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しんでるクロエはしんでない  作者: 南宮ユカリ
酒は飲んでも飲まれるな。恐怖!誘拐トンネル編
16/40

16 死神とかの呼び声


 ―――思えば彼女が現れ出したのは、今朝方のことだった。


「そりゃあ、ちょっとかわいい顔してるなぁ~とは思ったけどさ……。なんていうか、不思議な感じ。もはや我が子のように思えるというか、ぼくって知らない間に出産してたのかな? 認知しないのって最低!?」

「なにを……、お嬢様はまだ20代ではありませんか。成婚前の性交渉など許されるはずがありません」

「許されてるよ法的に」


 薄暗い地下通路はしんと静まり返っていて、自分の呼吸音ですら耳に衝くほどである。

 イブはランタンに照らされたセオドロスの横顔をちらりと盗み見てみた。

 これはタバサにもいえることだが、彼は容姿そのものに妙な貫禄があるタイプだ。年嵩に見えるのに華やかというか、清潔さがあるというか。

 医者だと名乗られればそう見えるし、アスリートだと言われればなるほどと思えるような、不思議な説得力を持っている。なかなか割の良い顔立ちをしていた。


「聞いて? もちろんオメガのこともタバサとの愛の結晶だと思って娘のように接することはあるよ。けどそれとも違う気がしてて……ああいや、能書きはいいんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それを確かめたい」


 話は数刻前にさかのぼる。


 宵の口、食堂に集まった修道士たちはさして大きくもないテレビに釘付けになっていた。

 娯楽に対して特に規制があるわけではないが、今日は特別人が多い。大勢が集まる場では自然と情報番組に内容が偏るもので、皆が一様に今か今かとローカルニュースを待っていた。


 話題は当然、虹架け祭の盛況について……ではなく。

 粛々とした雰囲気の中、アナウンサーが淡々と原稿を読み上げる。


『虹の町で行われた虹架け祭にて、訪れた観光客が相次いで意識を失い、子供を含めて10人ほどが病院に搬送されました。現場周辺をうろつく怪しい人物を見たという目撃情報もあり、警察は違法薬物による取引の可能性も視野に捜査を進めています』


 誰かが「物騒ですね」と呟く。恐れより怒りが勝る、といった声色だ。いかにもレゴリスの人間らしい正義感の強さである。


「騒ぎに乗じて密売人が紛れ込んだのでしょう。祭り日などはよく狙われるそうですから」


 期待に冷や水をかけられたような、打って変わった沈黙のさなか。溜め息交じりにタバサがカップに口を付けた。

 四人掛けのテーブルに着いて、ぴんと背筋を伸ばしてコーヒーを啜っているだけで絵画のような儚さだ。

 今すぐカップになって唇の感触を堪能したい。


『私もこれ飲みたい、イブ』


(ああ、まただ)


 いつの間に傍に立っていた白服の女が、空になったカップを覗き込みながらそう告げた。

 彼女は”クロエ”。イブにだけ見えるまぼろしだ。


『一緒の飲めるようになりたい』


 あどけなさを感じる無表情、燦々と輝く金の瞳。なんとなく庇護欲を掻き立てられる容貌は、イブの居心地を酷く悪くさせる。


 なにせ実在する人物であるクロエとは、刺しては殴られの揉み合いの末、イブのダウンにより勝敗を決した相手だ。

 決してドラッグで幻覚を見ていたわけではない。が、確かにそう記憶にある。


 もしまぼろしを見るのなら、イブは真っ先にタバサの幻想を見るものと思っていた。だからこそどうしていいのかわからない。


 加えて妄想の中のクロエは、さながら旧知の仲のように振る舞ってみせた。何をするにも後ろを付いて来て、「イブ、イブ」と頻りに名を呼んで、こちらの気を引こうとする。

 臆面なく慕ってくる彼女に、イブもまた、満更でもない気持ちを隠せずにいた。


「……、……聞いてます? イブ」

「えっ? あ、ごめん。まったく」

「でしょうね。聞きましたよ、朝から飲んだくれていらしたんですって? なんでも壁とお話されていたとか。祭日に浮かれるなんて貴方もお可愛らしい一面があったんですね。恥ずかしくないんですか?」

