第4話
アレックスは自室でひとりベッドに横になって考えていた。
ジュリアは何も悪くない。何の非もないのに、ジュリアが死ぬ必要はない。だがジュリアはアレックスたちにすべて打ち明けた事で、死ぬ覚悟をより強固にしたように見える。目を離したらジュリアは躊躇わずに死のうとするだろう。
だがまだ余地はある。彼女の優しさと義理堅さだ。貴族の多数いる王宮に入れば、美少女と名高かったヴァイオレットを知っている者に会うかもしれないと思いながら、アレックスに義理立てして王宮に足を踏み入れた。王妃からヴァイオレットの名前が出た瞬間に逃げ出すこともできただろうに、国王と王妃への敬意とアレックスに迷惑がかかると考えて国王夫妻が退室するまで待ったのだ。その彼女の優しさと義理堅さに付け込めば、ジュリアの自殺を止められるかもしれない。
今頃ジュリアは母と一緒だろう。ジュリアが拒否しても母は儚げな見た目に似合わず強引だ。ジュリアを放しはしない。危うく18歳の美女とベッドを共にしてしまうところだった事は考えないようにして、アレックスは眠りについた。
翌日もアレックスは出仕した。ジュリアの事は母に任せる事にした。というのも、母がやたらと自信ありげに、
「ジュリアの事は心配いりません。私に任せてちょうだいね」
と言うからだ。
それでもジュリアが心配でアレックスは急いで帰宅した。しかもヒューゴとライラも伴ってだ。それは少しの心配と少しの期待を込めてのことだった。
「アレックス、お帰りなさい。こんばんはピジェル卿、ライラ…いえ、もうロティ侯爵夫人だったわね」
「ご無沙汰しています、公爵夫人」
「こんばんは。これまで通りライラとお呼びください」
公爵夫人がピジェル卿と呼んだのはヒューゴだ。ピジェル家は古くからの侯爵家、ヒューゴもやはり貴族なのだ。ライラもロティ侯爵夫人と呼ばれ、公爵夫人に笑顔で応じている。
「ジュリア、ヒューゴとライラと今から少し込み入った話をするんだが…お前にも聞いてほしい」
ジュリアは首を傾げた。
「しかし見違えたな。これがあの嬢ちゃんか」
「ほんと、すごく綺麗だね」
ソファーに腰を落ち着けたヒューゴとライラがジュリアをマジマジと見る。相変わらず痩せっぽっちではあるが、恐らく公爵夫人が選んだのだろう、深いブルーのドレスはよく似合っている。薄く化粧をし、髪を軽く結ったジュリアは美しい。アレックスもついジュリアに見惚れた。
無言のアレックスがジュリアに見惚れている事に気づき、ヒューゴとライラが顔を見合わせてクスクスと笑い出す。ジュリアが首を傾げて、ようやく自分がジュリアに見惚れてボーッとしていた事に気付いたアレックスは、コホンと咳払いして話し始めた。
そもそもアレックスが指揮をとっていたのは、密輸の捜査だ。近年、国外から危険な薬物と武器が大量に輸入されていた。危機感を募らせた国王が、直々にアレックスにその捜査を命じたのだ。
アレックスたちが盗賊の真似事をしていたのも捜査のうちだ。薬物も武器も、捌きやすい首都に流れる。南方から首都へのメインルートを通る密輸品を摘発していたのだ。同時になぜ南方からばかり密輸品が運ばれるのかも探っていた。南方の国境に、密輸を手助けするものがいるのではないかと踏んだのだ。
残念ながらまだその協力者は見つかっていない。密輸に手を貸して国境を越えさせるくらいだ、協力者は有力者、ひょっとしたら貴族の可能性もあるとアレックスは考えていた。
今回、ジュリアの件もあってアプトン伯爵家を調査したところ、幾つか不自然な点が見受けられたのだ。
アプトン伯爵家の名を聞いてジュリアがハッとする。アレックスもヒューゴもライラもそれに気づいたが、この話をやめるわけにはいかない。ライラが口を開いた。
「まず第1に、アプトン伯爵家はかつて裕福だったものの、投資詐欺でその資産の多くを失ったとされるのが10年ほど前。でもなぜか貧しくなる様子はなく、領地も城も売られずそのまま維持していますし、どこかから借金したと言う話もありません」
