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38 (し)かばねとにわか雨


 ニーナは過去に一度、コンサートの舞台に立ったことがある。


 ……こういうと誤解されそうだが、そこで彼女がなにか一芸を披露したわけではない。人権問題に関する講演会に参加させられ、隷属する側の立場から意見を求められただけだ。


「奴隷の権利を、うばわないでください」


 奴隷は主人の所有物です。人間じゃなくて、物なんです。あるじ様は物を物として使っているだけで、なんにもおかしなことはしてません。

 ……わたしは両親との一家心中に失敗して、一人だけ残りました。でも一人で生きていくことは難しいです。だから奴隷でいる権利をうばわないでください―――。


 思えばアルシエルの顔色ばかりを窺ったスピーチだった。

 彼は観客席からご満悦の表情で拍手を送り、周囲もまた悦に入ったような、どこか感心した様子でニーナの身の上話に聞き入っていた。


 当時、ニーナの市場価値は最高クラスであったと聞いたことがある。

 若く美しい処女、聞き分け良くどんな命令にも歯向かわない。加えて識字ができる。これは非常に稀有なケースらしい。

 いまだに理解し難い世界ではあるが、人身取引において若さはトリュフだ。特別に美味いわけではないが、希少性が高く流通されにくいという意味で、どんな高級アクセサリーにも勝る。


 要は見せびらかす目的で壇上に引き上げられたのだ。

 いかに従順であるか、聡明であるか、愚鈍であるか、無害であるか。そういう商品の指標として、ある意味で代表として矢面に立たされたわけである。


「すみません。少しよろしいでしょうか。これは、わたしのエゴかも知れませんが」


 がらりと空気が変わる。壇上から一等近い席に座った、それまで一言も口を開かなかった男がおもむろに席を立ったのだ。

 観客席を振り返るとマイクもないのに声が反響する。それだけ透き通った声だった。


「この催しは『生活困窮者の救済』の名のもとに開かれていますが、今ここにお集まりの皆さんは、比較的経済的に余裕のある方たちばかりと存じます。なので、この集まりそのものが貧困層に直接な恩恵を与えるわけではなく、富裕層に富が再分配されるだけで、目的とする人たちにはわたしたちの声が届いていないのが現状です」


 男は改まって舞台を仰ぎ見た。そこで初めて、男が息も絶え絶えの形相で、目尻に薄っすら涙なんて浮かべていることを知る。


「奴隷の権利、それも尊重されて然るべきものです。けれどそれ以上に、彼女が一人でも生きていけるだけの支援と、素直に『助けて』と言える環境をつくることが、我々が取り組むべき喫緊の課題ではないでしょうか?」


 ―――あの時の衝撃はいつだって鮮明に思い出せる。


 それこそニーナが初めて他人から受けた「尊重」だった。何も考えられないくらい心地が良く、全身の血液が沸騰したように顔が火照る。

 幸福の感覚は大麻のトランス状態とよく似ていた。「自分はこんな扱いを受けるべきではない人間だ」と、一瞬でも勘違いしてしまうほどには。


 ニーナはスポットライトに照らされながら、この世で一番輝きを放ち、価値あるものに触れた。それがエンリ・ラズリとの関わりだ。

 混濁するほど噛み締めて、この記憶と共に生きよう。これさえあればきっと、自分を見失わない。

 そう思った。




「お、来た来た」


 会場前に横付けしたワンボックスカーに、煙草を吹かした大柄な男が凭れ掛かっている。

 昨今は反社の間でも高級車よりファミリーカーが重宝される傾向にあり、例に漏れずアルシエルも「広いから」という名目でそちらを採用している。なんでもそっちの方が防弾用の鉄板を仕込みやすいらしい。


