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 さて、私がクリスティアーニ家のご令嬢と初めて会ったときのことを話そう。


 今考えるとあれは私の運命の出会いだった。


『お初にお目にかかりますフィオレンティーナお嬢様。新しく入ったメイドのミーナ・ミナーリと申します』


 お嬢様のお部屋に入った私は真っ先にお辞儀をした。


 するとベッドの上から透き通った声が私を捉えた。


『あなたがミナーリさんね! お父様から聞いていたわ!』


 私は頭を上げてお嬢様を見る。一瞬、後光が見えた。


 女神? 天使? なんて美しい方!


 胸元までおさげにした髪は真珠のようで、そのお顔立ちは神話に出てくる妖精のよう。


 この方が結核だなんて、神様はあまりに残酷だ。


『ミナーリさんは王宮に勤めていたって聞いたわ』


『はい。以前は王宮にいました。どうか私のことはミーナと呼び捨てでお呼び下さいお嬢様』


『あら、じゃあ私もフィオと呼んでちょうだい。ミーナ』


『なっ。それは出来ません。旦那様に叱られてしまいます』


『大丈夫よ。お父様は私に頭が上がらないから。私、あなたみたいに歳の近い人と話したかったの。あなたが来てくれてとても嬉しいわ!』


 ああ、なんとお優しい。私はこの家に来て良かった。


 と、私はお嬢様の手元を見る。この地方の新聞が握られていた。


『お嬢様は新聞をお読みになっておられたのですか?』


『もう、だから、フィオって呼んでって言ってるじゃない。あと敬語も使わないで欲しいの』


『えっと、わかりました。新聞を読んでいるんですか? ……フィオ』


『もう、まだぎこちないわね。まあいいわ。そう、私、新聞でルタリス語の勉強をしているの』


『素晴らしい。私でよければルタリス語を教えましょうか?』


『あら、じゃあこの記事を翻訳して欲しいわ!』


 お嬢様は新聞の一面を指差して言う。私はお嬢様に近づいて行って、記事を読んだ。


『えーっと、"王太子殿下、婚約破棄"、 げっ!』


 私は思わずはしたない声を上げてしまった。


『どうしたの?』


『いえ、あの、この記事はそのー……』


『いいから、続き、続き!』


 ええい、仕方ない!


『"先日、舞踏会にて、王太子殿下はかねてより婚約していたラ・フォンテーヌ嬢との婚約を破棄し、ミーナ・ミナーリなる女性への求婚を宣言された"……』


『へー、って、え? ミーナ・ミナーリ? どういうことなの? ミーナ』


『えっとー、同姓同名っていうかー』


『ミーナ、誤魔化さないで。王宮にいたんでしょ? 秘密は守るから話を聞かせて欲しいわ』


 はぁ。この天使にせがまれては嘘はつけない。


 それで、私はレオ様との経緯をフィオに話した──。


『まあ! 殿下ってひどい人ね! 大勢の前でいきなり求婚するだなんて。しかもミーナに何も言わず!』


『でしょでしょ? やっぱりそうだよね! いくら王太子とはいえ、ひどいよね!』


 私はついつい敬語を忘れて馴れ馴れしい言葉を使ってしまった。


『でもきっと殿下は貴女のことを本気で愛しているのね。そこは素敵だわ』


『う。でも、私の身分じゃ殿下と釣り合わないし……』


『それよりも大事なのはミーナの心よ。ミーナは殿下のことが好きじゃないの?』


『……たぶん好き。でももう気持ちにけじめをつけたから……」


『ふぅん。私は心の声に素直に従った方がいいと思うな。人生は短いんだし」


 結核のフィオにそう言われると私は後ろめたい気持ちになった。


「わかりました。考えてみます……」


『あら、敬語に戻ってるわ。せっかくお友達っぽくなれたのに』


『お友達?』


『ええ。私、この屋敷でずっと一人ぼっちだったの。だからミーナにお友達になって欲しいの』


『メイドの私なんかでいいんですか?』


『勿論よ。どうか私とお友達になって』


 そう言ってフィオは私に手を差し出した。私はちょっと迷ったけれど、私もフィオと友達になりたいと思った。


『喜んで! フィオ!』


 そう言って私達はぎゅっと手を結び合った。





 それからの日々は私にとってかけがえのないものだった。


 私は結局、レオ様のことは棚上げにしていたけれど、フィオとの毎日が楽しくて仕方なかった。




 春の日に──。


『フィオ、庭に出て大丈夫なの?』


『ええ、今日はぽかぽか陽気で体調もいいの』


 そう言って微笑むフィオは、そよ風に舞う蝶のように可憐だ。


 その時、突風が吹いてフィオの髪を乱してしまった。


『あはは。ぼさぼさになっちゃったわ!』


 フィオが笑顔で言う。


『良かったら私が髪を結おうか? フィオ』


『うん! 嬉しい、お願いするわ!』


 私はフィオをテラスに座らせて、絹のようなフィオの髪を編み込んだ。


『うん、我ながら上手くできた。フィオのうなじの美しさが際立つよ!』


 フィオは手鏡を見て感嘆してくれた。


『まあ、とても綺麗なアレンジだわ。私の髪じゃないみたい! ねぇ、これからも編んでくれない? ミーナ』


『ふふ。私でよければ喜んで編むよ』


 そうして、フィオの髪を結うことは私の習慣になった。




 夏の日に──。


『見て。ミーナ。花火が上がってる!』


『ええ。きっとお城で舞踏会を開いているのね。毎年の夏の行事だわ』


 自室の窓から夜空を眺めるフィオに、私は言った。


『舞踏会かー、いいなー。私、ダンスは習ったけれど、体が弱くて一度も行ったことないの』


 きっとフィオの体が元気なら、舞踏会の華になるだろうに……。


『ねぇ、ミーナ、踊ろう!』


 突然、フィオが言い出した。


『え?』


『私達だけの舞踏会よ』


『で、でも私、踊れな──』


 するとミーナは私の前に手を差し出して。


『ボクと踊ってくれますか? ミナーリ嬢』


 その所作はまるで童話の王子様のようで。


『よ、喜んで……』


 私は踊り方も知らないのにフィオと手を繋いで踊り出した。


『1、2、3、1、2、3』


 フィオがワルツのリズムを口ずさんでくれて、私は辿々(たどたど)しいステップでフィオに合わせる。


『足元ばかり見ていてはダメ。顔を上げて。タララー、タララー、ララー』


 フィオはいつしかメロディを歌い出し、私はフィオの顔が近くてなんだか恥ずかしかった。


 窓の外では花火が上がっていて、私達は花火を背景に踊っている。なんてロマンチックな夜だろう。


 私はこの夜を一生忘れない。




 秋の日に──。


 でもやがて、フィオは体調を崩していって……。


『フィオ、庭にチェローシアの花が綺麗に咲いていたわ』


 私はチェローシアの入った花瓶を持ってフィオの部屋に入った。


『ゴホッ、ゴホッ、ありが……、ゴホッ』


『フィオ! 大丈夫!?』


 私は花瓶を置いてフィオに駆け寄ると、フィオの姿を見て青ざめた。


 フィオのネグリジェは真っ赤に染まっていた。


『大変、お医者様を呼ばないと!』


『いいの……。大丈夫。すぐ収まるから』


『フィオ……』


 私は無力を痛感した。私がどんなにフィオのそばにいても私にはフィオの病状を良くすることは出来ない。


 秋の深まりとともに、フィオは寝たきりになる日が増えた。

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