ジュリアは思い出した。確かに8歳の頃だった。父が頭を抱えていた。母が使用人を解雇しようと話しているのも聞いた覚えがある。ヴァイオレットが新しいドレスをねだっても、しばらくの間買ってもらえなかった。今思えば、あの時アプトン家は経済的に苦しかったのだろう。
「第2に、国境警備です。アプトン伯爵家の領地は国境に面していますから、国境警備の義務があります。王宮には警備計画が提出されていますが、調査したところ、計画通りの警備は行われていません。実際、国境は隙だらけでした。領地を荒らされるのを恐れて、普通は国境に面した領地を持つと、警備には手を抜かないんですけどね」
ライラも首をひねる。国境警備には国からの補助金も出るはずだ。経済的負担もほとんど無いのに警備をしないのは、補助金の横領のためか、他に動機があるのか。
「第3に…まぁこれは関係あるかは現時点では分かりませんが……」
ライラが言い淀んだ。ジュリアを見て、申し訳なさそうに重い口を開いた。
「…ヴァイオレットの嫁ぎ先です」
ジュリアが目を見開く。まさかここでヴァイオレットの名を聞くとは思っていなかった。
ライラは言いにくそうだが続けた。
「ヴァイオレットは子どもの頃から美少女と評判で、社交界デビューしてからは名だたる貴族たちからの求婚がひきも切らなかった。でも何故かヴァイオレットが嫁いだのは、歴史も浅い西方の伯爵家です。首都の伝統ある侯爵家からの求婚も複数あったのに、何故それを蹴ったのか。確かに嫁ぎ先は非常に裕福で、次期伯爵も大層な美男だそうですけどね」
ジュリアは俯いて目を閉じた。考えたく無いか、どうしても結論は最悪の場所に着地してしまう。顔を上げてアレックスを見ると、アレックスもジュリアが気づいた事に気づいたようだった。
「ジュリア…力を貸してほしい。お前には辛い結末になるかもしれないが…」
ジュリアはしばらく動けなかった。
ヒューゴはジュリアの頭をポンポンと撫でると、部屋を出て行った。アレックスが使用人に声をかけると酒と食事が運ばれてくる。アレックスとライラは飲み始める。ジュリアも酒を勧められたが首を横に振って断った。
「ヴァイオレットってそんなに美人なの?ジュリアより美人って、そんな子いる?」
ライラは早々に酔っ払っている。ジュリアの隣に腰かけて、ジュリアの顔を至近距離からマジマジと見つめて言う。ジュリアはコクコクと頷く。
「ほんとに⁈だってジュリア、すごく美人だよ?本当にジュリアより美人なの?」
ライラはジュリアに抱きついてくる。自分なんかよりライラのほうがずっと美人だと思ったが、ライラはジュリアを褒めてやまない。
「おい、ライラ、ジュリアに絡むな」
アレックスがライラに次の酒を注ぎながら言う。アレックスも目が座り始めている。
「何言ってるんですか!隊長こそ、ジュリアに見惚れて鼻の下伸ばしてたじゃ無いですか!」
「鼻の下なんか伸ばしてない!」
アレックスがライラと反対側のジュリアの隣に座る。
「でもジュリアに見惚れてた事は否定しないんですね?」
ライラがからかうとアレックスの顔がわずかに赤くなる。それはアルコールのためでは無いだろう。
「見惚れて…もう、うるさいな!」
アレックスが一気にグラスを空にした。ジュリアはアレックスのグラスに酒を注ぐ。アレックスはそんなジュリアをじっと見る。いつの間にかアレックスの腕はジュリアの細い腰に回されていた。
「ああー!!隊長、いま変な妄想してたでしょう?ダメですよ!ジュリアは私の妹みたいなもんですから、隊長になんかあげません!」
「なっ…違っ…妄想なんかしてないし、ジュリアはお前のものじゃ無いだろ!」
ライラがジュリアにしなだれ掛かる。
「ジュリアは私の妹にしますぅ!こんな可愛い妹、欲しかったのよねー」
「勝手に決めるな!ジュリアは俺の……」
アレックスは息が掛かるほどの至近距離でジュリアを見つめる。2つの深紅の宝石が瞬いていた。