「つくづく国民は怠慢だよなァ。自分が国から見殺しにされるなんて端ッから頭にもない。野心のない家畜らしい顛末だと言わざるを得ん」


 脇に立った王室属領の近衛師団員が、ごくりと生唾を飲むのがわかった。

 先の大戦の傷痍軍人であるアルシエルはその戦果を讃えられ、莫大な賜金しきんと引き換えに衛兵の指導を任されている。とても人には言えない副業の片手間に、ではあるが。恐らく彼もその一人か、あるいは「死神」の称号を知る者か。


 しかしながらその副業の象徴ともいえるニーナは、コンサート会場を出て早々に後悔していた。

 衝撃的なショーを目撃した観客は、一様に興奮冷めやらぬまま帰路に着こうとしている。つまり周囲には溢れんばかりの人がおり、その多くは会場前に屯う彼らを視認しているのだ。


 兵士に絡んで管を巻く様子は、傍から見れば質の悪い酔っ払いだろう。

 だがニーナは知っている。彼は酒乱を蛇蝎の如く嫌い、普段から酒は一滴も呑まないことを。


「なんか用ですか?」

「バッ……なんか用って、そりゃ用でしょ!」

「いや、だって三日以内って……」


 さっぱり状況を理解していないワトがなおも食い下がろうとする。ニーナは信じられない思いで並び立つ男を睨みつつ、身の潔白を表明しようと一歩前に出た。


「あるじ様聞いてください! 何か疑ってるっていうならちゃんと正直に答えます。隠してることなんてなんにもないです!」

「気概のある忠臣だなー……」

「そういやニーナ、お前いつから新しいバイト始めたんだ? ニャンコのお散歩って聞いたけど、あれだろ? 防カメと高級車マークしてくやつ。お前シングルタスクだから抜けてそ~。あァでも違うか。ニャンコはニャンコでも()()()を修道士に引き渡すバイトか」

「へっ!?」


 いつ、だれが密告したのか。思わずワトを窺い見たニーナから露骨に顔を背けたのは、会場外の見張りを任された屈強な兵士の方であった。


 シャロとの会話は白昼堂々、人通りの多い往来で行われた。それこそコンサート会場への行きがけ、文句の止まないシャロを無理やりリュックに押し込めた現場にあのような兵士がいたような気もする。


 しかし、それをあたかもニーナが恣意的に隠し立て、彼女が反乱分子であるかのような筋書きで報告されたことが、何より衝撃的であった。


「い、いや、そんなの、なんだっていいでしょ。いや違う、なんでもないんです。拾ったのがたまたまそういう感じので、もう捨てたし。ていうか拾ったのこっち! ウチは押し付けられただけで……!」


 次の瞬間には右頬に鋭い平手が飛んできて、ニーナは堪らず薄濡れた石だたみに倒れ込んだ。火が付いたように顔が痛む。

 口内に特有の鉄の味が広がって、慌てて鼻を押さえた。


(義手の方だったら、ぜったい前みたいに骨折れてた……!)


 殴られるのは慣れている。だがこんな人の目がある場所で堂々と暴力を振るわれるなんてこと滅多にない。


 人が見ている、指を差されている。そう思うと殴られた衝撃より、惨めに這いつくばるしかない現状への羞恥が勝った。


「おいやり過ぎだろ!」

「あーあやだやだ。人様に殴らせておいて被害者ヅラだけは一丁前かよ。まだ自分に非がないとでも思ってんの? お前、なんでその場でニーナを問い質さなかった? 何のためのペア行動だ。仲間が不審な動きをしてて、戦場でも見て見ぬふりすんのか? テメーそれで死人が出たらどう責任取ってくれんの?」

