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しんでるクロエはしんでない  作者: 南宮ユカリ
邪竜蘇る。逆行するいかのおすし編
2/29

2 夜は明け、太陽は沈まない


「竜の森に入ってはいけないと、あれほど言ったでしょうに!」


 老齢の女は深く皺の刻まれた目尻を歪めて、取り乱してそう叫んだ。


 関係者からは「マザー」の愛称で親しまれている彼女が声を荒らげる様子など、当時のクロエには衝撃的な光景であった。それほどまでに普段の彼女は穏やかで優しく、愛情深い。


「ごめんなさい、マザー……」


 横並びに立ったクロエ、イブ、タバサの三人は、好奇心が生んだ小さな冒険について、監督者たる修道院長から激しい叱責を受けていた。

 イブやタバサは同年代よりも幾分早熟で、「なにをわかりきったことを」といった心境で聞き流していたが、クロエだけはそうもいかなかった。


 身が竦むほどの罪悪感からぶるぶると全身を震わせていると、不意に肩が隣のイブにぶつかる。

 モヤがかった視界の中で、目が合ったオッドアイが見る見る見開かれてゆくのがわかった。


「あそこは邪悪な竜の力を封じ込める、とっても神聖な場所なのよ。もし封印が解けてしまったら、世界中の人たちを危険に巻き込むかもしれない。もしそうなったとしたら、あなたたちに責任を取ることができるの?」

「心配かけてごめんなさい、マザー! もう二人に怖い思いをさせないって約束するよ、だから、怒らないで?」


 「おねがぁい」とイブが瞳を潤ませて哀願すると、愛嬌たっぷりのそれに思わずといった様子でマザーが閉口する。

 我らが母は泣き顔に弱いのだ、とは後から聞いた話だ。


「貴方の方が怖いです」


 端からぼそりとタバサが呟くのが聞こえた。



***



「いーい? クロエ。知らない人に話しかけられても絶ッ対に付いて行っちゃダメだよ。車に乗るのもダメ」


 不意に意識が浮上して、まず目に飛び込んできたのが黄と赤のオッドアイだった。いつか見たのと同じ、慈しむような優しさが滲んでいる。


 「いか」ない。「の」らない。「お」おごえを出す。「す」ぐに逃げる。人に「し」らせる。


 己の身を守るための約束事だ。同時に、行き過ぎた心配性を満たすための合言葉でもある。


(ここ……森、じゃない。サンライズは? あの後どうなった?)


 見慣れた修道院の玄関ホール。といっても、端から端まで渡した色とりどりのガーランドや、花を模したバルーンなんかは普段は物置にしまってあるから、正しくいえば見慣れた玄関ホールの珍しい光景、といったところだろうか。


 外からは賑やかな喧騒が聞こえてくる上、聞き覚えしかない忠告も一言一句その通り。

 ステンドグラスから差し込む日差しすら浮足立った様子で、綺麗な虹の輪をホールの大理石に落としている。


 まるでパーティの当日だ。

 昨日を再現するかのような光景に、タイムリープでもしたような錯覚に陥る。

 

「イブ。サンライズはどこ?」

「ネチネチ誘われたり体を触られたりしたら……なんだって?」


 居ても立っても居られずクロエが詰め寄ると、イブはどこか胡乱な目で彼女を見つめ返した。


「邪竜がそう言っていた。私が、扉を開けて森に行った時に」

「ゴメン、なんの話?」

「サンライズに騙されて封印を解いてしまったんだ。だからすべての責任は私にある」

「へーぇ。そりゃスゴイね」

「すごい? まあ、凄いといえば凄いのかも……」


 ハッとしてイブを窺うと、彼女は明らかに不安そうに眉を顰めていた。


 この話は彼女の知らない、且つわけのわからないものなのだと悟ったクロエは、慌てて「なんでもない!」と激しく首を横に振った。

 そうやって曖昧に誤魔化してみせるものの、同時にそんなはずがないとも考える。


 森の中のどこともわからぬ場所で気を失ったクロエを、誰が一体ここまで、修道院の人間に勘付かれないよう運んだというのだろう。そんなのはまったくもって現実的ではない。


「はあ、仕方ないな~甘えたなんだから。怖い夢を見たんだね、かわいそうに。いいよ、買い出しはぼくが代わりに行くから。タバサと一緒にパーティの準備をしておいで」

「買い出し? どうして買い出しなんか……」


 イブは虚を突かれたようにぱちぱちと目を瞬いた。次いで、その相好を崩す。


「どうしたもこうしたも、今日は『虹架け祭』だよ? もぉ、クロエったら。ほんとにきみはかわいいね」


 ―――デジャヴではない。年に一度の虹架け祭の朝が、再び繰り返されている。

 真実タイムリープなのだ、この現象は。


(でも、そんなことどうして)


「じゃ、タバサと仲良くね~」


 声も出せず佇むクロエを置いて、イブは一人で町へと繰り出して行ってしまった。

 こういう時、感情の機微に敏い彼女は自己表現の不得手なクロエに決まって寄り添ってくれる。……のだが、どうやら今日ばかりは時間も人手も足りないらしい。

 もしくは一人で頭を冷やした方が良い、と判断されたか。


 すぐにでも追いかけて一人にしないでと縋り付いてしまいたい。なのに、どう説明すれば事実が伝わるのか、考えは一向にまとまらなかった。


(そうだ、サンライズ。きっとあの人が悪いことをしてるんだ。……それを証明しないと)


