後編
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それから、メイド達は解雇され、新しいメイドがやって来た。新しいメイド達は私のことも丁重に扱ってくれる。
そんな私は、今図書の先生の教務室に来ていた。予想通り、ルドが一人でいる。彼は、私の姿に気がつくと唇を綻ばせた。
「久しぶり。今日は何しに来たの?」
「ふふ。――お別れを言いに来たの」
彼が目を見開いた、気がした。未だ分厚いレンズの眼鏡に覆われているが、彼の感情は分かりやすい。
「何で?」
短い、何処か素っ気なさを感じる問いは、彼の動揺を物語っている気がした。
「私、復讐するから。だから、もうここには来れないの」
「来れば良いじゃないか、復讐したって」
縋るような言葉に、微かに目を見開いた後、笑ってしまう。口をへの字にするルドに、もう一度笑いがこみ上げた。
「私、汚い方法で復讐をするの。そんな私は、図書の先生が用意してくださったこの綺麗な空間には見合わないわ」
善意で造られたこの空間に、私はいたらいけない。
「じゃぁ、シェリーはこれから一人で生きるの?」
「違うわ。違う、そうじゃないの。私には、味方ができたの。その人がいるから、私は勇気を出そうと思えた。逃げるんじゃなくて、前に踏み出してみたくなったの」
ふーん、と彼は頷いて、もう用はないと言わんばかりに読書を再開した。
一つお辞儀をして、扉をくぐる私に小さい声が届く。
「前に踏み出せたら、僕も変われるのかな」
誰に聞かせるものでもなかった様な、声音。それに、言葉を返さずにはいられなかった。
「……大事なのは、誰が隣にいてくれるかだと思うわ。踏み出せなくても、『そのままの貴方でいいよ』って言ってくれて、踏み出せたら『一緒に歩こう』って言ってくれる人。そんな人がいるだけで、涙が出るくらい嬉しいの」
私に顔を向けたルドに、なるべく力強く見える様に、口角を上げた。
「私に、何も聞かず隣にいてくれてありがとう。今の私の勇気に、貴方と過ごしたこの素敵な日々も入っているわ。じゃあね、さようなら」
もう私は振り返らずに、扉をくぐり抜けた。これで夢はおしまい。私は、現実をこれから見据えなければならない。
翌日、私は中庭のベンチで寝たフリをしていた。その理由は一つ。ララ•ルーメン子爵令嬢をおびき出すためだ。彼女はミリアント公爵令嬢の取り巻きで、主に私に虐めを実行するのは彼女だ。
彼女は、流されやすく、それでいて扱いやすい。ララ•ルーメンは、ミリアント公爵令嬢に命じられてやっている、とはまた違う感情を抱いている気がした。それは、公爵令嬢であり成績優秀な私を妬む『嫉妬』だ。ララ•ルーメンは、私に水をかけたりする時、いつも自分が被害者である様な目をする。であれば、まだ自分の悪意には気がついていない筈だ。
それであるなら、友達のように接すれば彼女は簡単に私に鞍替えするだろう。
ほら、彼女のお気に入りの場所であるこのベンチに近づく音がする。その音が止まったかと思えば、声がかかった。
「あの、アシェル様。ここで眠ると危ないですよ?」
無垢な声には、悪意なんて微塵も感じない。私は今さっき起きたかのように目を擦り、眩しい光に目を細めるようにした。
「ララ、様?」
「あ、はい」
「まぁ、私ったらついまどろんでしまったみたいだわ。恥ずかしい」
頬に手を当て、恥ずかしそうに目を伏せる。母様譲りの蜂蜜のような金髪に、光の加減によっては青にも紫色にも見える瞳は、世間一般からは美しいと称される物だと分かっている。だからこそ私は、惜しみなく使うことにした。
ララ•ルーメンの手を取る。そして上目遣いになるように見上げ、首をコテンと傾げた。
「私、ずっとララ様とお話しして見たかったの。良かったら一緒に話さない?」
「ぜ、是非……」
顔を真っ赤にし、コクコクと頷く彼女が可笑しくて笑ってしまいそうになったが、それを寸前で我慢して隣に座らせる。
それから、ララ•ルーメンの持ってきたチョコチップクッキーを交えながら話をした。と言っても実際には私はほぼ聞き専だったが、今回は彼女の情報を得ることが目的だったから、愛想笑いを浮かべながら耳を傾ける。
最近どこそこの歌劇を見に行っただとか、有名なデザイナーが作ったドレスを買っただとか、何とも彼女らしい『自慢話』だった。
得意気に話していた彼女だったが、ふと話を止め、私に話しかけてくる。
「あの、私はアシェル様に酷いことをしました。それなのに、許してくださるんですか?」
許すだなんて! なんて可笑しいことを彼女は言うのだろう?
