第9話
お読みいただき、ありがとうございます。
次回の第10話で完結します。
今しばらくお付き合いいただければ幸いです。
アレックスはデスクで悩んでいた。国王から、直轄領の管理を命じられたのだ。
直轄領は全国各地に点在する。今回はその中でも、アプトン伯爵領とリアストー伯爵領だった部分の管理だ。伯爵たちが逮捕された後、一時停に国の直轄領となっているのだ。主を失った領地は混乱しているだろう。国境警備も立て直さなくてはならない。
アレックスはジュリアを盗み見た。今日もジュリアは熱心に仕事をしている。これまで隊員達が個々に処理していた雑務もジュリアは全て引き受けてくれるようになって、隊員達がは煩わしいデスクワークから解放され、本来の任務や鍛錬に全力を注ぐ事ができるようになっていた。
「それで?」
ヒューゴがアレックスの顔を見る。
「ジュリアが一緒に来てくれれば心強いが…」
アレックスは、ジュリアをアプトン伯爵領へ連れて行こうかと悩んでいたのだ。ジュリアがいれば領地管理の力となってくれるだろうが、アプトン伯爵領を訪れる事は、ジュリアにとっては辛いことかも知れない。
「本人に訊いてみろよ。嬢ちゃんは、意外と強い子だと思うぞ」
アレックスは頷くと立ち上がった。
ジュリアは意外にもあっさりアレックスに同行すると言ってくれた。
「本当にいいのか?」
夜、ジュリアの部屋で口付けの合間に確認すると、ジュリアはアレックスの腕の中でメモを書く。
“辛い事もありましたが、故郷の景色を見てみたいのです”
「…そうか」
アレックスはジュリアを抱き締めた。
出発の朝、公爵夫人が玄関の外まで見送りに出てきた。
「ジュリア、本当に行っちゃうの?」
ペコリと頭を下げるジュリアの肩を抱き、アレックスが苦笑する。
「ほんのひと月ほどですよ。俺も一緒なんですから、心配いりません」
「ええ、別にあなたはいいの。可愛い娘と会えなくて寂しいのよ」
「…そうですか…」
どうやら母の中ではアレックスよりジュリアのほうが格が上らしい。ジュリアは公爵夫人の手を取って安心させるように握った。アレックスとジュリアはそれぞれ馬に跨ると、何度も振り返りながら出発した。
本当はジュリアのために馬車を仕立てようとしたのだが、ジュリアが自分も騎乗すると言い出したのだ。確かにそのほうが人目を引かないし、何より速い。馬車では直轄領まで辿り着くのに2〜3倍の時間はかかる。
小編成の騎馬隊は軽快に歩を進めていた。色や飾りは控えめながら高価なドレスに身を包んで颯爽と馬を駆るジュリアに、アレックスのみならず隊の誰もが見惚れた。もちろん馬車とは違う意味でもジュリアは人目を引いた。輝くプラチナプロンドを靡かせて姿勢良く華麗に馬を操るジュリアを、道ゆく誰もが振り返った。
アプトン伯爵領だった土地に入ると、隊はスピードを落とした。領地の様子を観察したかったからだ。アレックスは隊を散らせて領地の情報収集に当たらせ、ジュリアと共に伯爵家の屋敷に向かった。
伯爵家には予め知らせを送っておいた。すでに主を失った屋敷は静まり返っているが、無人にすれば屋敷が荒れてしまうため、少人数の使用人が残っていると聞いていた。
アレックスが着くと、使用人が揃って出迎えた。
「トリプレット将軍閣下、遠路はるばるお越しいただき、恐縮でございます」
全員が揃って頭を下げた。
「出迎えご苦労。本日より領地と資産の整理を行う」
執事と思われる男が一歩進み出る。
「執事を仰せつかっておりましたルーベンと申します。ご入用のものがございましたら、何なりとお言いつけください」
「ああ。世話になる。皆、顔を上げてくれ」
アレックスの言葉で顔を上げた使用人たちは目を見開いて固まった。トリプレット将軍は、美女を伴っていた。
「妻のジュリアだ」
ジュリアがペコリと頭を下げて微笑んだ。
「…ジュリア…お嬢様…?」
「まさか…お嬢様…」
「…奇跡だわ…お嬢様が…生きて…」
「お嬢様!」
侍女たちがワッとジュリアの周りに集まった。ジュリアはニコニコして応じている。執事のルーベンは、嗚咽を堪えてその場に崩れ落ちた。
本来は近くの宿屋に投宿しながら仕事を進める予定だったが、使用人たちのたっての頼みでアレックスとジュリアは、屋敷内に滞在する事になった。
ジュリアは使用人たちを覚えていた。主を失いながら屋敷に残ったのは、いずれも古参の者たちばかりだったからだ。