「はあ。あのな、ここは戦場じゃないし、そもそも鱗付きなんているわけないでしょう。あれはフィクションの話であって、何か誤解してるんじゃないんですか?」

「……”なにか誤解してる”のはそっちだろ。取り返しの付かない察しの悪さしやがって」


 今更になって盾となったワトの背中を見上げながら、ぼんやり「ああコイツ、本当に”許されるつもり”でノコノコ付いて来たんだな」と直感で悟った。


 クロエを差し出す気もないし、自分が殺されるつもりも毛頭ない。

 連帯責任でニーナが罰されることなんて想像に難くないのに、いざ目の前で事が始まったら怖気づいて弱者の味方面する。

 そんな身勝手極まりない正義感のせいで、更にニーナの立場を危うくさせている自覚がないのだろうか。ないんだろう。全部が全部自動で丸く収まると思い込んでいる、おめでたい思考回路の持ち主には。


 農夫が屠殺する運命の家畜を大切にするのは、動物が可愛いからじゃない。真実、”実用性があるから”だ。


 ニーナはまだ若いし、見た目だって華がある。だが裏を返せばそれらが失われた時アルシエルのステータスに成り得ないことは重々理解していた。

 いや、この数年で蓄積された分の情でもあれば、ひょっとするとペットぐらいの感覚で飼い続けてくれるかもしれない。けれど家畜とどちらの扱いがマシかどうかなんて、わかりたくもなかった。


(……でも。シャロがクロエの関係者だってわかったら、多分シャロを殺さないといけなかった。……シャロは、ウチじゃなくてクロエを選ぶんだろうし)


 有用性がないシャロでは抹消の対象から逃れられない。かといって”可愛い”シャロを始末することはニーナにはできず、いずれにしても折檻は避けられなかった。そのはずだ。

 だから今さえ凌げれば良い。今さえ我慢すれば……。


「あらら、大丈夫? 思いっきしバチィーンいかれてたけど。可哀想に」

「……べつに、お気になさら、ず……?」

「ほらここ、クッソ赤くなってる」


 視界の端から差し込まれたのは、陶器めいた滑らかな手であった。放って置いてれと思う心とは裏腹に、導かれるまま自然とそちらへ顔が向く。


 影になった目元、きめ細かな肌。なんともいえない香水の匂い。身を屈めてこちらを覗き込むドレスの胸元から、豊満な谷間が存在を主張する。

 思わず二度見した。彼女はニーナが敬愛してやまない人の、愛する人だ。


「あ、やっぱり! 見たことあると思ったらきみ、月碑どかしてくれた女の子でしょ。あの時はありがとう~」

「な……ッ!? ち、ちか、近いッ……!」

「えっ急にはわはわしてかわいい……。もしかして王女様のファン? 俺も俺も。だから貸して貰ってん」


 ぱか、と口を開けて笑うミカゲ。いつもは”陰のある美女”然としている彼女の見たことも聞いたこともない振る舞いに茫然としているうち、彼女と兵士の手によって無理やりに車の後部座席へと押し込まれた。

 バタン! 勝手にドアが閉められる。閉めるな。

 ちなみにその場から脱出が困難と証明できれば監禁罪が成立する。物理的にも心理的な意味でも、だ。だからこういう場合は自分から乗り込ませるのが手堅いのに、なんで鍵まで掛けて、詰めて座る!


「俺さ、エンリ? にバリ嫌われとるみたいで、ガチで生き埋めにされてん。勝算はあるから死んでくれ言うから死んだのに、秒で土葬されてさ。あ、終わったなコレって思ったもん。話が違うやんって」

「え? は、へへ……」


 ニーナを押し込むように座ったミカゲが、太ももにそっと手を添えてくる。楽器を奏でる一級品の手だ。別の意味で顔が赤くなる。


 わけもわからず愛想笑いしていると、暫くして助手席にアルシエルが乗り込んで来た。

 前方ではいつの間に乗り込んだのか、痛そうに脇腹を押さえたワトがハンドルを握っている。たぶん殴られたんだろう。ざまあない。


「ニーナ、他所に構ってる暇が惜しいからヴァーミリオン君とこっちに協力してもらう。いいな?」

「い、いいかどうか、ちょっと……急すぎて……」

「エンリ・ラズリを襲撃する」


 ミカゲが小さく「よっ」と囃し立てた。

 え? 夫の命を狙うと聞いてこの反応?