だがここが正念場。私は念入りに言葉を選んで、微笑んでみせた。
「何を言っているの? 貴方はただ命令されただけ。私と同じ『被害者』ですわ」
「同じ、被害者」
「そう、貴方は私と同じ被害者」
刷り込むように何度も「貴方は可哀想」「私達は同じ」と繰り返す。そして、彼女の目がうつろになってきた所で、彼女の耳元で囁いた。
「そう言えば私、ルーン•ミリアント様達に虐められてて、すごく怖いの。でも頼れる人もいなくて……どうしたら良いのかしら? ララ」
ララ•ルーメンはもう、私の駒となった。
「私に任せて、アシェル」
ルーン•ミリアント。お前が人を使って私を虐めたのなら、私も同じ手を使って復讐をしよう。これが醜い事なんて知っているけど、それでも私はお前を許さない。
その次の日から、ルーン•ミリアント及びその取り巻きに対する虐めが始まった。
流石のララ•ルーメンもルーン•ミリアントの眼の前でやるような愚行は犯さなかったようで、机に入れていた教科書がロッカーに置かれていたり、悪口を書いた紙が机にねじ込まれていたりと些細な虐めしかしていない様だが、ルーン•ミリアントは今まで誰かに直接的に悪意を向けられた事などないのだろう。すっかり取り巻きと一緒に萎縮してしまったみたいで、私を虐める暇もないように毎日を怯えて生きている。だから、ララ•ルーメンが取り巻きの中から抜けたことにも気づいていないらしい。私とララ•ルーメンが話していても何も突っかかってこない様子から、なんとも薄情な物だと思った。まぁ、子爵令嬢でしかないララ•ルーメンはルーン•ミリアントにとっても『駒』でしかなかったという事だろう。
そんな私は、得意げな顔をするララ•ルーメンに「ララが何かしてくれたの? 虐めが無くなったの。ありがとう」とあくまでララ•ルーメンがルーン•ミリアントに行っている悪事には気づいていないふりをしている。
こうすれば彼女は、私にもっと褒められたいとルーン•ミリアントを虐めるのを加速させる気がしたからだ。
そんな日々が、一ヶ月続いた。私の思惑通り、ララ•ルーメンによる虐めは段々大胆になってきている。今がチャンスだと、私は確信した。
その日私は最後の段階に移るためにララ•ルーメンと共に薬学の授業を専攻していた。今回の授業は『森に生えている薬草を調べてみよう』。だから私はその時間を利用して、ある草をララ•ルーメンに教えた。
「このレイド草はね、患部を冷やすためにも用いられる薬草なの。ほら、こうやって葉を腕に当てると冷たいわ」
「そうなんだ! アシェルは物知りね!」
そう屈託のない笑顔を浮かべる彼女の耳元に私は唇を寄せ、囁く。
「……でもね、これをすり潰したのを皮膚に付けると火傷してしまうんですって。過去にそれを塗った人の顔が爛れて、もう表舞台には立てなくなってしまったとかなんとか。まぁただの噂だけど」
「――へ、ぇ。不思議ね。すり潰すか否かで全く正反対の特徴が現れるなんて」
「そうね、とっても不思議。だから、この効果を知っている人は少ないんですって」
私を見つめる濁った緑の瞳に軽やかに微笑む。
「だから、間違えてすり潰したのを塗ってしまっても、誰にも責めることなんて出来ないわね。だって、知らなかったんだから」
「アシェル……」
私はレイド草を根っこから丁寧に採ると、土を落としてから彼女の手に乗せた。
「持っておくと良いと思うわ。使う時が来るかもしれないから」
ララ•ルーメンはジッとレイド草を見つめた後、女神に心酔する信者のように笑った。
「ありがとう、アシェル」
◇◇◇
これで、後はララ•ルーメンが実行すれば復讐は完了する。ルーン•ミリアントに火傷を負わせれば、美意識の高い彼女はもう二度と姿を見せなくなるだろう。自殺に追い込むことも可能かもしれない。彼女の取り巻きたちは父様も居る今潰すことなど容易いだろうし、ララ•ルーメンに至っては私に危害を加えた証拠、ルーン•ミリアント達に危害を加えた証拠を押さえているから、これを告発したらルーメン子爵家当主の野心家な性格からして彼女を勘当するだろう。
そしてそのまま、私の知らない所で野垂れ死んでしまえばいい。
あぁなんたる甘美だろう。
