俺の作品にハエがたかっとる!
短いので欠伸していると読み逃します。(笑)
世間では海や山のレジャーと娯楽の多い八月。帰省ラッシュの模様を伝えるニュースを耳に受けながら、俺は締め切った部屋の中でパソコンの画面と睨み合っていた。
お盆明けの二十日に文学賞の締め切りがあった。原稿の完成まではあと半分だろうか。かなり切迫していた。
「あーもう! 何だよ!」俺は顔の前でブンブンと平手を振った。
ここ数日、俺が小説の製作とは別に直面している問題があった。それは小ハエだった。
犬の糞や死体にたかるギラついたのとは違う。米粒よりも小さくて、飛行にあたって音を立てないヤツだ。それが大量に発生して、俺を困らせているのだ。
原因はおそらく台所の生ゴミだった。それは処分したが、すでに空中を飛びまわる分については、どうしようもない。一匹いっぴき、根気強く駆除するしか方法はなかった。
「無視だ。虫だけにムシ」
馬鹿なことを言っても、ハエはいなくならない。先ほどから画面の前を旋回して飛び、ヤツらは時折り俺の顔へとぶつかってくるのだ。まるで目の水分を狙っているかのように。
せっかく創作中の原稿にのめり込めそうになっても、不意にアタックされては気が散ってしまう。意識を乱されっぱなしで、俺はイラついていた。
「心頭滅却。心頭滅却すれば火もまた涼し」
そうだ。ハエなど気にしないことだ。ディスプレイの文章だけに集中しろ。俺は念じて、閉じていたまぶたをゆっくりと開いた。
ぎょ! 思わず固まってしまった。
二匹のつがいが画面の真ん中で自然の営みを繰り広げていたのだ。しかも、俺の書き途中の原稿をシーツ代わりにして。
見せつけるような二匹の行為に、俺は平常心ではいられなかった。
「こなくそ!」
いま一歩。二匹は叩いた俺をあざ笑うかのように、どこかへ行ってしまった。ハネムーンだろうか。ディスプレイが壊れてしまわないように手加減をしたのが逃げられた原因だった。
一度飛び立ったハエはステルス戦闘機のように位置がつかめない。消えては一瞬だけ現われるのだ。どうせまた寄ってくるだろう。俺は画面の電源を切って台所へと向かった。
「眠気覚ましに一杯のコーシーを」これが俺の口癖だった。
嫌なことがあったその後は、アイスコーヒーにかぎる。しかも、いつものインスタントではなく、一人用のドリップだ。
貧乏性な俺は二杯分は入る大きなコップに使い捨てのバッグを引っ張って取り付け、ヤカンで沸かしたお湯を注いだ。この時点で汗だくである。
香ばしい匂い。これだ。この上質さが尖った俺の神経をならしてくれるのだ。ある程度、コーヒー液が出きったところで、俺はバッグを取り外し、氷のブロックをボチャボチャと落とした。
まだだ。あとミルクを入れなければならない。茶ダンスを調べ、ようやく最後の一つを探し当てた俺は、なるべくコマーシャルのように演出しようと、棒で渦をつくってから静かに流し込んだ。
あっという間に混ざるミルク。漆黒の液体が、純白のそれと溶け合ってできる新たなる世界。その中に浮かぶゴマ粒。全てが調和した一級の芸術作品だ。
ん、ゴマ粒?
クルクルと円を描いてまわるハエの死骸。いったい、いつからお前はいたんだい。 コーヒーの中を確認した俺は言葉を失った。
飲み物がダメなら食事である。俺は経験から、魚やサラダなどのナマモノが憎いヤツらを喜ばすだけだと知っていた。ならば、香辛料の入ったカレーライスはどうだ。
野菜を刻み、肉を入れ、グツグツと沸騰させる。ルゥを投入すると美味しそうな匂いが台所中に立ち込め、俺のお腹はグゥグゥとひっきりなしに鳴った。
人参もジャガ芋も忘れていない。炊飯器に保温状態の米をよそって、具をかけたそれは、完全な存在のはずだった。
皿をテーブルの上へと置くと、そこへ一匹のハエがやって来た。
「何をやってんだ」俺はハエに尋ねた。
熱々のカレーライスである。触れたら死んでしまうだろう。ハエの奴には何の良いこともないはずだ。それなのに。
ハエはトコトコと丸皿の縁を一周して飛び去った。
「お前は何がしたいんだああああ!」
どれどれ、といった感じの様子見だろうか。ハエは何も持ち去ってはいない。ただ、美味しい物が汚されただけである。俺の鬱憤は増大した。
食後のお菓子にも、ハエは飛びついた。一番人気はチョコレートのようだ。これに関しては見境がない。危険を承知で突入して、俺の平手の餌食となるヤツらも数匹いた。もちろん、上手も存在する。
空のコップを這うハエはまるで、人質を取った誘拐犯のようだった。食べ物に張り付いているときもそうだ。叩くことができず、直接口に入る器に乗っているから、殺虫剤も使えない。まあ、本当に必要なとき、殺虫スプレーが手元にあったためしがないが。
数日後、ハエと戦いながらも、ひとつの小説を作り終えた俺は、肩のコリを感じながらプリンターを起動させていた。
ウィーン、ウィーン。単調な音を立てて、一枚ずつ印刷がなされていく。それらの同じところに穴を開け、つづりヒモを通して束ねたら応募原稿の完成だ。今度こそ良い結果であって欲しい。
そんなとき、一匹のハエが出来上がったばかりの原稿の上に乗った。チョコチョコと動きまわっている。結構育っていた。
俺は許せなかった。散々邪魔した挙句に、汚い足で味見をしているのだ。腸が煮えくり返り、額の血管がビクビクと脈打った。
バン! 大きな音を立てて、俺は原稿を叩いた。
一瞬のことだった。潰れたハエは手の平ではなく、印刷紙のほうについていた。人間様をおちょくった報いである。
そのとき、俺は気付かされた。
原稿を叩いた。あれだけ食器が割れるのを嫌い、ディスプレイに穴が開くのを恐れた俺が、何のためらいもなく簡単に実行へと移せたのだ。汚れたそれは心を込めた、大切な作品のはずだった。
俺はうなだれて、パソコンに向かった。
了
題名『俺の作品にハエがたかっとる!』
蒼井 果実
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