当時ジュリアは使用人たちと同じように家の仕事をこなしていた。一緒に働き、一緒に賄い料理を作り食べていたジュリアに、使用人たちは好意を持っていたのだ。だがある日突然、ジュリアは病死したと伯爵に告げられた。昨日まで元気だったジュリアの突然の訃報に、誰もが疑念を抱いた。ジュリアは殺されたのではないか、どこかに売られてしまったのではないかと。ただ一人、真実を知る執事のルーベン以外は。
「あの時私は何もできませんでした。お嬢様には何の罪もないのに、酷い仕打ちを…」
ルーベンがハンカチで目元を押さえる。ジュリアがルーベンの背中を摩る。ルーベンが顔を上げると、ジュリアが何かをメモに書いてルーベンに見せた。
“私の肩に触れたあなたの温かい手を私は忘れていません。あなたは私を助けようとしてくださいました”
それを見て、ルーベンは声を上げて泣き崩れた。
鎖で縛られたジュリアが、死を覚悟して滝へ向かっていた時、その死を見届けるために同行していたのがルーベンだった。
「何とかお嬢様をお助けする手立てはないものかと思案しましたが、何も思い付かず…目隠しされたお嬢様の後ろを歩いておりました」
そこに盗賊が現れたのだ。戦おうとする兵士たちを止め、ルーベンはジュリアを置いてその場を去った。
「…お嬢様を死なせずに済むかもしれないと…僅かな可能性に賭けたのです…」
ルーベンは兵士たちに口止めし、伯爵にはジュリアの死を見届けたと嘘の報告をした。
「その盗賊は俺だ。捜査のために盗賊を装っていた」
ルーベンが驚く。そして息を吐いた。
「左様でございましたか…それでお嬢様を、お助けくださったのですね」
ジュリアがルーベンの手を取って微笑んだ。それは言葉よりも雄弁に、今のジュリアが幸せであると示していた。
ルーベンは泣き笑いで何度も頷いた。
アレックスとジュリアは、かつての伯爵の執務室の荷物を全て図書館へ運び込み、図書館の広い机に地図や書類を広げて仕事をする事にした。
アレックスの思っていたとおり、ジュリアはアレックスをよく補佐した。殊に領地管理については、もともと土地勘があるジュリアの意見を、アレックスは全面的に採用した。
少なくとも10日はかかると算段していた領地と資産の整理は、わずか5日で終わった。短い期間ではあったが、屋敷で暮らす中で使用人たちに昔のジュリアの様子を聞く事ができた。
確かにジュリアとヴァイオレットはそっくりの顔立ちで、見た目上違うのは髪の色と目の色くらいだった。ジュリアはヴァイオレットの後ろをついていくのがやっとだったと言っていたが、どうやらそれは少し違うようだった。使用人たちに無理を言ったり、失敗を隠して逃げるヴァイオレットの後で、ジュリアはその後始末をしていたらしい。使用人に何度も謝ったり、時にはヴァイオレットを諫めていたと言う。失敗は自分がした事にして叱られて場を収めていた。ヴァイオレットにくっついていたと言うよりも、尻拭いをして回っていたと言うほうが正しい。
「それにお嬢様は、真面目で心のお優しいかたでした。ヴァイオレットお嬢様とは…性格はあまり似ておられませんでしたわ」
アレックスはヴァイオレットに会ったことはない。しかし使用人たちに愛されていたのは、明らかにジュリアのほうだったと確信した。それがジュリアとヴァイオレットの決定的な違いだ。
「お嬢様、もうお帰りになってしまうのですか?」
「またお越しくださいますか?」
使用人たちがジュリアを引き止める。ジュリアは使用人ひとりひとりの手を笑顔で取っている。ジュリアがアレックスを見上げた。
「お前が望むなら、また来ればいい」
アレックスの言葉に使用人達が喜ぶ。
「さあ、将軍閣下とお嬢様をお見送りしよう」
ルーベンの声かけて使用人達が整列した。
「トリプレット将軍閣下、お嬢様、ぜひまたお越しくださいませ」
使用人達に見送られ、アレックスとジュリアは旧アプトン伯爵邸を後にした。
ついで向かったのはリアストー伯爵領だった。こちらはアレックスもジュリアも初めての土地で、整理に時間がかかった。ジュリアは調査から帰ってきた隊員に領地の詳細を確認したり、時には自ら領地を回って調査していた。リアストー伯爵家の帳簿もジュリアが全て確認し、薬物と武器の密造に関わる金の流れも明らかになった。
