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祝祭用の広間は静まり返っている。そりゃそうだ、レオ様が婚約破棄を宣言したのだから。
いや、それよりも、私に求婚するって言った? 空耳?
「──レオ、余の聞き違いかな? 婚約破棄と聞こえたが」
レオ様の隣にいる陛下が仰った。明らかに怒っておられる様子だ。
広間に集まったみんなの視線はレオ様とラ・フォンテーヌ嬢に向けられている。
何故だかラ・フォンテーヌ嬢は動じていないように見える。
「父上、もう一度言いましょう。私は婚約破棄して別の女性に求婚します。ミナーリという女性と」
そう言って、レオ様は私の方をちらっと見た。やっぱり聞き間違いじゃない!
「レオ、破棄する真っ当な理由があってのことだろうな? そのミナーリなる女性はラ・フォンテーヌ嬢より名家だということか?」
「ふふふ。父上。その女性は貴族ではありません。一般の方です」
レオ様がそう言った瞬間、広間がざわついた。
「何と!」
「王族が平民に求婚されるというのか!?」
「前代未聞だわ!」
それを聞いて、広間の端に控える執事やメイド達が一斉に私を見つめた。彼らは私のことだと気づいたのだ。
駄目! 限界!
私はパニックになって、一目散に扉へ向かうと扉を開けてバタバタと広間から逃げ出した。
レオ様が暴走した! どうしようどうしよう!?
私は宮殿の廊下を駆けて、メイド達が住まう別棟へ急いだ。
私は自分に当てがわれた部屋に行くと、バタン! とドアを閉めた。
私は逡巡する。
レオ様、ひどいよ。あんな、みんなの前で私への求婚を宣言するなんて。しかも事前に何の相談もせず!
もし私にいい人がいたらどうするつもりだったの? いや、いないけど!
これからどうなる? メイドと王太子の結婚なんて許されるわけない。
下手したら王太子をたらし込んだとして逮捕されるかも……。
私はさーっと血の気がひいた。
「よし! 逃げよう!」
そうと決めた私は、速攻で置き手紙を書いた。
"皆さんごめんなさい。私、宮殿を出て行きます。探さないで下さい。"
そして、トランクケースに荷物を詰め込むと、急いで部屋を出て、宮殿の門を抜け、辻馬車を拾って街を目指した。
*
「──悪いけど推薦状がないと貴族のお宅は紹介できないんだよねぇ」
宮殿を出た日、私は街の宿で部屋を見つけて一泊し、次の日に仕事紹介所に来た。
受付の人に貴族のメイドの仕事がないか尋ねたところ、言われたのがさっきの言葉だ。
「そこを何とかなりませんか? 王宮での経験もありますし」
「いやー、推薦状がないとねぇ。信用が大事だから」
くー。円満に辞められれば絶対に推薦状は用意できたのに!
「あ、そういえば一件、推薦状なしでもいいお宅があるけど、条件が難しいよー」
「お、どんな条件ですか?」
「ラランス語の会話が出来る人って書いてあるよ、ほら」
私は求人票を受け取って見る。お給料は高めで、住み込ませてもらえる。そして、確かにラランス語の会話が必要みたいだ。
ふっふっふっ。実は亡くなった私のお母さんはラランス人だったのだ! つまり私はラランス語が喋れる! (少し)
「この求人、私、行きます!」
──で、来たのがこのお屋敷。
私は道端からお屋敷を眺める。
こじんまりとしたお屋敷だが、庭は綺麗に剪定されている。センスがいい。
求人票に午前中ならいつ訪問しても構わないと書かれていたので、十一時ごろ伺った。
私はお庭を突っ切ってお屋敷のドアをノックする。
すると中から質の良いジャケットを纏ったおじさまが出てきた。執事の方かな?
「……君は?」
「あの、求人票見て来ました! 面接を受けさせてもらえないでしょうか!」
「ああメイドの。中へどうぞ」
私は廊下を通って客室に案内された。お屋敷の中は掃除が行き届いている。
「座って」
おじさまはテーブルの椅子を指差して、私に座るよう促すと、おじさまも向かいに座った。
「履歴書を拝見できるかな?」
「あ、はい。これです」
私はトランクケースから紙を取り出して渡した。おじさまはゆっくりと読んでいく。
「ほう、長いこと王宮で働かれていたようだ。メイドとしては申し分ない。なぜ王宮を辞めたのだね?」
「えーっと、外の世界が見たくなりまして」
王太子の求婚から逃げたためとは言えない。
「ふむ。それで、ラランス語は出来るかな?」
「はい、私の母はラランス人でした。なので会話くらいなら大丈夫だと思います」
『──ふむ。実はメイドの仕事以外でも頼みたいことがある』
おっラランス語! 大丈夫、聞き取れた!
『どんな仕事でしょうか?』
『私には18歳の娘がいてね。その娘の話し相手になって欲しいのだよ』
『お嬢さん? 失礼ですがあなたは執事ではないので?』
『私はクリスティアーニ伯爵。この家の当主だ』
『し、失礼しました! まさか旦那様とは』
『気にしなくていい。それで娘なんだが、実は不治の病……結核を罹っていてね』
『えっ!』
『療養のために祖国のラランスから、このルタリスに連れて来たんだが、周りに友達もいないので塞ぎ込みがちでね……』
『それはおつらいですね』
『君のような同年代の女性がそばにいてもらえると、娘の闘病生活の助けになるんじゃないかと思って』
『あの、私でよければお力になりたいと存じますが』
『そう言ってもらえると助かるよ。是非うちで働いて欲しい』
『はい、よろしくお願いします!』
こうして私はクリスティアーニ家のメイドとして働くことになったのだ。