こんな事を思う私はきっともう何処かが壊れてしまったのだろう。虐められる度に、騒がしい教室で一人で過ごす度に、明日が来るのが怖いと声を殺して泣いた夜が更けていく度に、私は壊れてしまったのだ。
それならば、私を壊した責任を、命を以て償ってほしい。それしか私は望まないから。
中庭のベンチでそんな事を考える。今日はララ•ルーメンが来ない。もしかしたら今、行っているのかもしれない。そう思うと口が緩みきってしまう。本を読んでいるフリをしながらニヤついていると、影がかかる。顔を上げると、そこには白に近い金髪に、深い色をしたルビーの様な瞳を持つ美青年がいた。端正な顔は私と目が合うと嬉しそうに口元を綻ばせた。
一瞬見惚れてしまった後に、私はハッとなって立ち上がりカーテシーをする。
だって、この色彩を持つのは王族だけだから。
「我らが太陽に挨拶申し上げます。レンティーヤ公爵家が長女、アシェルと申します、第二王子ルドワード様」
「……あぁ、そういう堅苦しいのはいいよ」
何故か少し残念そうに彼は言うと、私に手を差し伸ばす。
「君と、ララ•ルーメン子爵令嬢、ルーン•ミリアント公爵令嬢及びその友人の事で、話があるんだ」
呼吸が、止まる。短く息を吐き、私は悟られまいとたおやかな笑みを浮かべてみせる。
そして、震えを隠しながら彼の手に自分の手を重ねた。
着いた先は理事長室。そこにはもう私以外の人は揃っていた。それに満足そうにルドワード様は頷くと、理事長の椅子に座る。いくら王族と言えど座って良いのかと訝しんだが、黙っておく。それはこのヒリついた空間のせいかもしれない。ルドワード様以外のみんなが、何処か緊張した顔つきをしている。
「さて、今日集まってもらったのは他でもない――君達の罪を裁くためだ」
肩が震えたのは、私だけではないはずだ。息が詰まる心地に暴れ出したくなりながら、それを必死に抑える。まさか、私の復讐もバレてしまったのか?
緊張で呼吸が荒くなる私達に、ルドワード様は告げた。
「ララ•ルーメン、ルーン•ミリアント、レイン•カラン、ナリア•クランディ、この4人を退学処分とする」
「――なっ」
思わず、といった感じで声を上げたのはルーン•ミリアント。
そして、取り巻きたちと一緒に口々に文句を言い始めた。
「ルドワード様、何を勘違いしているか分かりませんが、生徒を退学させる権限を持つのは理事長だけですわ。ですので、私は、」
「勘違いしているのは貴方の方だよ。貴方の父上から聞いてないの? 僕がこの学園を買収したって事」
目を見開き絶句する彼女達に笑いたくなったが、いつ自分が同じ様な立場になるのかわからないからこそ堪える。
そんな私の心中など皆興味はないと言わんばかりに、ルーン•ミリアントやその取り巻きたちは焦った様に帰っていった。親に話を聞きに行くらしい。
ララ•ルーメンだけがブツブツとなにかを呟きながら立ち尽くしている。私自身状況を呑み込めていないからどうしたことかと思っていると、グリン、と音を立てながらララ•ルーメンの首がこっちを向いた。
「ひっ……」と声が漏れる。だが、そんな私は見えてないのかララ•ルーメンは叫んだ。
「わ、私は悪くないわ。ねぇアシェル? だって私達『被害者』だもの!」
「……残念だけど、最近学園に盗撮用水晶を付けさせてもらったんだ。君の悪事もバッチリ映ってるよ」
呆れたように言うルドワード様の言葉に、ララ•ルーメンは顔を歪ませた後吠える。
「――っ! そ、それならなんでアシェルはお咎め無しなの!? だって、アシェルのせいで、アシェルのせいで私は――!」
「彼女は虐められていたという証言が取れている。それに盗撮用水晶にも不審な動きなどをする彼女の様子は映っていなかった。彼女を呼んだのは話をする為だ」
そう言って彼が手を叩くと、彼女は兵士によって連れて行かれる。
「なんで助けてくれないのよ、アシェル! この卑怯者!」
吼える彼女は、自分のことを何処までも『被害者』だとしか思っていないのだろう。腹の底まで冷えていく様な心地がした。
「だって、別にこれは可笑しい事でもなんでもないもの」
特上の笑みを私は形作った。
「貴女を友だちだと思ったことなんて、一度もないわ」
私は、貴女が初めてバケツの水をかけてきた時の愉悦に歪んだ表情を、忘れたことはない。
