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第3話

 ジュリアの手を取って歩くアレックスは、そっとジュリアを盗み見た。ドレスと靴に慣れないためか、ジュリアは足元に神経を集中していてアレックスの視線には気づかない。

 ジュリアのドレスは露出が少ないものだったから、彼女の身体のアザや傷は隠されている。自殺しないと約束はさせたが、彼女は最低限しか食べていないようだった。アレックスが繋いでいる手は骨ばって冷たい。

 客間に着くとアレックスはジュリアの手を引いたまま部屋に入り扉を閉めた。

「しばらくここで暮らすといい。お前は…まだ死にたいと…その気持ちは変わらないか?」

 ジュリアは俯いた。自分は死ななくてはならない。その事実はもう変わらない。ジュリアの気持ちの問題ではないのだ。

「ここにいる間は自殺なんて考えるなよ。母上はお前が気に入ったようだ。お前に死なれたら母上が気に病む」

 公爵夫人は良い人のようだ。見すぼらしい身なりのジュリアを見ても追い出したり無視したりしなかった。ジュリアは俯いたまま逡巡し、渋々ながら頷いた。

 アレックスはホッとしたように肩の力を抜くと、ジュリアの頭を撫でた。

「ゆっくりするといい。身の回りのものは準備させる。食事もちゃんと食べろ。あんなに残したら料理人が落ち込む」

 トリプレット家の料理人は複数いるが、全員が王宮の料理人にも劣らない一流の腕を持つ。味は勿論のこと、栄養面にも配慮されている。しっかり食べれば、痩せっぽっちのジュリアも少しはマシになるはずだ。

 アレックスが出て行った室内をジュリアは見回す。14歳までは一応伯爵令嬢として生活していたから、自室も与えられていたが、これほど広く立派ではなかった。

 寝室に入ると夜着が用意されていた。これもドレスと同様の滑らかなシルクだ。着替えてベッドに腰掛ける。スプリングの良い最高級のマットレスに戸惑いながら息をついた。

 首都に入るのに戸惑いはあった。ひょっとしたらヴァイオレットを知っている人に出会ってしまうかも知れないと考えたからだ。ジュリアが地下牢に閉じ込められた後、程なくヴァイオレットは社交界デビューをしたはずだ。ヴァイオレットほどの美しさなら首都にも噂が届いただろう。ヴァイオレットが首都や近郊の貴族に嫁いだ可能性さえある。自分の現在の見た目も境遇も、ヴァイオレットとは天と地ほどの差があるはずだが、僅かでも似ている事を見咎められないとは限らない。

 またしてもアレックスと約束してしまった手前、ジュリアは不本意ながら2〜3日はトリプレット家の城で過ごそうと思っていた。その後、城を抜け出して死に場所を探せばいい。

(良くしてくださっているアレックス様と公爵様、公爵夫人様には申し訳ないけれど…)

 自殺するというジュリアの意志は揺らぐことがなかった。


 翌日アレックスは王宮に出仕した。国王に一連の作戦の報告を求められていたからだ。残念ながらまだ作戦終了とはいかないが、とりあえずここまでで大きな成果をあげた事は確かだ。

 謎の少女のことは使用人たちや母にしっかりと頼んでおいた。さすがに使用人たちには、少女が自殺したがっている事までは話さなかったが、慣れない屋敷内で不自由がないよう気を配って欲しいと言いつけておいた。母には事の次第を話しておいたが、どうやら母には母なりに何か考えがあるようで、やたらと張り切っていた。

 ジュリアはトリプレット家の見事な庭にいた。広大な敷地は迷子になりそうだが、どこから外へ抜け出せるかを確認しておきたかったからだ。

 庭は隅々まで完璧に手入れされていた。庭師の数も多い。そして警備も手抜かりなかった。外部からの侵入を許す余地は無く、それは同時に内部からの逃走を図る余地も無かった。外に出るためには、見咎められる覚悟で出来るだけ警備の薄い門を強行突破するしかなさそうに見えた。

