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しんでるクロエはしんでない  作者: 南宮ユカリ
邪竜蘇る。逆行するいかのおすし編
7/29

7 世界5秒前仮説

微グロ描写有り


 過去、町で未曾有の病が蔓延したことがある。


 外から持ち込まれたウイルスが原因で、突発的な発熱や頭痛をきっかけに数日で急速に悪化し、高い確率で死に至る。接触による感染で、ゆうに一万人以上の死者を出した。


 そして一連の流行り病によって親を失った子供たちは、そのほとんどがレゴリス修道院へと保護された。


 人の身が売買品として成立する時代だったこともあり、信徒としての教育を受けた子供は、成人後間もなく一部を除いて王都の闇市場へと売られて行った。

 残ったのは、呪われた血を宿した竜の末裔。売り物にもならない欠陥品のみである。



***



「プリーナイトって宝石知ってる?」


 コツ、コツ、コツ。地下へ続く階段を、イブのヒールが一段ずつ叩く。

 彼女のエスコートで冷え冷えとした地下通路に足を着けたクロエは、黙って首を横に振ってみせた。


「知らない? 葡萄ブドウ石ともいって、マスカットみたいに透き通った緑色をしてるんだ。お腹を空かせた怪獣をもてなすにはうってつけだろう?」

「怪獣?」

「鱗付きのことさ。邪竜はともかくとして、ぼくはおとぎ話に出てくるドラゴンって生き物が好きでね。多くは洞窟にひっそり暮らしていて、宝石なんかを食べるっていうじゃない? なんか、ちょっとかわいいよね。健気っていうか」


 空の紙コップを傾けたイブが、悪戯っぽい顔で溌溂と語る。

 ワインの原料がブドウであるから、そんな切り出し方をしたのだろうか。クロエは好んで酒を嗜まないため、あまりピンとこない。


(そういえば、タバサも似たようなことを言っていたな)


 それも、奇しくも同じような状況で。

 畏怖すべき対象であるキリヤを変わり者だと言って、友人として紹介してみせたり。会う前から見た目で判断するなと釘を刺したり、それは気安いものであった。


 元々イブが可愛いもの好きなのは知っていたが、それがまさか、創作上とはいえ竜を冠するものにまで及ぶとは。まして、竜が健気などと。

 彼女たちはきっと、オメガという絶対的な味方が身近にいるから、鱗付きへの距離が他の人間より近しいのだ。


 人は繰り返し会ったり、接触する回数が多くなるほど親しみを感じやすくなると聞いたことがある。

 現状地下の出入りを許されているのは院内でも極僅かであり、必然同じ顔触ればかり鱗付きと関りを持つことになる。


 そうなれば人好きのする性格のイブなど、少しでも自分のタイプと感じた相手なら、見境なく絆されていてもおかしくなかった。


「私も絵本は好きだ。だがあれはフィクションであって、現実とはなんら関係ない。邪竜の擁護は主への裏切りも等しいのでは?」

「……割と過激派なんだ。けど擁護したつもりはないよ。ぼくらの主が恐れたのは邪竜という生き物じゃあなくて、冷徹な殺戮者そのものだ。人を甚振って楽しむような、そういう残虐性を忌避すべきだという教えなんだとぼくは考えてる。それが竜という生き物の気質のせいなのか、力に溺れて暴力性が増した結果なのか、ぼくらにはわかりようもないことだから」


 「けどきみの考えが間違いってことじゃないからね」。クロエは気が遠くなって、フォローの声に反応さえ返せない。


 害のない竜を殺戮者として目覚めさせてしまったのは、一体誰か。

 月碑さえあれば暗がりでも平穏に過ごせていたはずのオメガとキリヤ、そしてすべての鱗付きに、溺れうる力を植え付けたのは、何故か。


(寄り道なんてするんじゃなかった)


 本来なら、今頃何の気負いもなくチェリーパイを食べていたっておかしくないはずなのだ。

 イブやタバサの喜ぶ顔が見たくて、あわよくば凄い凄いと褒めて貰いたくて、役立たずは要らなくて。

 それが、どうしてこんなことに?


「……なんだか不思議だな。きみがそういう顔をしてると、こっちまで悲しくなってくる。変な話、きみとはずっと昔から付き合いがあったような、そんな感じがするよ」

「イブが言うと、そういう冗談なのか判断に困るな……」


 しかし、彼女の勘はとことん鋭い。その観察眼はほとんど超能力といった差し支えないだろう。


 このまま思い出して欲しいような、今暫く忘れていて欲しいような。

 困惑と後悔、それと絶望感に顔を曇らせるクロエを見て、彼女は寧ろ嬉しそうに顔を綻ばせた。


「冗談なんかじゃないよ。いや……もしかして、本当に?」


 ふと幼い頃の記憶が脳裏を過ぎる。左右で異なる色彩を細めて、可哀そうにといった同情の念を惜しげもなく滲ませるその様相は、幾度となくクロエの心を揺さぶったものである。

 タバサに誘われて竜の眠る森に入った時も、それがバレてマザーに叱られた時も。これと同じ色をしていた。


 もしかしてイブも今、同じ記憶を思い出しているのだろうか?


