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しんでるクロエはしんでない  作者: 南宮ユカリ
邪竜蘇る。逆行するいかのおすし編
5/29

5 パンくずを辿って


「まったくもって嘆かわしい……」


 ショーウインドウから見える景色を眺めながら白髪の少女、オメガは深い深い溜め息を吐いた。


 漁業を目玉にしているだけあって、賑やかな大通りの宣伝は海鮮一色だ。目に入る飯屋は軒並みその新鮮さを打ち出し、道路を挟んだ向かいの小料理屋では豪勢な解体ショーが行われている。


「余所者は入れるべきじゃあないわ」


 独り言は調子の良い店内BGMによってかき消されるが、それでも耳に入ったのだろう。擦れ違った紳士風の男性客がちらと彼女の顔を見た。しかし、直後には何事もなかったかのように店を出て行ってしまう。


「フン。外の人間はまったく、躾がなってないんだから」


 手に付いたチョコレートとパンくずを舐め取って、オメガはショーウインドウからその身を離した。


 人の流れが多いこともあって、町中のベーカリーは大変繁盛している。

 来店を知らせるベルは鳴り止まず、オメガは新たに入って来た夫婦のすぐ後ろに張り付いた。さながら家族です、といった顔で付いて回り、共にオープンディスプレイを値踏みする。


「あ♡ 焼きたて♡」


 温かな香りに引き寄せられて、出来立てのクロワッサンへと手が伸びる。

 しかしその薄皮に触れるかどうかというところで、彼女の手首は何者かにがっちりと捕らえられてしまった。


「オイ、無銭飲食」


 とろんと垂れた目尻とは裏腹に、苛烈な怒気を立ち昇らせた女がドスの利いた声で言う。


「ふぇぇ~、いたいよぉ~」

「こら、あまり強く手を握らないで、痛がっている」

「え。あ。しゅ、修道士。居たんだ……先に言ってよね……」


 クロエに制されたキリヤは、「手なんか握ってねぇよ」と投げ捨てるようにその細腕を解放した。オメガは大袈裟に手首を擦ってみせるが、特に痕になっているというわけでもない。


「ちょっと来るのが遅いんじゃない?」

「その恰好は……?」


 疑問が正面衝突する。

 とりわけクロエは変わり果てた、否、記憶と寸分違わぬ姿になってしまった旧友の姿に動揺を隠せない。


 三つ編みに結んだツインテールと、一際目立つ白髪。

 見紛うことなく写真で見た通りの容姿だ。そう、切り取ったように写真通り、子供の見た目をしている。


「本当に貴方だったんだな、オメガ……」


 万が一、億が一にもサンライズの正体が見知らぬ赤の他人である可能性に希望を見出していたクロエは、思わぬ答え合わせに愕然とした。

 薄々悟ってはいたが、信じていた相手に裏切られたとわかった遣る瀬無さは計り知れない。


「んー、話したかったのは修道士とだけなんだけどなぁ。こんな人を連れて来るなんて正直びっくり。まあお小遣いくれるっていうならもらってあげてもいいよ、キリヤおばさん♡」

「黙れ」


 ふと彼女の身なりと言動に違和感を抱いてクロエは首を傾げた。

 オメガの今の振る舞いでは、まるで物貰い。修道院が受け入れている哀れな子供そのものではないか。


「まさか現金を持ってないのか、オメガ。だからといって勝手に商品を食べてはいけない、この店は先に料金を払うシステムになっている」

「じゃあ裁判で争おうよ、そこまで言うならさぁ。ほらほら、やらないんでしょ? どうせ」

「話をすり替えるな。馬鹿だろお前」

「ねえやだ、この人こわ~い♡ なんで来たの? 本当に今すぐババアにしてあげようか?」

「おっどうしたどうした、急にマウント取ってきて。まさか年齢がコンプレックスだったのか? まあそうじゃなきゃ『ふぇぇ~』なんて言わねぇか、ハハ」

「そうなのか? オメガ」


 悪意なく追撃され、オメガは「う゛っ」と呻いて目を逸らした。


「私を騙してまで力を得たのは、子供になりたかったからなのか? それとも昔に戻って、人生をやり直したかったとか?」

「うわぁ、愚問も愚問だなぁ。じゃあ逆に聞くけど、あなた、『あの時ああしていれば良かったなぁ』とかって後悔したことないの? 冗談でしょ? 閉じ込められてたこと知ってるくせに。誘導尋問はやめてよね」

「それは、…………」

「だからお前の口車に乗ったことを今まさに悔いてんだろ、いちいち言い訳が長ぇな。いいからとっとと後始末しに来い」


 お世辞にも広いとはいえない店内だ。加えて、思いきり導線を遮ってまでする話ではない。

 そうして人の目を気にしたキリヤが再びオメガの腕を取ると、オメガは心底嫌そうに顔を顰めた。いやいやと首を振りながら踏ん張る彼女に、周囲も生ぬるい視線を送る。


「待て。食べた分の会計がまだ済んでない」


 キリヤとは反対方向にぐんと引っ張られ、オメガが何事かと振り返る。見れば今度はクロエが逆の手をしかと握っており、あえなく、捕らわれの宇宙人のようになる。


「はあ? どうせなかったことにすんだからいいだろ?」

「駄目だ。この場で清算できなければオメガは一生罪の意識に苛まれることになる。これは救済措置だ、時と場合によって優先すべき事柄は変わる」

「あのさぁ。全部元通りってことは店の損失もなかったことになるわけだろ? 被害者がいないんだから罪もクソもないだろ。お前はただ人を罰して気持ち良くなりたいだけなんだよ」