 どう抜け出すかと思案しながら城内に戻ると、待ち構えていたかのような公爵夫人に捕まった。

「一緒にお茶にしましょう。お菓子もたくさんあるのよ」

 手を引かれて連れて行かれたのは、お茶の準備が整ったバルコニーだった。美しい庭が見渡せ、優しい風が通る。

 公爵夫人は優しくジュリアに話しかけながら、お茶やお菓子を勧めた。特にお菓子はバリエーション豊かで見た目も美しく、味も素晴らしい。ジュリアは出来るだけ辞退したのだが、公爵夫人に強く勧められれば断りにくい。もともと1日に1個のパンでも有り難いと思いながら食べていたジュリアは、すぐにお腹がいっぱいになってしまった。


 帰宅したアレックスはいつも通り母に出迎えられた。母の隣には少女の姿もある。

「ゆっくり出来たか?」

 頷く少女とアレックスを公爵夫人はニコニコと眺めていた。

「明日、俺と一緒に王宮に上がってくれ。国王陛下に今回の作戦の報告をしたら、ぜひお前にも会いたいと言われた」

 ジュリアはギョッとして目を見開き、ブンブンと首を横に振った。

「だが陛下にお前を連れて行くと約束してしまった。俺の顔を立てると思って一緒に来てくれ。正式な謁見じゃない。カジュアルな面会だ。気楽に考えればいい」

 アレックスはすでにジュリアを連れて王宮に上がる事を決めているようだった。


 翌日、渋々ながらアレックスに連れられて王宮に入ったジュリアの足は重かった。ジュリアの惨めな見た目を補うように美しいドレスを着せられたが、逆に自分の貧相さが際立つ気がしてジュリアはずっと身を縮めて俯いていた。

 徐々に厳しくなる警備を抜けてアレックスとジュリアは進む。制服姿のアレックスを見ると、誰もが頭を下げたり敬礼したりした。アレックスの階級はただの一小隊の隊長ではないのかもしれない。

 その部屋に入りしばらく待つと、国王が現れた。50歳前後だろうか、身体が大きく威圧感がある。確か国王は武術にも長け、王子だった頃は一時軍に入っていたはずだ。さらに王妃と思われる上品な夫人を伴っていた。

 ジュリアは深く頭を下げたまま、緊張と申し訳なさでその場から消えてしまいたかった。自分など国王の目に触れていい存在ではない。

「国王陛下、王妃陛下」

 アレックスが礼を取る。

「アレックス、楽にしろ。その娘が…?」

「はい。昨日ご報告しました鉄砲水を予測して作戦を成功に導いた少女です」

 国王がアレックスとジュリアに掛けるように促したので、アレックスは腰を下ろしてジュリアも隣に掛けさせた。

「娘、顔を上げろ」

 ジュリアは迷った。国王の前で顔を上げるなど、例え伯爵令嬢の身であったとしても恐れ多い。

「構わん。身分は気にするな」

 言われてやっとジュリアは顔を上げた。正式な謁見ではないとは言え、さすがに国王にお目通りするのにノーメイクというわけにもいかす、ジュリアは薄く化粧を施されていた。パサパサだつた髪にもオイルが揉み込まれてツヤのあるプラチナブロンドが輝いている。チークと薄い紅のおかげで普段より血色良く健康的に見えるジュリアは、十分美少女と言って良かった。しかもその瞳は類稀なる深紅だ。

「まぁ…綺麗な子ね。驚いたわ」

 先に反応したのは王妃だった。国王も頷く。

「娘、どこで誰から学んで鉄砲水の予測ができた?」

 国王が問いかけるとアレックスが紙とペンをジュリアに差し出す。ジュリアが口を聞けないことは予め国王と王妃に伝わっているのだろう。ジュリアが素早く書いた紙をアレックスに渡した。

「全て本を読んで学んだそうです」

「読んだだけで?誰かに師事したのではないのか?」

 ジュリアが再び紙に書き、アレックスがそれを読んで答えた。

「本を読んだだけだそうです。正しい知識と観察と思考により、鉄砲水の予測は可能だと申しております」

 国王は驚いていた。気象や災害の予測は、民の生活に直結する重要事項だ。多くの研究者が試行錯誤しながら未だ成し得ずにいる。それをこの少女は、本を読んだだけで出来たと言うのか。

