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前編

お読みいただきありがとうございます。

 私の母様は、踊り子らしい。らしい、だなんて曖昧な言い方になるのはもうこの世にいないから。私の父様であるレンティーヤ公爵は19歳の頃踊り子であった母様と恋に落ち、母様の胎に私が宿った事をきっかけに駆け落ちする。

 それから一年、二人は慎ましやかに暮らし私を出産したが、当時の公爵家当主、つまりはお祖父様に見つかり連れ戻されてしまった。父様は抵抗したらしいけど、健闘虚しく連れ戻されて、母様は心労か、はたまた産後の肥立ちが悪かったのか死んでしまったらしい。


 それから15年。そんな二人の娘である私、アシェル•レンティーヤの口癖は「恋とか心底くだらない」だった。


◇◇◇


「あらぁ、何だかこの辺、空気が汚い気がしません? なんというか、下賤な香りがするっていうかぁ」

「クスクス、平民の血が流れた子がいるからかしらね?」

 そう声が聞こえたかと思うと、バシャリ、と私の頭に香水がかかった。その多量さに辺りはきつい匂いで包まれる。

 教室にいる生徒達が顔を顰めだして、私は一つ溜め息をつきトイレに向かった。


 そう、私は学園でさっきの令嬢達――ミリアント公爵令嬢を筆頭に虐めを受けている。ミリアント公爵令嬢がこの学園の理事長の娘であり同じ公爵家同士であろうと私のほうが家格は上だし、そもそも虐めなどして自分達がどう思われるか、そういった事を考えるのを疎かにするほど、彼女達は『踊り子の娘であるアシェル』を虐める享楽に酔っているらしい。

 最初は聞こえるか否かの距離で嫌味を言われる程度だったが、最近ではおおっぴらに悪口を言われたり、こうしてバケツの水や香水をかけられたり、教科書を使えなくされる。

 きっと私が今こうして席を外している間に、嬉々として教科書に危害を加えている事だろう。


 父様に相談したいと何度も思ったことはあるが、父様のいる執務室に入ると、母様の容姿を受け継いでいるせいか私を見ると気が狂ったかのように叫びだす。だから執事にも「お嬢様の為にも、旦那様に会いに行くのは控えたほうがよろしいかと……」と言われている。

 そんな訳で、手を打つ事の出来ない私はこの現状に甘んじる事しか出来ない。


 香水にまみれた私はトイレで上着を脱ぎ、髪を乱雑に洗った。金髪が重たくなる。軽く絞って外に出ると、私は図書室に、いや正確には図書室に隣接されている教務室に向かった。この部屋は図書の先生の部屋であり、私の現状を知り、だが平民上がりの自分では注意をすること位しか出来ないと心を痛めた図書の先生によって、この部屋に滞在する許可が降りている。今ではそんな図書の先生の好意に甘え、入り浸ってしまっている。

 扉を開けると、そこには先客がいた。顔見知りだから今更何か思うことはない。彼もまた、図書の先生に滞在する事を許された一人なのだから。

「シェリー、また嫌がらせされたの?」

「えぇ、ルドこそまたいるの?」

 ここでは、私は偽名を使っている。変に詮索されるのを防ぐためだ。だがそれはルドも同じなのだろう。ルドという名前は本名ではなさそうだからだ。

 ただ同じ部屋に入り浸っているだけの隣人。そんな付かず離れずの関係を、心地よいとは思っている。

「タオル使う?」

「あら、ありがとう」

 清潔なタオルを渡してくる彼の顔の大半は、分厚いレンズのついた眼鏡によって遮られている。だが手入れの行き届いた飴のような茶髪から、彼がとても品が良いことは分かる。

 そこまでは推理できるが、詮索しないが世のため人のため平穏のため。私は礼を言うと頭を拭き始めた。


 粗方拭き終わると、丁寧に畳んで席を立つ。「もう行っちゃうんだ?」と少しからかうような視線を寄越す彼に「授業があるから」と返すと、私はドアノブを捻った。

 『虐められ、恥をかくだけなのに帰るんだ』そう彼は言いたいのだろう。私が度々酷い状態でここに来るから、彼は何かしら勘づいているのだろう。

 私を踊り子だと見下す生徒たち。私の父様の様子や、ミリアント公爵令嬢が理事長の娘という所を見て、何も手は打たなくていいだろうと消極的な教師たち。確かにここは最悪だ。だけど、成績だけは嘘をつかない。この学園を首席で卒業する。そして私はいつか女公爵になってやるのだ。そうしたら、いつかきっと私という存在に意味は生まれるはずだから。