そして、大人しくなったララ•ルーメンが連れて行かれる。
彼女がいた方向を見据えていると、直ぐ側にルドワード様がいることに気がついた。
「さて、これでようやくふたりきりで話ができるね」
「私は別に話すことなどありませんが」
ルドワード様は笑って言った。
「薄情だなぁ、シェリーは」
その名前は、彼との間だけの私の愛称。まさか、と「ルド、なの?」と問いかけると、当たりだと言いたげに彼は口角を上げた。
「どうして」
「僕が、君の味方でいたいと思ったから。ようやく勇気が出たんだ」
その言葉に、唇を噛みしめる。だって私は汚い事をした。そんな私の味方でいたいだなんて話がある筈がない。
震える私の手を、彼が取った。
「君が、悪い子で良かった。虐めを先導していると悟らせない賢い子で良かった。そのお陰で、僕は君を裁かずに済んだ。本当にありがとう」
「なに、それ……」
「ただの忖度だよ」
一瞬で、絡んだリボンが解ける。ぐちゃぐちゃした気持ちが真っ直ぐになって、涙になった。
「ルド、どうしてそんな風に私を想ってくれるの……?」
泣きじゃくる私の目元にハンカチをあてながら、途方も無いほど優しい声で彼は囁いた。
「僕はただ、シェリーの味方でいたいだけだよ。その為に、今まで隠れて生きていたのに前に出てみようと思った。
僕はね、アシェル」
私と目を合わせ、瞳同士がとろけて混じり合ってしまいそうなほど見つめた後、ルドは言った。
「――君を、愛しているんだよ」
◇◇◇
それから、ララ•ルーメンは勘当されたらしい。噂だと平民として貧しい生活をしていると聞く。きっと彼女は今でも『被害者』のままなのであろう。
ルーン•ミリアントは、50も年上の公爵の後妻として嫁がされたらしい。その公爵は若い女を好む変態だと聞いているから苦労する事だろう。また、彼女の取り巻きも皆似たような結末を送っているらしい。
「そう言えば、どうしてシェリーはお義父さんを恨んでないの?」
「今聞くことですか? それ」
「まぁそうなんだけどね」
あの日から、2年の月日がたった。今日は私達の結婚式だ。王族の結婚式はバルコニーで国民に挨拶をしてから教会で宣誓をする。
今はバルコニーに登場する時間までの待機時間だ。
私は、ルドの質問に暫し悩んでから、私のウエディングドレス姿を見て泣いていた父様を思い出す。
「私は、父様に期待しないようにはしても、失望したことや怒りで震えたことは無かったんです。そしてその理由が、最近ようやく分かりました。
メイドが教えてくれたんです。父様はトラウマが起こった時、大声で叫ぶ他にノックをした人物を攻撃するのだと。だけど私は、父様に暴力を振るわれたことは無かった。私を忘れていても、私という存在を認識出来なくても、父様の中には確かに娘に対する『愛』があったんです。だから、父様はいいんです。許してあげるんです」
胸がきゅう、と音を立てながら、私は恥ずかしくなって顔を逸らす。ルドは小さく笑う音を響かせると、「妬けるね」と言った。そんなルドを少しからかいたくなる。
「まぁ、私の旦那様は寂しん坊ですのね」
私の言葉に堰を切ったように二人で笑い声を上げる。そして暫く笑ってから、私はルドの手を握りしめた。
「私ね、ルド。今までずっと『恋はくだらない』って思ってたわ。だって、恋なんてしたから父様と母様は駆け落ちをしたのだと信じていたから。今でも、その考えは変わらない。……だけど、きっとその後二人が育んでいたのは『愛』だったのよね?」
私を見つめる綺麗な赤い瞳を見つめ返す。
「愛って、とっても素敵なものね」
「あぁ、とても」
私は左手を、ちょこんと彼の手に乗せた。
「後もうちょっとだけ唇はお預けだけど、きっと手になら許してくれるわよね、神様も」
「きっと許してくれるさ」
子供のように、笑い合ってから彼は私の手に唇を寄せた。
「愛しているよ、アシェル」
「私も、愛しているわ。ルドワード」
唇は、私の手に柔らかく落とされた。私は泣きたくなるくらい嬉しくて、愛情を返すように彼の額に口づけた。
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