かった」

「良いんかい」



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