 私は去り際、彼に笑いかけた。

「逃げているだけではきっと駄目なのよ。逃げている間にも策を講じる事が、明るい陽の下を歩く未来に繋がるの」

「……まるで、誰かへの皮肉みたいだ。誰とは言わないけど」

「うふふ、何が原因とは言わないけど、恋ってとってもくだらないと思わない?」

「さあね」

 恋という物に落ち、そこから何をするでもなくただ逃げるだけだった。だから母様は殺されたのだから。私は強く、あらねばならない。


◇◇◇


 ケホ、と教師の声以外何も音がしない教室に私の声が小さく木霊した。最近では冬なのに噴水に突き落とされたり学食でジュースをかけられたりと、かけられる系が多かったから風邪を引いてしまったのかもしれない。溜息だけが、暖かい空気に満ちた教室に溶ける。

 外には、雪が降っていた。


 私は、案外風邪を舐めていたらしい。家に帰る馬車の中、私は荒い息を吐いていた。馬車の揺れに頭が痛くて顰めていると、ようやく馬車が止まった。どうやら屋敷についたようだ。

「ほら、さっさと降りてください」

 光が差したかと思うと、扉を開けたメイドに雑に声をかけられる。レンティーヤ公爵家の使用人は皆こうだ。踊り子の母を持つレンティーヤ公爵家の()()である私を、父様からの庇護もない今敬おうとする人はいない。かろうじて悪感情を向けてこない人もいるが、私を表立って守ってくれる事はない。

 その声に促されのそのそと馬車から出た私は、それでも一応と「風邪を引いたみたいだから医者を呼んでくれる?」と伝えたが、メイドは私を見て鼻を鳴らした。

「元気じゃないですか。寝てれば良くなりますよ」

 その後呟いた小さな声は、頭痛が響く頭にも、鮮明に聞こえた。

「平民の血が流れてるし、体は丈夫そうじゃないですかぁ」

 ズキズキと、頭が痛む。 



 部屋に来ると、簡易的に上着を脱いで髪を解いて横になった。スカートにシワが寄る気がしたがもう着替える気にはなれない。

 段々頭が朦朧としてきて、私は気絶するように眠った。


 それから何時間経ったのだろうか。ふと目を覚ますと幾分か脳は明瞭になっていて、外はもう夕日が沈みかけていた。

「ケホ、水……」

 喉が渇いて水差しを探すが、予想はしていたが水はなかった。ふらつく体で水を取りに行こうか思案していると、扉が開く。少し身構え扉に視線を送ると、そこには何かを持った父様がいた。

 驚き目を見開く私に、父様は話しかけてくる。

「シェイラ、大丈夫か? ほら、君の好きなレモネードだ」

 シェイラとは母の名だ。どうして私と母様を間違えているのか分からないが、それよりも冷たい物が飲みたくて私は無言で手を伸ばした。

 それに満足そうに笑う父様に心臓が鈍い音を立てる。それに目を背けてレモネードに口をつけた。暫しコクコクと喉を伝うレモネードの音だけが響く。蜂蜜入りであろうレモネードは、私の喉を十分に潤してくれた。

 飲み終わった私に、父様が尋ねてくる。

「何だか、シェイラは雰囲気が変わった? 綺麗な感じから可愛らしくなった」

 ――だって、私は母様ではないですから。その言葉はへばりついたかのように言葉にならない。父様は本当にアシェルという心当たりはないのだろうか。

 唇を噛みしめる私に、父様はポツリと呟いた。

「そう言えば、何か忘れている気がする。大切な、君と僕で守ると誓ったあの子。ねぇ、君には心当たりはある?」

 あの子。それは、まさか――。

 私は何か言おうとして、でもなんて言えば良いのか分からなくて口をつぐんで。それを数度繰り返した後、父様の温かい眼差しに胸が射抜かれたかのように熱くなった。

 涙が、ポロリと一つ頬を伝って、それを皮切りにいくつもいくつも滴り落ちる。


「…………私が貴方の娘だと言ったら、信じてくれますか?」

 ようやく出た言葉は、嗚咽だらけの酷いものだった。結局、私は父様になんの期待も寄せていないようなフリをしながら、期待をしていたらしい。また振りほどかれるだけかもしれないのに、私は縋り付いてしまった。 