「人を罰するのが気持ち良いものか。貴方は何を言っているんだ?」


「痛い痛い、や、やめて~? 巻き込まないで~?」


 比喩でもなんでもなく綱引きの綱にされたオメガは涙目で地団太を踏んだ。両腕を別々に拘束され、それしかできることがないからだ。


 さすがに店内で子供が助けを求めているとなれば、その場に居合わせた人間も黙ってない。

 連れ去りを案じて通報する客もいれば、何を勘違いしたのか「手を離した方が本当の母親だ」と囃し立てる野次馬まで出てくる始末。


「どうしてわかってくれない、私が今ここで逃亡を許したらレゴリスの理念に反してしまう。みんなを裏切りたくないのに」

「知るかバーカ。ならお前らの理念が正しいかどうかこいつに聞いてみろ、あの部屋に戻りたいかどうかをよ」

「え。フツーにヤダけど」

「オ、オメガ……!」


 クロエの肩から力が抜ける。それでもぎゅっと握ったままの手は、オメガの内なる善性を期待しているからだ。


「馬鹿力が……ッ」


 一方、ゼイゼイと肩で息をしたキリヤは、ようやく解放されたとばかりに片手の痺れを払った。

 単純な力比べなら初めから彼女に勝ち目などなかったのだから、ある意味予期した通りの展開である。


「本当に、本当にいいのか。私を騙した手前、戻るに戻れなくなって冷酷に振る舞っているだけじゃないのか? それとも、そうまでして子供になりたかったのか。でもどうして? やり直す人生に、タバサやイブはいないのに」

「……思い込みが強いんだね、ダーリン。お薬飲んで治して欲しいな♡」

「オメガ、私は真剣に話している」

「こっちだって大真面目なんですけど。わたしのこの幼児退行は……、あー……一言で言うと、まったくの誤算。こんなことになるなんて、一ミリだって思ってなかった」

「どういうこと?」


 はあ、とオメガが深く息を吐く。人前であることも意に介さずその特異性を示唆したせいで、居合わせた人間には彼女が鱗付きである事実が察せられてしまったことだろう、ジロジロと不躾な視線に晒されるのがわかった。


 騒ぎを聞きつけた店員がレジカウンターからさも迷惑そうな顔で近寄って来るが、彼女の象徴的な出で立ちを見るなり何かを悟ったように店の奥へと引っ込む。


 触らぬ(邪竜)に祟りなし。

 特異性を取り鎮める修道士は表向き正義のヒーローには違いないのだが、その歴史は血に塗れている。

 取り沙汰されないのはここが田舎だからで、後ろ暗い事実の揉み消しが容易であるからだ。無論、中には理不尽な流れ弾を受けた者も存在する。


「付いて来て」


 奇異の目を倦厭してか、オメガの足が店外へと向かう。

 「ちょっと」と尚もクロエは呼び止めるが、ぎゅっと手に力を込められ黙殺される。逃亡の意思はないと言外に示すようであった。


「早送りも巻き戻しもできるけど、自分に関してだけは元々一方通行なんだよね、この現象。戻ったら戻った分だけ若返るけど、成長だけはスキップできない。でもどう考えたって使い勝手が良いのは巻き戻しの方でしょ? 力が増せばなんとかなると思って月碑を壊したけど、……あぁ、()()()()けど。結局、早送りできたのは最初の一回だけだった。信じられる? こんなの詐欺でしょ。必要になってから取り上げるなんてほんと終わってる」

「終わってる……?」

「だから、逆なんだって。子供になりたいんじゃなくって、早く大人になりたかったの!」


 ぷいと顔を反らしたオメガが、ベーカリーのショーウインドウに凭れかかる。


(そうか。ここに留まっていたのは、過去に戻ることで生じるデメリットを避けたいからか)


 強過ぎる力にはどんな形であれ代償が伴う。あるいは新たに制約を課すことで、レゴリス修道院は数多くの鱗付きを抑制してきた。


 そう考えれば時間遡行に肉体の再生が伴うというのは、少なくとも納得はできる話だった。

 路地裏に居たのもあながちオメガ本人だったのかもしれない。


「キリヤ・デイモス、力というのは、普段から制限されているものなのか?」


 まるで興味がない様子で明後日の方向を見つめていたキリヤは、「まあ、そうだなぁ」と白々しく顎に手を当てて考え込む素振りを見せた。


()()()()()()()、だっけ? ……ああ。信じるよ」


 続けざまに独り言めいた調子でそう呟くと、にやりと上がった口角から鋭い犬歯を覗かせた。自らの顎に触れていた手をくっと握り込み、示唆的に視線を逸らす。


 バチッ! 鋭く高い音が鳴って、往来から悲鳴が上がった。


「停電だ!」


 ブレーカーが落ちたのか、いや落ちていない、向かいの店も同じだ。等々。悲鳴を聞きつけ、方々の軒先から蜂の巣をつついたように人々が飛び出して来る。


(停電?)