「だぁれリークしたの!? やめてよタバサ、みんなが見てるのに~!」


 そんなことはない。こんなじゃれあいはいつものことで、誰も気にも留めてない。

 唯一こちらを注視しているのはクロエだけだ。


「ですが本当のところ……わたくしも、ちょっぴり夜更かししてしまったんです。ドキドキして眠れないなんて、子供みたいでおかしいと思いません? ねぇイブ」

『壁じゃない。私と話してたんだよって言って、イブ』


 イブ、イブ……。



「このままじゃ頭がおかしくなるッ!!」


 二股をかけているわけでもないのに、そうとしかいいようのない心理状況に追い込まれている。

 わけもわからず昏倒した町人たちの心情を慮って、イブは涙ながらにセオドロスに訴えた。


「はあそうですか」


 しかし返ってきたのはあんまりに気のない返事だった。その腕を見込んで頼みがあると言った時は意気揚々と快諾していたというのに、今や億劫そうに相槌を打つのみである。


 大方、「業務かと思ったら夜遊びに付き合わされた」といった都合の良い解釈でもしているのだろう。と、同時に少し安堵する。

 せん妄の気がある人間というのは彼のような者のことを指すのだ。この際認知の歪みはお互い様である。


 セオドロスに求めるものは、その”強大且つ複雑な現象に対する抵抗力”だ。頼りにしているのは能力で、彼本人ではない。


「反応薄いなぁ……。いーい? ここに、『幻覚を見せる特異体質者』を閉じ込めてる。一歩でも立ち入れば躍起になって追い返されてもおかしくないんだよ。ちゃんとしてよ」

「それは構いませんがお嬢様、どうして奥様に相談なさらなかったのです?」

「だって、してもしなくても一緒だろう。入れる人間は限られてるんだから。もしぼくが死んだら、きみはその事実だけをタバサに説明してくれればいい。被害を最小限にするためだったって言えば、彼女なら全部わかってくれるさ」

「うーん、そういうものでしょうか……」


 資料によれば、対象は『成人前の少女』。隣町の音楽学校に在籍していたが、在学中に校内で特異性を発現させたという。

 L.D(エルディ)(仮名)は『温厚で協調的な性格』で、『敵対する恐れは低い』……とのことだが、この資料自体が5年以上前のものとかなり古い。

 その特異性によって観測者ごとに異なる姿形で現れるため、正確な容姿や身なりはわからないのが実情だ。


 自分の見た目を変えて満足している内はまだいいが、イブや町の人間を見境なく翻弄しているとなれば、事態は急を要する。


(それもこれも、全部クロエのせいだ)


 月碑を壊しただか壊させられただか知らないが、とにかく余計な真似をしてくれた。


「入るよエルディ~」

「もう入ってますけど」


 ノックと共に扉を開ける。見たところ人の姿はないが、就寝の直前だったのか、部屋全体が柔らかな橙色の光色に包まれている。

 特筆すべきは暗所でもわかるほど床に平積みされた書籍の山だろうか。およそ本棚に並び切る量ではなく、至るところで紙の塔ができている。


(『廃墟異聞奇譚』『黄泉への片道』『世界都市伝説』……)


 系統こそ偏っているが、軒並み虹の町との関連をにおわせるタイトル群だ。帯紙を一読すれば内容の推測もできる。

 どこそこの旅館に座敷童子が出るだとか、この地方では軍需品の生産が盛んだったことから戦死者の霊魂が彷徨っているだとか。

 すべて憶測の域を出ない、根も葉もない与太話だ。


「バスルームに居るのかも。ぼくがドアを開けよう」

「バスルーム……!? いけません、ハラスメント問題になります」

「大丈夫だってぇ~、きみ、ラッキースケベって言葉を知らないのかい? 春風のイタズラに故意も過失もないんだよ」

「そうやって性欲に行動の主導権を握らせては、破滅の未来しか待ってませんよ!」

「お堅いなあセオは」


 耳を澄ませばシャワーと思しき水音と、ビュウビュウという風切り音がドア越しに聞こえてきた。

 相手に隙が生まれるタイミングで訪れられたのは幸いだ。丸腰なら否が応でもこちらの話を聞かざるを得ないはずだ。


 偶然を装って鉢合わせられないかと画策していると、やがて水音がやんだのがわかった。


(……風?)


 何食わぬ顔で扉を押し開こうとして、はたと気が付く。

 ここは地下で、窓は一つとしてない。あるとすれば換気扇くらいか、だが突風が吹くなんておかしな話である。


 僅かに開いた扉の先は、不思議なことに行き止まりになっていた。


 上から下まで茜色に染まった壁は、一見してふかふかとした質感を伴っていて、高級な絨毯にも、煮立ったマグマにも見える。あるいは骨質の鱗で覆われた爬虫類のようにも。


 そうしてイブが呆気に取られていると、風にそよいでいた絨毯の毛がメリメリという音を立てて縦一文字に裂け始めた。

 瞬間、眩いまでの光にてられる。


「離れろセオドロス! 邪竜だ!」


 咄嗟にドアノブを引っ掴んで、イブは叩き付けるように扉を閉めた。


 発光する一つ目を持った、毛むくじゃらの怪物。否、あれは怪物なんて代物ではない。神にも等しい存在だ。

 焼き付いた閃光を振り払うべくかぶりを振って、ミシミシと悲鳴を上げるドアノブになんとかしがみつく。隙間から漏れ出る溢れんばかりの光が目に痛い。


 ……どうしてか、光が届いたものすべてが穢れているような感覚を抱く。


 イブ自身を始め、コンソールを占領する空の花瓶も、食器棚や洋服箪笥の引き出し一つ一つにも邪竜の瘴気が宿っているような気がしてならない。

 眼窩がズキズキと激しく痛み出す。こちらの動向を探る、反射の光が恐ろしい。


 このまま閉じ込めておかなければという使命感と、あれはただの幻覚だという理性がない交ぜになって、思考が鈍る。


「セオドロス、電気を消してくれ!」


 返事も気配もない。そして姿も見えない。ただ照明のスイッチへ向かう影だけがぬうっと伸びて、その存在を仄めかしていた。


(透明にされた? どうやって!? どうしてセオは打ち消さないの?)