 その後も国王と王妃はジュリアに質問を重ね、ジュリアは全てに素早く的確に答えた。短いやり取りだけでも、少女のずば抜けた賢さが伺えた。

 少女とのやり取りが思いのほか弾んだが、国王と王妃は多忙な身だ。惜しみながら国王夫妻が退席しようとして、思い出したように王妃がジュリアを見た。

「あなたと会うのは初めてだけれど、何年か前にあなたと良く似た子に会った事があったわ。確か…南の方の伯爵家の…あぁ、ヴァイオレット、そうだわ、すみれ色の瞳の綺麗な子だったわね。彼女はブロンドだったけれど、あなたに似ていたわ」

 ジュリアは固まった。ヴァイオレットの名が王妃の口から発せられた瞬間、ジュリアの身体が異常に緊張したのをアレックスは見逃さなかった。

「あれはアプトン伯爵家の娘だったな。確か最近嫁いだと聞いたが」

「ええ。西の方のリアストー伯爵家に嫁いだばかりですわ」

 アレックスは退席する国王と王妃に深く頭を下げる少女が、震えるほど両手を強く握りしめているのを横目で見ていた。

 国王夫妻が退室してもジュリアは顔を上げなかった。まるで身動きすると何かが零れ落ちてしまうかのように固まっていた。

 アレックスがジュリアの肩にそっと触れると、ジュリアは弾かれたように突然駆け出した。扉に駆け寄って取手に手をかけるが、アレックスの方が動きが早かった。ジュリア身体を捕まえて扉から引き戻す。

「逃げるな!お前、アプトン伯爵家にゆかりのものか⁈」

 ジュリアは暴れるがアレックスがジュリアの腰を掴んでいるから逃げられない。それでも諦めずにアレックスの手を引き剥がそうとする少女を、アレックスは引き寄せて正面から強く抱きしめた。アレックスの胸に顔を押しつけられたジュリアが尚も逃れようとするが、細身とは言え鍛えられた軍人のアレックスに、痩せっぽっちのジュリアが敵うはずもない。そのうち疲れたのかジュリアの抵抗が弱まっていく。アレックスは拘束するようにさらに強くジュリアを抱き締める。ジュリアは絶望した。


 トリプレット公爵家の城へジュリアは連れ帰られた。アレックスはジュリアの腰を抱いたまま王宮を出た。傍目にはアレックスが恋人を伴っているようにも見えたが、実際は逃げようとするジュリアに隙を与えず、逃さないための拘束だった。

 帰ってからもアレックスはジュリアを一瞬も離さない。自室で執事に手紙を託して、ソファに掛けさせたジュリアに向かい合う。部屋の外にも窓の外にも警備兵を置いたのはジュリアへの牽制に他ならない。

「話してくれ。お前は誰なんだ?」

 アレックスは紙とペンをジュリアの前に置くが、ジュリアはペンを取ろうともしない。落ち着きなく扉と窓を伺い、僅かでもチャンスがあれば逃げ出そうとしていた。実際ジュリアは何度か扉に駆け出したが、アレックスがすぐに捕まえた。アレックスは仕方なく少女の細い腰に後ろから両手を回し、そのまま腰掛けた。痩せた少女の身体はアレックスの長い脚の間に座らされ、完全に拘束されてしまった。

 程なく執事が手紙を持って入ってきた。アレックスは少女の腰を片手で抱いたまま、片手で器用に封を開けて手紙を読んだ。アレックスは手紙を読み終えると、腕の中の少女を見下ろした。結い上げたプラチナブロンドは、暴れたせいで少しほつれている。折れそうなほど細い首と薄い肩を見る。アレックスは息を吐いた。

 公爵夫人は帰ってきても挨拶もせずに自室に籠ったアレックスを訪ねた。そしてアレックスの部屋の前に警備兵が2人もいるのを訝しみながらアレックスの部屋に入り、息を飲んだ。アレックスがドレス姿の少女を抱き締めていたからだ。だがどうやらそれは、公爵夫人が密かに願っているロマンスではないとすぐに気づく。アレックスは難しい顔をしているし、少女は力なく項垂れていたからだ。