 父様の顔は、怖くて見られない。下を向きながら父様の言葉を待っていると、突然強い力で抱きしめられた。

「アシェル、アシェルなのか?」

「……っ、はい、私が二人の娘です」

 父様の体温に涙がぶり返す。だけどそんな事すらどうでもよくて。私は父様の背中に手を回し抱きしめ返した。


 あぁ、あんな『恋はくだらない』なんて冷めたことを言っておいてこの有り様。結局私は何にも期待していないのではなく、()()()()()()()()()()()だけだったのかもしれない。

 だって、こんなにもあったかい。


 暫く泣いたあと、幾分か激情が落ち着いてきた私は、ようやく父様に尋ねる決心がついた。

「父様、何故私を見ると、その、気が可笑しくなってしまうのですか?」

「気が、可笑しく?」

 私から体を離し、不思議そうに首を傾ける父様に、会いに行くといつも父様は叫びだし、執事に「母君とお嬢様の顔が似ているせいかもしれません」と言われた事を伝える。

 サッと、父様の顔色が変わった。

「……アシェル。君はいつもどうやって執務室に入った?」

「え? いえ、普通に、扉をノックして、入りました」

 父様は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「僕はね、アシェル。一つトラウマがあるんだ。それは、シェイラと駆け落ちしていた時のことだった」


 何処から話すべきか、そんな風に父様は長い溜息をつく。

「家で、僕はまだ産まれたばかりのアシェルの寝かし付けをしていたんだ。そしてシェイラは、庭で洗濯をしていた。……している筈だったんだ。

 ようやくアシェルが寝た所で、大きな音がした。それでアシェルがまた泣き出して。そんな時、扉をノックする音が聞こえた。誰だろうと思っていると、父上とその護衛が入ってきたんだ」

 次に父様が発した言葉は、上手く咀嚼出来なかった。

「銃で撃たれ、血まみれで死んでいるシェイラを引きずりながら」

「あ、ぁ……」

「そして、動けない僕を馬車に乗せ屋敷に連れ帰った。君だけは守らねばと思って、僕は無我夢中で君を胸に抱く事しか出来なかったよ。はは、情けないよね」

 言葉が、出てこなかった。母様の事は、産後の肥立ちが悪く、やら殺された、やら色んな憶測が飛び交っていた。だけどこうして真実を突きつけられ、その残酷さに目眩がした。

 言葉を無くす私に、父様は真剣な顔をする。

「それから僕は、扉をノックされる、ということがトラウマになった。だから執事に頼んでノックの代わりに声をかけてもらう事にしていたんだ。そしてそれを皆に伝える様に言っておいた。それなのに、どうして君が知らないんだ? そもそもどうして僕はアシェルを忘れていたんだ!」

 父様は、「楽なワンピースに着替えた後、大広間に来なさい」と言って外に出ていった。


◇◇◇


 熱もまだあるけどだいぶ楽になった私は、簡易的なワンピースに着替え、大広間に向かった。そこには、父様の前でひたすら頭を下げた使用人たちと、そんな使用人たちを囲むように国に仕えている騎士が立っている。ここは王都にもほど近い。父様が呼んだのだろう。

