14 ポルターガイストの正体見たり 鹿威し
「後ろの、兄弟? 雰囲気が似てる気がする」
信号が赤に変わる。
過ぎ行く通行人は皆一様にめかし込んでおり、どことなく浮足立っているように見える。
「いや、従兄弟」
「へーぇ。で、いとこの最期にわざわざ田舎の因習を見せに? 意味わかんないんですけど。このあと心中でもすんの?」
「……」
「あ、当たり? ハハ、ヤベ~」
助手席に座ったキリヤは、「なんか生理的に無理」という理由からシートベルトをしていない。前傾姿勢になってきゃらきゃら笑う彼女の横顔を、ワトは冷めた目で見下ろした。
―――人を殺す瞬間を見られた。
正しくは『殺そうとした瞬間』であり、殺意はなかった。だが当事者としてそんな言い分が通るとも思っていない。
荷台には頑丈な麻縄と電動鋸、手の内に隠せる小型のナイフ。
それとシートで覆った二人分の人間。
一人は長旅疲れで眠っているだけの、まだ息をしている従弟だ。隣で見る見る血の気が引いてゆくクロエと違い、一つの外傷もない。
「まあまだ死ぬには早ぇーよ、なんせあの女はレゴリスの回し者だ。天涯孤独だから消えたところで誰も捜さないし、困らない。良いカモだろ? なあ、黙っててやる代わりに報酬の半分寄越せよ」
「あんた、慣れてるのか? こういうこと」
「慣れもクソもあるか。人間、金がなくなったら死ぬんだから。真面目に生きてる暇なんて一秒だって惜しいだろ」
プァーーッ! 後続車からクラクションを鳴らされて、ワトはようやく信号が青に変わっていたことに気が付いた。
慌ててアクセルを踏むが、真後ろの車はぴったりと引き付いて距離が開かない。
「オイ、後ろの黙らせろ」
「別に構うことない。放って置けばいい」
「あのさぁ、気に食わないヤツは気に食わない内にどうにかしねぇと損だろ、イライラさせられた分。いいか、お前みたいなのはどうせ土壇場で怖気づくだろうから教えてやる。あの女を自分と同じ人間だと思うな。死んで当然の化け物だと思え」
思考を読んだような科白に、ワトは危うく言い訳が口を衝いて出そうになった。
職業柄、定住する地を持たない彼は、こういった祭り日に相まみえる経験も少なくない。
だから幸福そうな家族を見ているとつくづく思うのだ。
”順当に愛されて育った人間と自分とでは、決定的に構造が違うのだ”、と。
ワトがまだ学生だった頃、流行り病の影響で失職した両親が蒸発した。
以降は独り身であった伯母の家に引き取られ、卒業後は加齢に伴って体を悪くする伯母の介護を進んで請け負った。
家は貧しく、年々悪化の一途を辿る病人の世話が苦でなかったといえば嘘になる。ただそうするしかなかった。だから二人で、ずっとそうやって暮らしてきた。
伯母が亡くなる前のことだ。彼女はある時、「遺産や家は、すべてあなたに」と譫言のように告げた。
ワトは心のどこかでそれを当然のこととして捉えていたし、そうあるべきだとさえ思った。
しかし。
「ワトさんですよね? こんにちは。シキです」
伯母の葬儀に突如として現れたのは、彼女の実子を名乗る人物であった。
名をシキ・アラヤ。続柄としてはワトの従弟にあたる。
彼は流行り病の後遺症で、両目の視力がほとんどなかった。
「ずっとお会いしたかったんです。母さんと会うと、必ずワトさんの話をするから。すごく素敵な人と暮らせてるんだなあって。結局、こんな機会にはなってしまったけど」
シキにはハンデを感じさせない気丈さがあった。太陽のような朗らかな性格で、なにもなくとも常に笑顔でいるような男だった。
親戚の話を整理すると、伯母はシキを産んで間もなく雇用していたベビーシッターと不貞を働き、離婚を突き付けられていたらしい。月に数回家を空けていたのは、実の息子と面会するためだったのだ。
何も知らなかった。
一人だけ、誰からも知らされなかった。