 ふとポケットに違和感を抱いて弄ると、くしゃくしゃの紙きれが指先を掠めた。

 そう、買い出しリストのメモだ。

 クロエの手から確かに離れて行ったそれが、再び手の中にある。それだって驚くべきことに違いないが、今やそれすら些細な問題であった。


 なんせ、チェリーパイの材料()()()が、『詮索するな』の文言で埋め尽くされていたのだから。



***



「ボスならさっき地下に行くのを見たよ。そろそろお昼だからじゃないかな」

「ありがとう」


 忙しなく動き回る修道士たちの間を縫って、クロエは地下へ続く階段へと向かった。道中、興奮した様子の子供たちとぶつかりそうになりながらも、なんとか身を捩って衝突を躱す。


「こら。危ないでしょう。廊下を走ってはいけません」

「タバサ!」


 今しがた階段を上がって来た人物が鋭い声をあげると、途端に子供たちは縮み上がって足を止めた。


 乙女趣味を窺わせるゴシック調の大きなスカートと、花をあしらった印象的なヘッドドレス。純白に溶けてしまいそうな銀の髪が、より彼女の高貴さを引き立てている。

 穏やかな微笑を湛える翡翠の瞳こそ、クロエの幼馴染、タバサその人であった。


「会えてよかった、タバサ。ちょうど探してたんだ」

「わたくしを? ホールの掃除で何かあったの?」


 ホールの掃除? そう鸚鵡返しに訊きそうになって、クロエは慌てて口を噤んだ。

 確か彼女はクロエが買い出し係を担うことに反対しており、不憫に思ったイブがうまいこと言い包めてその所在を匿ってくれていたのだった。


 だから彼女はクロエが外出しようとしていたことなど知る由もない。

 ぐしゃり。握り締めた紙が拉げる。


「タバサと……、その。準備するよう、イブに言われて」

「また面倒事を押し付けられたの? 馬鹿ね、どうせ逃げられないのに。後で仕置きをしておきます」


 修道院の孤児たちは暫く二人の顔を交互に見遣っていたが、「次から気を付けてくださいね」とタバサが笑顔で宥めると、ほっとした表情でその場を立ち去った。もちろん早歩きで。


「タバサに聞きたいことがあって。昔、イブと三人で竜の眠る森に入ったこと、覚えてる?」

「ええ。竜の森ね、懐かしい。勿論覚えています。月碑を見たいと言い出したのは他でもないわたくしですもの。いわゆる若気の至りというやつかしら」

「その月碑が、壊れているかもしれないんだ。……詳しいことはうまく説明できないけど、今すぐに確認したい。私はどうすればいい?」


 切々と語り終えると、タバサは美しいかんばせをふっと緩ませて、含んだようにクスクス笑い出した。


「なにかと思えばそんなこと? あんな石の一つや二つ、壊れたところで誰に不都合があるというのかしら。仮に言い伝え通りの代物だとして、そんなご大層なものを野晒しにしておくなんて、可笑しくってわたくし片腹痛くてよ。しかし、まあ。貴方がそうしたいと仰るなら協力は惜しみません。簡単なことです、”鱗付き”に力を使わせてみればいい。貴方の話が真実なら邪竜の力が戻っている筈ですもの。ご理解いただけたかしら。ではご案内します」


 火が付いたように早口で捲し立てられ、クロエは言われるがままその後を追う。


 ともすれば夢での出来事を話しているかのような荒唐無稽な話でも取り合ってくれるのがタバサの好ましい点だ。

 実際、懐に入れた相手をとことん猫可愛がりしたがる彼女は、その妖精のような出で立ちも相まって町民や修道士たちから絶大な支持を得ている。


 そしてそれは、”鱗付き”と呼ばれる類からも例外ではない。


 ―――怪異、呪い、超常現象etc。

 現代科学の知見において説明し得ない事象は、人ならざる者の所業であると考える人間は少なくない。


 倫理に欠けた者を「悪魔」と蔑称するように、虚言を嘯く者を「狼」。超自然的な力を扱う者を竜の末裔、通称「鱗付き」と揶揄する風潮が存在する。

 実際肌膚に鱗が浮き出てくるわけではないが、医師に掛かれば「遺伝子異常」と診断される変異症状だ。

 インターネットの普及もあって、そんなことは子供でも知っている定説である。


 人々は常人の域から逸脱した力を恐れ、蔑み、オモチャにして、なるべく遠ざけて生きている。

 その隔離先がレゴリス修道院だ。

 月碑がこの世にある限り邪竜の力は抑圧され続け、その僅かに残った力でさえ修道院内で保護、及び治療が施されるのである。


 しかしながらこれらの下世話な思想が浸透してしまったために、”鱗付き”が名乗りを上げられなくなって久しい。


「今からわたくしのお友達を紹介したいのだけれど、それについてあらかじめ注意しておきます。彼女はいわゆる変わり者です。どんな外見をしていても恐れないこと、不用意に触れないこと、意味のわからない言葉を言われても訊き返さないこと。なにせ、相手は生まれついての異端者です。わたくしも彼女とは良い関係を築いていたいの、聡明な貴方なら守ってくれるでしょう?」

「その人を馬鹿にしてるってこと?」


 つい、「変わり者」という言葉を拾い上げて、クロエは覚えたての知識をぽろっと口にしてしまった。

 面食らったように口元を隠したタバサを見て、直後に余計なことを口走ったことを自覚する。


「素晴らしいわ、クロエ。ご明察の通りよ」



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