 私が来たことに気づいた父様は、騎士に椅子を持ってこさせ、私を丁重に扱ってくれた。

 椅子に座った私の隣で、父様は話し始める。

「お前達を、全員解雇する」

 ザワリ、と使用人達がざわめいた。

「それは横暴です!」「今まで誠心誠意務めてまいりましたのに!」と騷ぐ使用人を見つめる父様の目は、氷のように冷たかった。

「おい、メイド長」

「は、はい」

「誰が言った?」

「はい?」

「誰が、アシェルを蔑ろに扱えと指示したのだ」

 私ですら、息を呑むほど低い声音だった。それがストレートに向けられたメイド長はたまったものじゃないだろう。すくみあがってただ頭を下げている。

 何も言葉を発しなくなったメイド長に呆れたのか、今度は執事に質問した。私にもう父様の部屋には来ないほうが良いと言っていた執事だ。

「お前も、どうしてアシェルにあの発作の事を話していなかった」

 執事は冷静な様子で頭を下げる。

「申し訳ありません。……ですが、旦那様がお嬢様に自らお会いになっていれば、起こり得ないものでは?」

 嫌味っぽい口調に私は訝しんだ後、あっ、と小さく声を上げた。そうだ、この執事は先代当主であるお祖父様、つまりは母様を殺した人に仕えていた執事だった。

 父様が騎士を呼ぶ。呼ばれて来た騎士の手には、真っ二つに斬られた紙があった。執事が急に顔を青くさせ言葉にならない言葉を叫ぶ。

「確かにお前の言うことも一理あるな。だが、呪術を用いて僕からアシェルの記憶を消したお前には言われたくない。それにしても複雑な呪術をかけてくれたものだ。まさか『アシェルという存在を気に留めず、段々記憶が薄れていく』という呪術をかけるとは。これでは今までアシェルが屋敷にいた事は分かっていたのに気にならない筈だ」

 父様は深いため息をつきながら「大方、この件は父上も絡んでいるのだろう」と言うと、騎士団に領地で隠居しているお祖父様を捕縛するよう命じた。それに頷いた何人かの騎士がいなくなる。


「当主様に手を出すなぁっ!」

 突如、執事が暴れ出したが、騎士に危なげなく捕まえられる。地に押し付けられた彼は髪を振り乱しながら叫ぶ。

「レンティーヤ公爵家にこんな汚物がいるという事が我慢ならない! 女狐が! 呪い殺してくれる!」

「五月蠅い」

 とすっ、と小気味いい音が響いた。それは父様が執事の首に剣を突き刺した音だった。すぐに私の隣に立っていた騎士の手で視界が遮られる。だが、「ぐぎゃぁ……」という断末魔だけが、耳にへばりついた。

「愚か者めが」

 そう父様が小さく言うと、私の手を取り歩き出す。メイドや他の執事は、絶命させられた執事を見て血の気が失せたのか、もう誰も声を荒げるものはいない。

「父様、部屋についたら話したいことがありますの」

「分かった。なんでも話してくれ」

 その即答に、私は口元が緩むのを抑えきれなかった。


 部屋につくと、私はベッドに座らされ、腰にクッションを当てられる。父様は机と一緒に置かれていた椅子を持ってきて私の傍に座った。

「それで、話したい事とはなんだ? アシェル」

「はい。私は今、学園で虐めを受けています」

 父様の眉間にシワが寄った。現在34歳である父様はまだ肌にはハリがあり、髪も黒黒としている。それが余計に、威圧感のようなものを盛り立てた。

「つまり、アシェルを虐めているそいつ等を痛めつけ、もう嫁の貰い手が来ないようにすればいいの?」

「――いいえ。父様、私は自分の手で復讐をしたいのです」

 なんだか物騒な提案に首を振り、私は答える。

「でも私の復讐は、レンティーヤ公爵家に泥を塗るような行いかもしれません。私の行いが世間に露見しなくても、です。それでも、私を娘だと言ってほしいんです」

 なんて我儘な願いだろうと、体を小さくする。詳しい事は何も話さず、それでいて『娘である』事を望むだなんて。

 縮こまる私に、「なんだ」と柔らかい声が耳朶を打った。

「何を当たり前の事を言ってるんだ、アシェル。君が何をしたって、僕とシェイラの娘だよ」

「で、でも父様達に迷惑がかかるかも……」

「迷惑ぐらい、かけてくれ。家族なのだから。僕がこんな事を言うだなんて、都合が良いとは思っている。だが、君の味方でいる事だけは許して欲しい」


 その言葉に、涙がせり上がる。泣きじゃくる私の背を、父様はずっと撫でてくれた。




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