 確かにショーウインドウから覗く店内は先ほどとは打って変わって暗く、まだ昼時だというのに鬱々とした雰囲気を醸している。

 常ならば気にも留めない屋外灯まで消えている事実に、大通りはたちまち不穏などよめきに包まれた。


 それもそのはず。だらりと垂れ下がった電線の断面から、漏電した光がその照明代わりを務めていたのだ。


「ハハ。通りで! なんでもいいからぶっ壊したい気分だったんだ」


 配電線を取り囲む人だかりを眺めながら、キリヤは糸をほぐすように手遊びをして念入りに電線を押し切った。

 その表情はどこか清々としている。


「凄ぇ凄ぇ、今ならここにいるヤツら全員宇宙までぶっ飛ばせる気がするよ。いや、できちゃうな感覚的に」

「何故そんなことをする必要がある?」

「何故って? そんなの、気晴らしには八つ当たりが一番効率的だからに決まってんだろ。復讐に必要なのは勇気じゃなくて元気だって格言もあることだしな」


 邪魔な羽虫でも払うように、キリヤはしっしっと顔の前で手を振った。途端に雲間から陽光が降り注ぎ、徽章きしょうに反射する。


「雲……」


 まさか、とクロエは天を仰いだ。


「そうそう、惑星の一つや二つなくなれば、お前らのボスもちょっとは態度を改めるかな?」


 キリヤが遠近法を用いてその小指に太陽を乗せると、爪先にばちばちと火花が散り始めた。ブルブルと小刻みに震えているのは、公転の振動を受けているとでもいうのだろうか。


「そうか、ポルターガイストで天候を……。貴方が見える範囲なら届くのか、それが太陽でも」

「ポルターガイストぉ? 天変地異でしょこれ」

「キリヤ、手を降ろせ。そんなことをしてただで済むはずがない」


 そうクロエが一歩にじり寄るも、素早く拳銃のハンドジェスチャーを取られ動きを制される。刹那、今しがた手を伸ばしていたクロエのホルダーから、銀色の何かが勢いよく飛び出てきた。

 持ち主である彼女には、それが何かなんてわかりきっている。


「あっ……わ、わっ」


 まるで生きているかの如く実弾入りのピストル銃が手のひらを跳ね回る。そのさなか、安全装置が外れていることに気付いたクロエは、ぶわりと全身に鳥肌が立つのがわかった。


「あ」


 やっとの思いで捕らえたそれの引き鉄に、導かれるように指が掛かる。思わずといった声を漏らしたのはオメガだった。

 暗い銃口から目が離せない。


(撃、―――)



「オメガ!」


 強張った筋肉と梃子でも動かなかったピストルが、重荷を捨てたようにふっと軽くなる。


 助かった。

 ほっと息を吐く間もなく、混乱と恐怖に戸惑う群衆を掻き分けて、目に沁みるような”潔白”が視界の端に入り込んだ。


 見慣れたふわふわのスカート、花をあしらったヘッドドレス、宝石めいた翡翠の瞳。

 タバサその人である。


 目が合うや否や彼女は息を切らせながらこちらに歩み寄り、問答無用でオメガの頬を平手で殴りつけた。


「オメガ、どうしてわたくしが怒っているか、わかる?」


 ぽかんと口を開けたまま、オメガがおずおずと頷く。


(キリヤは?)


 クロエは慌ててピストルをホルダーに押し込めるが、先ほどまでそこにいたはずのキリヤの姿はもうどこにも見当たらなかった。なんて逃げ足の速い。


「その……約束、守れなくてごめん」

「いいえ謝らないで。わかっていないのに、軽々しく謝ったりしないで。わたくしが怒っているのは、貴方にもしものことがあったら、自分のことを生涯許せないからよ。役に立とうとなんてしなくていいの。どこにも行かなくていいの。お願いだからわたくしを不安にさせないで頂戴、オメガ」


 そう言ってタバサはオメガを抱き締めた。すっぽり腕の中に収まったオメガは、感極まって涙ぐんでいる。


「ご、ごめん……ごめんね、タバサ」


 迷子の子供がやっと母親を見つけたような、それは初めて見る彼女の表情だった。


(でも、良かった)


 どんな姿になっても家族の繋がりが不変であることに安堵したクロエは、つれらて泣いてしまいそうになって、拳を強く握り込んだ。


 思わず「タバサ」と呟くと、名を呼ばれた彼女がこちらを振り返る。

 美しい翡翠は、しかしどこか無機質に見えた。


「フフ、恥ずかしいところを見られてしまったかしら。貴方がオメガを保護してくださったの? どうもありがとう。それで、もしわたくしの記憶違いだったら大変申し訳ないのだけれど……わたくしたち、どこかでお会いしたことがあったかしら?」



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