「母さんを孤独な人にしないでやってくれて、ありがとうございます」
こればっかりは正式な手続きを怠った結果ではあるが、ワト・ヴァーミリオンは遺産相続に値する人物たり得ていないと判明した。
なにせ遺言書や口約束の証拠があるわけでも、ましてや養子ですらないのだから。当然といえば当然だ。
その上集まった親戚中に、”どうか、障害を持つシキのために”と。
”人の役に立ちたいと切望する若者を応援できないのか”とも糾弾されてしまえば、それ以上成す術はなかった。
育ててくれた恩義はある。今や不審もあるが。
ただあの時の重圧、居心地の悪さといったら、未だに脳裏にこびりついている。
「いや……、礼を言われる謂れはない。自分は、伯母の孤独を癒すために生まれてきたわけではないので」
他人を傷付けることなんて、その気になれば呼吸をするより簡単だ。
だが悪意を察知した寂しそうな表情なんかを見てしまうと、「ああこいつも人間だったのか」ということに気が付いてしまう。それだけが厄介だった。
「死んで当然? 馬鹿言えよ、それこそ道理が通らない。無関係の人間を巻き込んだんだんだぞ」
何も知らされないまま破滅のレールに乗せられたクロエを不憫に思って、つい責めるような口調になる。幸いキリヤに気にしたような素振りはなかった。
「関係ないから効くんだろ。あいつのおめでたい脳味噌ビビらせて、トラウマにさせてやりたいんだよこっちは」
「だからそれは私怨だろ。そういうのは管轄外だ、あらかじめそっちでやっておいてくれ」
途端にキリヤはむっとした顔をして、唇を尖らせたまま黙り込んでしまった。口さがない態度を貫く一方、絶対に自分の手を汚したくはないらしい。
このままクロエが失血死でもしたら、ワトは初めて人を殺したことになる。そもそも意図してそうしたはずだった。
取り返しのつかない事態になれば、いい加減腹も据わるだろうと。世間に自分の有害性を知らしめてやれるのだと。
今にして思えば自殺だったのかもしれない。
だがキリヤの口振りではまるで、助かることがわかりきっているかのようであった。
「まあ、なんだ。人は見掛けによらないもんだな。あの白いの、随分大人しそうに見えるが」
「クロエのこと? そりゃもうレゴリスなんて存在が最悪だし。だって、どうしてこのわたしが保護なんて受けてやらないといけない? 世の中には今日を生きるのも困難な人がいるのに、もっとやるべきことがあるんじゃないの? まあどうでもいいけど。これまでの人生のツケを帳消しにしてくれるのかねぇレゴリスは。リスクゼロの一発逆転を用意してくれるのかよ」
「……宝くじでも勝手に買えば?」
「勝手にしてたんだよ。あいつらに邪魔されるまでは」
彼女は「フン!」と鼻を鳴らしてダッシュボードに組んだ足を乗せた。窓枠に頬杖を付いた横顔は、有無を言わせぬプレッシャーを放っている。
「だから一言文句言ってやらないと気が済まねえ。それだけだ」
「なんでもいいけど靴は脱げよ、汚れる」
「ハア~~~脱いだらいざって時に逃げられねえだろうが。お前それでもヤクザか? だからいい年して下っ端なんだよ」
「誰がヤクザだよ」
ああ言えばこう言う。ワトは、唯一無二の従弟が彼女のような性質の人間だったならどんなに良かったろうと、当然のように夢想した。
「うわ、見たァ? 今のへっぼいミニバン。免許返納しろバカが。ウチの嫌いなタイプ教えてやるよ、左折のとき右に膨らむドアホ。逆も然り」
「……」
「あと追い越し車線とろとろ走ってるサンデードライバー」
「わかる~」
こんなに捻くれた性格の人間は初めてだ。もっと早くに知り合っていれば、きっと下には下がいるとさぞ安心できたことだろう。
安心できたら、今ごろ正攻法の人生を歩めていたのだろうか。
そんなこと、今更考えたって仕方がないのに。