ここに立つために
1.
心も体もすっきりして、久しぶりにぐっすり眠れた。
「おはよう」
「おはよう・・・家まで送っていくよ」
「ありがとう。でも、いいの?」
「ああ・・・どっちみち、大遅刻。まあ、仲間内だし、ラーメン一回で済むはず」
二人で、私のうちまでの道を歩く。
久しぶりだったせいか、まだなにか挟まっているような気がする。
「ここでいいよ」
「いいの?」
「うち、お父さんと二人だから・・・一応、見つからないようにね」
「そ、そうだね。まだね・・・」
そう言って、家から少し離れたところでケンと別れた。
そして、まだアルコールの気が残っている足取りで家の前までたどり着いた。
「ん、あれは?」
見知った後姿を見つけた。
エマだ。
こんな近所で。
「待って、待って、エマ」
慌てて追いかけた。激しく運動すると吐き気がこみ上げてきたが、なんとか呑み込んでキレイな後姿に追いついた。
「あら? メイ、久しぶりね」
「うん。久しぶり・・・じゃなくて、なんで、こんなところに・・・?」
こんなところ、というか、なんでウチにだ。
家から出てくるところを直接、見たわけではない。しかし、私はエマがうちに用があったのだと確信していた。
なんにもない住宅街で二度も。偶然であるようには思えなかった。
「ああ、その、えっと・・・」
いつもスッとした感じのあるエマには珍しく言いよどんだ。隠そうとしているのではなく、言葉を選んでいるように見えた。
「交換条件をね。進めておこうと思って」
「交換条件って・・・」
条件? 交換?
『うちの弟と子作りしてくれない?』
『私もあなたの兄弟とするから』
『ああ、うっかりしてたわ。確か、父子家庭で父親と二人きりだったわね』
『じゃあ、父親とするわ』
私が朝帰りということは、父さんは家で一人のはずだ。
「え? まさか・・・」
「あなたも、朝帰りだったんでしょ。ちゃんとやってくれてるみたいで嬉しいわ」
「う・・・」
私はなにも言えなくなった。
私の父親との関係を糾弾したかったが、私もエマの弟と寝た。
弟と寝たことについて言い訳をしたかったが、エマも自分の父親としたのだと思うと自分だけが言い訳をするにはイヤだった。
「あ、えっと・・・その・・・」
口をパクパクさせてしまった。
なにも言葉にならない。聞きたいことや言いたいことが頭のなかをぐるぐる回って、順番を奪い合って、出口が詰まっている。
「私、もう行くね。これから仕事なの」
「あ、待って」
私が待てと言うと、エマは待ってくれる。
「エマは・・・エマは私のこと好き?」
エマが私の腰に手を回した。
引き寄せられた。
唇を奪われた。
「もちろん。本当に愛してる」
私は、なにも言わずにエマを見送った。
2.
自分でけしかけといて言えた立場ではないと思うのだが、実際に目の当たりにすると胸に来るものがある。
そういう環境を整えれば、そういうことが起きる。
わかってはいたが、メイが男と寝たと考えると胸がキューッとなる。
「先輩・・・」
懐かしい顔が頭に浮かんだ。いや、懐かしいなんていいものじゃない。頭に浮かんだ影だけで、私を切り刻む思い出。
この胸の痛みに比べれば、下半身の痛みなど大したことではないと思えた。
環境は個人の気持ちに優先する。
『なんで?』
そう問われれば、こう答える。
環境は個人の気持ちに優先するから、本当にずっと傍にいたい相手がいるならそういう環境を整えなければダメだ。
次に好きな人と結ばれることができたら必ずそうしようと思っていた。
「それにしても・・・」
生理的嫌悪とかはなかったけど、この痛みだけはどうも耐えがたい。
「ううん・・・今日、仕事できるかな・・・」
休んでしまおうか。
これが痛みなく受け入れられるようになるまで。
ケンと一線を越えたあとも、私の生活は大きくは変わらなかった。
ただ、ケンと会う機会が多くなった。
そして、面接を受ける頻度が下がった。
ケンと出かけたあとは彼の部屋による。
だんだん、それが当たり前になってきた。
「ケンとはうまくやっているみたいね」
久しぶりに会ったエマは、最初にその話を始めた。
「なんで知ってるのよ?」
「いろいろ相談を聞いてるから」
そもそも出会ったのもエマの紹介だったのだから、ケンの相談相手は当然エマになるだろう。
しかし、知り合いに筒抜けと言うのはやはり気恥ずかしい。
「私の部屋、来る?」
「行く」
私は『何で?』とは言わなかった。
すでにこんな生活が当たり前になっていた。
私はケンとの関係を進めて、エマはお父さんとの関係を進める。でも、私とエマが会えば二人きりになれる場所を探す。
「エマ。私、あなたのことが大好きよ」
「うん。私も、メイのことが好きよ」
3.