「…何があったの?アレックス」

「母上…」

 アレックスが腕の中の少女を見下ろした。そして優しく促した。

「そろそろ真実を語ってくれ。ジュリア」

 腕の中の少女かビクッと身体を震わせた。

「ジュリア?それがこの子の名前なのね?」

「ええ、そうです母上。この子は、アプトン伯爵家の次女、ジュリア・アプトン。4年前に死亡したはずの伯爵令嬢です」

 ジュリアは両手で顔を覆った。もう涙を堪えることが出来なかった。


 ジュリアはゆっくりと紙に文字をしたためていた。なぜ自分が捕らえられていたのか、なせ死亡した事になっているのか、どこから来てどこへ連れられて行くところだったのか、そしてなぜ自分が死ななくてはならないのか。

 何枚もの用箋を読み終え、アレックスは沈黙した。この少女が、その賢さ故に全てを理解してしまい、その優しさと劣等感故に望まれるがまま監禁も暴力も死も受け入れている事を知ったのだ。

 ジュリアの書いた中には父母とヴァイオレットへの恨み言など1つもなかった。むしろ父母の判断は正しく、自分は姉の後をついて回るのがやっとの能力も価値もない人間であり、それに対していかにヴァイオレットが素晴らしいかが書き綴られていた。ジュリアほどの賢さなら、そうでは無いと分かるはずなのに、彼女の頭脳は家族への愛と尊敬ゆえに意図的に結論を歪めていた。

 ジュリアは書き綴る間、時折手を止めて深呼吸をした。それが涙を堪えるためだとアレックスには分かった。

 用箋を読み終えた頃にはジュリアは泣いていなかったが、代わりに公爵夫人が泣き出していた。

「ジュリア…辛かったわね…」

 公爵夫人はジュリアの手を取っておいおいと泣いていた。

「母上…母上に泣かれてもジュリアを困らせるだけですよ。お茶を入れていただけますか?」

「そうね…すぐ温かいお茶をいれるわね」

 公爵夫人はハンカチで涙を拭って立ち上がった。


 王妃のヒントをもとに大急ぎでアプトン伯爵家を調査させたところ、アプトン伯爵家の次女ーーと言っても長女ヴァイオレットの双子の妹だがーーが4年前に病死として届けられていた。だが不思議な事に葬儀は行われず、埋葬された様子もない。そもそもアプトン伯爵家に娘が2人いた事さえ周囲には知られておらず、ヴァイオレットはアプトン伯爵家の一人娘だと思われていた。

 南部の一部の地域では、双子は不吉だとされ、出生直後に片方が殺される事もあるらしい。アプトン伯爵家では出生時に殺しはしなかったが、結果が今のジュリアた。存在を抹消され、閉じ込められて声を奪われ、何年も暴力を受けた。

「この辺りでは双子は縁起が良いと言って、生まれたらみんながこぞって見に行くのに…」

 公爵夫人が呟く。ついでに深紅の瞳が不吉だなどと言う事もない。公爵夫人はジュリアの瞳は、まるで美しい宝石のようだと思っていた。

 ヴァイオレットの結婚式が行われ、ジュリアは今度は本当に死ぬ事になった。滝壺に沈む直前、アレックスたち盗賊が人買いと見間違えてジュリアと出会ったのだ。

 アレックスはジュリアを見下ろしていた。手を離したら、この子は間違いなく自殺を図るだろう。すべてをアレックスに話した今、すぐにでも自分は消えなくてはならないと思い込んでいる。手を放すわけにはいかないが、四六時中そばに置く事も難しい。

 そのままアレックスの部屋で食事をさせ、ジュリアの手を引いて部屋を出る。

「アレックス!ジュリアをどこに連れて行くの?」

 公爵夫人がアレックスを呼び止めた。

「1人にしておくのは心配なので、一緒に休みます……あっ……」

 公爵夫人はため息をついた。アレックスはやっと気づいたのだ。子どもだと思っていた少女は、栄養不足で身体は小さいが、本当はヴァイオレットと同じ18歳だ。大人の男と同衾させてよい年齢ではない。

「ジュリア、私と一緒に休みましょう」

 公爵夫人は息子の手からジュリアを奪うように取り上げると、さっさと連れて行ってしまった。


拙文をお読みいただき、誠にありがとうございます。お気に召していただけましたら、次話もどうぞ。


【次話へ進まれる前に】

・誤字報告、歓迎いたします。誤字脱字、その他日本語の用法の誤り等にお気づきのかたは、お手数ですが誤字報告いただけますと大変助かります。

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