 逆だ。恐らくセオドロスの視界では正常な世界が見えている。彼は突然錯乱し出したイブを刺激しないために、ただただ指示に従っているまでだ。


 パチッ。間接照明が消えて、室内が一瞬だけ完全な暗闇になる。


「イブ、見て? 捕まえた」


 幻聴―――クロエの声だ。しかも遥か上方から聞こえる。


「わっ」


 途端にぐらぐらと部屋が揺れ始めた。かなり激しい横揺れである。堪らずその場にしゃがみ込むと、地震はやがて鳴りを潜め、夜目にも段々と慣れてくる。


 そこは修道院のエントランスであった。


 クロエの声は開け放たれた窓から聞こえてくるようで、そちらを見れば案の定赤々しい。しかし先ほどとは違い、赤色といっても肉感的な血色の赤だ。つまり肌色。


「小さいね」


 イブが小さいのではない、クロエが大きすぎるのだ。


 巨人の腕は血管や産毛まではっきりと視認でき、イブの身の丈など比較にならないほど長大だ。

 となると、奥に続く白い布地は腹部にあたるのだろうか。呼吸の度に膨れては萎み、絶え間なく皺が波打っている。


 頭上では依然としてクロエが何かを喋っていた。もしかしたら誰かと会話しているのかもしれない。


「ううん。水だけあげて、暫く放って置く。体内の糞を出さないと食感が悪いから」


「は……?」


 ふん? しょっかんがわるい? ―――食べるつもり?


 たちまちイブの立っている場所が虫かごの中に思えてくる。絶対的な捕食者に生き死にを決められているようで、思わず身震いした。


「ぼくスカトロの趣味はないんだけど……。けど、きみみたいに清純そうな子の性癖がえげつないのは、正直嫌いじゃないよ」


 嫌いじゃないどころかむしろ”有り”だ。イブは立ち上がって、改めて周囲を見回した。


 邪竜や、クロエや、突然姿を消す同行者は明確に恐怖の対象であった。しかし少なくともこのまぼろしは、イブの恐怖心に由来するものではない。勿論願望でも。

 では()の恐怖心なのか。


「あぁ、そういえばぼく、美人の顔面騎乗も怖いんだった。そんなことされたらトラウマになっちゃうよ、絶対にやめてねエルディ」

「お元気そうで何よりですが、寝言は寝てから仰ってくださる?」


 嗅ぎ慣れた柔軟剤の香りが鼻腔を衝く。

 イブは日頃からタバサの胴の厚みだとか、触れた肌の質感だとかをそこにあるように妄想で補完できるため、今この場で姿が見えないのは却って不自然極まりなかった。


「やっ……と捕まえましたよ! お二方、ベッド下に身を隠していました!」

「ヒ……こ、殺すんならせめてひと思いに……!」


 ぱっと明かりが点く。焼き尽くされるかと思ってイブはビクリと身が竦ませたが、そこは、本に囲まれたワンルームであった。紙の塔は見るも無残に崩れ、荒らされた形跡が生々しい。


 ふと、照明付近に佇むタバサと目が合った。

 安心したのも束の間、怪訝な面持ちの彼女の視線を追うと、寝台近くで取っ組み合うセオドロスと少年の姿が目に入る。


 そう、水兵服にシースルーのレインコートを羽織った、あどけない顔立ちの少年である。どこからどう見ても麗しの音大生ではない。


「まったく、わたくしを欺こうなどと片腹痛くってよ実に。イブ、貴方はどうも事を先走りたがる。セオドロスはの皇族警備隊員なのですよ? 上への報告を怠るはずがありません」

「いやはや仰る通り」

「それこそ妄想じゃんか……」

「さてエルディ、劇は終いです。ご存知かしら、貴方の影響はイブどころか町中にまで及んでいます。これは看過できない問題です。このままですと、本当に貴方をどうにかしなくてはならなくなるでしょうね」


 「なにか、不安に思うところがあったのでしょう? わたくしに教えて頂戴、どうして”殺される”などと?」とタバサが続けて問うと、うつ伏せに組み伏せられたエルディはぴくりと身動ぎした。ペンだこの目立つ指がぎゅ、と握り締められる。


「オ、オメガちゃんが」

「オメガが?」


 一拍間が空く。改めて息を吸ったエルディは、意を決したように打ち明けた。


「オメガちゃんが……月碑を壊したのはここの誰かだって、そう言うとったから……」



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