結局、私は新卒で就職することができなかった。エマと会う時間を犠牲にしたのに、と言いたいところだが、途中からブレーキを踏んでいたので仕方ない。
そして、パートタイムで働き始めた頃だった。
「出来ちゃいました」
「え? なにが?」
若い男女が定期的に交わっていれば、そりゃ、できる。
ケンもいきなりだったので最初は戸惑ったようだが、すぐに理解してくれた。
「結婚しよう」
「はい」
そこからは慌ただしい日々だった。
スタートアップで忙しいケンのスケジュールの合間を見て結婚式。準備はほとんど私一人でやることになった。
式は無事に終わったものの、次第に私が動きづらくなってくる。
こういう時に、母親がいてくれたら色々と教えてもらえるのだが、うちは父親一人だからなかなか行き届かないことが多い。
・・・と、思っていたら、エマが父さんと入籍した。
年の差結婚。人の目が気になったのか、式は挙げないで届けだけを出す結婚となった。
「今日から家事は私がやるわ」
「ありがとう・・・えっと、義母さん?」
「んん・・・今まで通りでいいわ」
落ち着くまでは、エマが通ってくれることになった。平日は仕事終わりに夕飯を作りに来てくれる。週末は掃除や洗濯をまとめてやってくれる。
「最近、毎日、顔を合わせてるね」
「そういう約束じゃない。私のときは頼むわよ」
「もちろん」
エマが家事を手伝ってくれるおかげでなんとかなっているが、最近は体調が優れない日が多い。妊娠とはこういうものなのだろうか。
とうとう出産の日を迎えた。
陣痛が始まった私を病院まで連れて行ってくれたのは、その日も家事を手伝いに来てくれていたエマだった。
仕事で忙しいケンが遅れている中、彼が到着するまで陣痛で苦しむ私の手をエマが握り続けてくれた。
子供が生まれたあと、私はなかなか体調が回復しなかった。入院が長引く。男性陣が仕事で忙しくしているなか、エマは毎日、様子を見に来てくれていた。
「このまま入院が長引くようなら、この子の面倒はしばらく私が見るわ」
「ごめんね。世話になってばかりで」
「身内なんだから気にしないで。ゆっくり治しなさい」
エマは私の子供を抱いていた。
その光景を見て、私はエマが求めていたものがわかったような気がした。
4.
あの子の容態が急変した。現代医学を持ってしても、まだこういうことがあるのが出産というものだった。
今、メイの病室には身内しか入れない。そういう段階に至っていた。
「エマ、近くにいる?」
「いるよ」
「あなたのせいじゃないから」
「・・・うん」
私はなんとか頷いた。
ここで自虐的になったってみんなが不幸になるだけだ。
「一緒にいられて良かったよ」
「私もここに立てて良かった」
5.
「妊娠したから別れて」
「・・・え?」
自分がなにを言われたか理解するのに長い時間がかかった。
・・・ような気がしたが、実際にはほんの数秒だった。
先輩は浮気をしていたのだ。それも男の人と。
「親に勧められたお見合いが断れなくて、流れでそういうことになっちゃってね」
「流れって・・・でも、その人のこと本気じゃないんでしょ?」
「うん。でも、あなたとは一緒になれない」
「私、先輩のこと愛してます」
「私もエマのことを愛してるわ。本気よ。でも、ムリなの」
ああ、ムリだ。
私にだってわかっている。
親の紹介で出会った相手を捨てて、でもその人の子供を抱えて、女性同士で一緒になる。
籍も入っていない状態で、好きな女性が知らない男と作った子供を育てる。
そんなのムリだ。
「気持ちだけじゃどうにもならないのよ」
「う、ううう・・・」
泣いた。ただ泣いた。このときはもう泣くしか出来なかった。
弟のケンはまだまだ忙しい日々を過ごしている。メイを失った悲しみを紛らわせたくて、わざと忙しくしている節がある。
一度、じっくり話し合った方がいいかもしれない。
「お父さん、遅いね」
「いい。エマおばさんと遊ぶ」
一人親になってしまったケンを助けるために、日中は私がマイの面倒を見ることが多い。
育つに連れて、メイに似てくる女の子を抱きしめる。
マイは小さな手で抱き返してきた。
「へへ。エマおばさん大好き」
「うん。私も大好きよ」
私は小さな体の体温を胸一杯に抱きしめた。
end