「あ」


 そうして二人ぼんやりと見つめ合っていたが、注意力が逸れたせいか、イブの手からぽとりと紙コップが零れ落ちた。

 内側に付着していた数滴のワインを点々と散らし、ころころと転がったそれは、まるでそういう重力が働いているかのように開きっ放しの扉へと吸い込まれてゆく。


 人の気配がない、開かれたままの地下の鉄扉。

 クロエの記憶が正しければそこは、オメガの部屋であったはずだ。


「……イブ?」


 はあ~、と隣で大きな溜め息を吐かれる。


「ごめん、やっぱりきみじゃなかったみたい」


 直後、脇腹がカッと熱くなり、クロエは堪らず体をくの字に折り曲げた。


 一歩、また一歩と後退り、無意識にイブと距離を取る。見れば、彼女の手にはコルクスクリューが握られていた。それもぐるぐるとした螺旋状の針の部分が、べったりと赤く濡れている。


 ―――刺された? イブに、私が?


「ご丁寧に実銃まで用意して、気付かれないとでも思った? 天使ちゃん。それで誰を射止めるつもりだったのか、そのかわいいお口で言ってごらん?」

「イ、イブ……? なんで……」

「知らない人について行くと、こ~んな怖い目に遭うんだよ。きみはね、最も最悪な選択肢のうちの一つを選んだんだ」


 いよいよその場に崩れ落ちたクロエは、いわゆる土下座の体勢で自らの腹を庇った。内臓を傷付けたのかじっとりした温かい液体が溢れてきて、背筋がうすら寒くなる。


 イブはその傍らに片膝をつき、クロエのホルダーからわざとらしくピストルを引き抜いてみせた。「あと5発」と手に取った重みから弾数を看破する。


「わかった、降参する、従うから殺さないで……」


 しんと静まり返った通路には、当然窓や外へ出口になり得るようなものはない。

 このままオメガの部屋に逃げ込んで籠城するという手もあるが、部屋の扉を開ける権限は、中の人間ないし”地下の出入りを許されている人間”にある。ほとんど意味はないだろう。


 いっそ手当たり次第にノックして回るのはどうだ? 封印を解いたという恩を着せて、鱗付きに助けを乞うのは。


 自分で考えておきながら吐き気がして、クロエは小さくおぇ、と嘔吐いた。


「誰かの指示でオメガに近付いたの?」

「時間を……月碑を戻す、鱗付きを……」

「要領を得ないなぁ。手伝おうか? モップ掛け」


 頭上からの声が近くなり、カチ、と引き鉄に指が掛かる音が響く。

 すぐ背後に体温を感じられて、場違いながらも「イブの服が汚れてしまう」と思った、その時だった。


゛ッ……!?」


 抗い難いほど凄まじい”何かの力”によって、クロエの前身が宙に浮いた。すっかり油断していたイブを頭突きで押し退けて、一気に壁まで吹き飛ばされる。


 実態のない手に首を絞められる感覚を味わうのは、これで二度目だった。


(ポルターガイスト……!)


 首をのけ反らせて気道を確保すると、廊下の隅で倒れ伏したイブの姿が目に入った。案の定密着したせいで、白い制服にところどころ血痕が浮かび上がっていた。


「イブ、大丈夫? ごめん。未来は変わらないみたい」


 返事はない。余程当たり所が悪かったのか、気を失っているようだった。ピストルから手が離れているのにうんともすんとも動かない。


 全身にかかる得も知れぬ重圧から逃れるべく、クロエは体を捩って壁伝いになんとか階段を上がりきった。

 零れ落ちた血が通路に跡を残し、ただごとでない事件のにおいを醸し出しているが、もはや構っている余裕はない。


(イブじゃだめだ、私じゃうまく説明できない。タバサに話さないと……!)


 はあはあ、と荒い息が耳に付く。こんなに暑いのに、足ががくがく震えるほど寒気がして、いやに頭がクリアだった。


 まるで、親に捨てられたばかりの孤独で、恐ろしいものに追われ続ける、惨めな自分に逆戻りしたよう。


 クロエにとって世界とは、イコールでここレゴリス修道院のことだ。この場所を除いて拠り所はなく、修道士たちを除いて関係性はない。

 それさえなくなってしまったら、これから先どうすればいいのだろう。

 果たして生きていけるのか。本当は、このまま死を選ぶしか、ないのではないか―――?


 不意にポルターガイストの幻影が離れて、呼吸と体が幾分か楽になる。


「オメガ、戻して……。戻して、戻して、戻して……」


 霞んだ視界の中、光だけを頼りに外を目指す。

 遠くから子供たちの笑い声が聞こえて辺りに目を凝らすと、見慣れた大理石と、花の形をしたバルーンが目に入った。


(たすけて、タバサ)


 体の中から何かがぷっつりと切れた音がして、そこで意識を手放した。



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