「ほら、もうダメだろ? あいつ。皆まで言わんでもわかるよな? 世間の皆さんの反応とかで。天辺がダメだと集団そのものの生存を脅かす。要は自衛だな。どうせそういうことにしといた方がお前ら罪悪感ないだろ?」

「そうだそうだ!」

「……でも反逆罪って死罪ですよね。まず投書とかから始めません?」

「ハア~やれやれ、殺される覚悟のない人間が他人様を殺していいとでも思ってんのかァ? 呆れるわ。いいか? エンリをくだせば国は反対勢力を無視できない。メディアは挙って動機やらを拡散するし、悪政が明るみになれば国際問題まで発展するかもなァ。そうなりゃこっちの勝ちだ。エンリの言葉を借りれば、『それでしか社会は良くならない』って案件。皮肉なもんでな」

「ニュースになればいいのなら、別に国王を直接狙う必要はないんじゃ?」

「考えてもみろ、その辺で包丁持って暴れたところで政府がこっちの言い分を聞くと思うかァ? そりゃ聞かんわな。なにせ支持者の国民が保身にしか関心がない限界家畜集団だ。年寄りの一人や二人死んで何になる。せめてあと十万は逝ってもらわんとな、ガハ」


 車内が白けた雰囲気になる。滑ったことを自覚したからか、アルシエルは「出せ」と低い声で言って、横からワトの足を蹴った。程なくして車が発進する。


「コホン。まあ安心してくださいや、お二人さん。ホシの行動パターンと警備が甘くなるタイミングは王女様の大脳皮質がちゃーんと把握してある。こっちも殺られた分やり返さないと気が済まんしな。クックック……」

「あの、ミカゲ様? 脚が、その、閉じてください……。見えちゃう……」

「あら失敬、わたくしとしたことが当たっちゃってたかしら。わざとじゃないのよわざとじゃ。あ~小さくなっちゃって本当にかわいい。良ければ貴方の親権をわたくしに譲ってくださらない?」

「イヤです……」


 イヤだし、意味がわからないし。

 かつての孤高のクールビューティーはすっかり見る影もなくなってしまった。


(しかもいつの間にか鱗付きになってる)


 だがこの変わり果ててしまったミカゲにしても、彼女が心を病んで怪物に付け入られた、とは限らない。卵が先か鶏が先か、エンリの独裁体制を招いたのは彼女が原因である可能性だってある。


 ニーナを見知った風な口振りと「生き埋め」という単語から推測するに、恐らく以前雑木林を掘り返したあたりに居た、と考えるのが妥当だろうか。そして彼女を埋めた犯人は夫であるエンリ、と。

 とはいえニーナにミカゲを救助した自覚はない。多分アルシエルがなんとかしたんだろうが、鱗付きに精神を汚染されているとわかればもう一度埋め直したのに。

 こんなの王女の尊厳を踏み躙っているとしか思えない。


(……エンリ様を護れるのは、もうウチしかいないんだ)


 得体の知れない怪物に心を食われてしまったミカゲが、車の振動に合わせてわざとらしく肩に寄り掛かってくる。ああ悲しい。もしこんな姿を彼が見てしまったら、どう思うんだろう。


 そのままにおいを嗅いでくるので起こそうと腕を伸ばすと、手が偶然、全く意図したわけではなく、事故で、その柔らかな胸に突っ掛かる。

 慌てて渾身の力でミカゲを突き飛ばすと「ヴッ!!」と唸り、首を鞭のようにしならせ大きく仰け反った。


(へ、変態!? ウチいま痴漢した!? いやものすごい弾力……って違う! 奥様になにやってんのバカ! 変態変態変態!!)


「なんか後ろヤバいこと起きてません?」

「無視だ無視」



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