「ああー!!また隊長が変なこと考えてるぅ!」
「ばっ…ばか…違う!!」
ジュリアは酔っ払い2人に挟まれながら、しかし居心地の良さを感じていた。
トリプレット公爵と夫人、ピジェル侯爵は、静かにワイングラスを傾けていた。トリプレット公爵とピジェル侯爵は旧友だ。だからヒューゴはアレックスが子どもの頃から知っている。トリプレット公爵の長男グレイソンは文官としてすでに国王の側近だし、次男のアレックスは24歳の若さで将軍職にある。管理職嫌いのヒューゴは、アレックスの武官としての才能に惹かれて片腕になった。ヒューゴにも3人の息子がいるが、全員文官になってしまったから、アレックスは本当に息子のようだった。
「ピジェル卿、お姉様に明日会いに行きますとお伝えくださいます?ご相談があるのです」
公爵夫人が笑顔でヒューゴに言う。ヒューゴの妻ーーピジェル侯爵夫人は、公爵夫人の実の姉なのだ。
「ええ。伝えてえおきますよ。本当にお2人は仲が良いですね」
公爵夫人が微笑む。
「姉妹ですもの。当然ですわ」
言いながら、ジュリアとヴァイオレットの事を考えた。そうではない姉妹もいるのだと、悲しく思いながら。
翌日、ピジェル侯爵家から帰ってきた公爵夫人は上機嫌だった。姉妹の結束は固いし、全てを言わなくても伝わるから話が早い。
ジュリアの事は今日は心配していなかった。昨晩アレックス達と何を話したのかは知らないが、ジュリアの目には生気があった。ジュリアから、屋敷の手伝いをしたいと申し出てくれたので、今日は執事と侍女長に預ける事にしたのだ。
夕食に現れたジュリアはいつもより活気があるようだった。侍女長に聞いたところ、ジュリアは大変な働き者で、掃除でも洗濯でも一生懸命にしかし手際良くやってのけると言う。侍女の中にはジュリアと歳の近い者もいるから、ジュリアは楽しそうに仕事をしていたらしい。
夕食が終わると、アレックスがジュリアの手を取って退席する。公爵夫人は微笑ましく2人を見送り、夫にヒソヒソと話しかけた。
「ジュリアの事ですけど、私に考えがあるのです…」
手を取ってジュリアを部屋まで送り届ける。帰ろうとすると、ジュリアがアレックスの袖を掴んで引き留めた。
「どうした?」
ジュリアはアレックスの手を引いて部屋へ入るよう促した。アレックスは良からぬ勘違いをしかけたが、テーブルの上に置かれたたくさんの用箋を見て、ジュリアが何かを伝えたがっている事に気づいた。ジュリアは紙の束をアレックスに手渡す。
読み進めるうち、アレックスの目が険しくなる。
「ジュリア…明日、一緒に王宮に来てくれ。次の作戦に参加してほしい」
ジュリアは頷いた。
アレックスはジュリアの書いた内容について詳しく質問し、ジュリアはさらに何枚もの用箋を書き上げた。
アレックスがジュリアの部屋を後にしたのは深夜に迫る頃だった。ジュリアの部屋からそっと出たアレックスは、あろう事か父親と遭遇した。公爵は息子が出てきた客間の扉と息子本人を見比べる。
「アレックス…まぁ、構わんが…程々にな」
言われた意味が一瞬分からなかったが、どうやら父はアレックスとジュリアが情を交わしたと思ったらしい。
「ち、違います!ジュリアとは仕事の話をしていただけで…!」
慌てて否定するアレックスは益々怪しい。公爵は息子の肩をポンと叩いた。
「お前は夜会にも行かないし、恋人のひとりも紹介しないから心配していたが…これで我が家も安泰だな。良かった、良かった」
何やら勝手に納得して機嫌良く去っていく。アレックスは父親の勘違いの内容にひとりで赤面し、思わず出てきたばかりの扉を見る。危うくジュリアの部屋に引き返しそうになるのを堪え、急いで自室へと向かった。
拙文をお読みいただき、誠にありがとうございます。お気に召していただけましたら、次話もどうぞ。
【次話へ進まれる前に】
・誤字報告、歓迎いたします。誤字脱字、その他日本語の用法の誤り等にお気づきのかたは、お手数ですが誤字報告いただけますと大変助かります。