リアストー伯爵の屋敷に僅かに残った使用人達は、次期伯爵夫人だったヴァイオレットに瓜二つのジュリアにひどく驚いていた。最初はなぜか警戒していた使用人達は、次第にその警戒を解いていった。そしてその警戒の理由を教えてくれた。
ヴァイオレットはここでも我儘を言って使用人達を困らせていたらしい。ドレスや宝石を山のように購入し、毎日何度も着替えていたと言う。リアストー伯爵家は密造により莫大な財を得ていたからそれで困ることはなかったが、使用人たちは眉をひそめた。しかも次期伯爵夫人でありながら、地域の行事に顔を出すこともせず、伯爵夫人としての仕事を学ぼうともせずに、しかし華やかな夜会には頻繁に参加して遊び暮らしていたらしい。
(ヴァイオレットらしいわ…)
子どもの頃なら天真爛漫・自由奔放は褒め言葉だが、伯爵夫人になろうという者がそうでは困るだろう。18歳になっても変わらないヴァイオレットの姿が目に浮かぶようだった。
だから使用人達はジュリアの様子に驚いていた。顔はヴァイオレットとそっくりなのに、ジュリアは夫のアレックスと共に精力的に仕事をこなし、屋敷に残った使用人達には優しく敬意を持って接してくれる。馬を駆って領地を周り、毎日朝から晩まで熱心にアレックスや隊のみんなと話し合う。それは使用人達が望んでいた伯爵夫人の姿だった。
リアストー伯爵領での滞在は1週間ほどだった。その間に、屋敷の使用人たちはすっかりジュリアの信奉者になっていた。
「奥様、もうしばらくご滞在くださいませんか?」
「せっかく馴染んでくださったばかりなのに…」
リアストー伯爵邸の使用人達がジュリアを引き止める。アレックスは苦笑した。
(ジュリアはどこでも大人気だな)
屋敷を出発しても、ジュリアは屋敷が見えなくなるまで、馬上から手を振っていた。
予定よりだいぶ早く首都に戻ったアレックスは、ジュリアと一緒に報告をまとめて国王に提出した。するとその数日後、アレックスとジュリアは国王に呼ばれた。
謁見の間に入ったアレックスとジュリアを居並ぶ者は感嘆とともに見つめた。軍服姿のアレックスとドレス姿のジュリアは、まるで絵画のような美しさだった。夫婦となった2人は仲睦まじく、見つめ合う様子は眩しいほどだ。
「トリプレット将軍、直轄領の調査及び整理、ご苦労であった」
アレックスが礼をとる。合わせてジュリアも頭を下げた。
「ところで、この直轄領の管理を今後もトリプレット将軍に任せたい」
「承知いたしました、陛下」
「と言っても、単なる管理ではない」
「…と仰いますと?」
国王は一度言葉を切った。
「南部及び西部の直轄領をトリプレット将軍に与える。今後はそなたの領地として治めよ」
アレックスは驚いて国王を見上げた。
「大臣達とも話し合い、そのように決定した。領地を持つからには爵位も必要だ。アレックス・トリプレット将軍、今後はグランドトリプレット侯爵を名乗るように」
「陛下…それは…」
あまりのことにアレックスは声を失った。爵位を新たに与えられるなど滅多にある事ではない。
「トリプレット将軍も夫人も、先の功績の褒美を望まぬのでな。その代わりだ」
アレックスもジュリアも褒美に興味がなかったのだ。しかもジュリアの誘拐事件に結婚式の準備と目の回るような忙しさで、すっかり忘れていた。
だが褒美というにはあまりに過分だ。アプトン伯爵領もリアストー伯爵領も辺境とは言え広大だ。その両方では、国内最大の領地を得ることになってしまう。
アレックスとジュリアは顔を見合わせた。
「ただし、トリプレット将軍、これには条件がある。夫人と生涯離れず、ともに手を取り合って領地を治めること。良いな?」
国王は美しい若夫婦を見て満面の笑みを浮かべた。
突然の事に現実味がないまま帰宅したアレックスを公爵が出迎えた。
「グランドトリプレット侯爵のお帰りだな」
「…父上…ご存知だったのですか?」
「ああ。陛下から事前にお話があった。恐れ多い事だが、この上なく名誉な事だ。陛下のお気持ちを有り難くいただけばいい」
「…はい」
アレックスは手を繋いだジュリアを見る。ジュリアも微笑んでいた。
気楽な次男暮らしではなく、これからは責任ある領主として、侯爵として振る舞わなくてはならない。アレックスは気を引き締めた。
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